65 王の一言
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ライベッカ伯の後継者、サイラスが倒れたという話題が上がったとき国王がぼそりと言った。
「あそこの下は、エレナの子であったな……。会えぬものか。見舞いもかねて」
何かと王宮を騒がせたエレナの名が十数年ぶりに王の口から漏れた。
ようやくこの時が、とランダースの派閥は笑った。
公務で忙しい国王の身を考えてユーリスを招き、彼に兄への見舞いを手向けてもらおうという流れだった。
それだけで終わるはずだった。
国王はユーリスを見て口数が増えていた。
腹違いとはいえ可愛がった妹の面影があるのだ。無理もないだろう。
これはいたく気に入られたな、と周囲は感じた。そして利用したい、と当然思う者も出てくる。
だがすでに出し抜いていたのがランダースたちの派閥だった。
王にうまく働きかけ、兄が倒れて一週間もしていないユーリスを外遊に引っ張り出す。
今日、ようやく王都に戻って来たところだ。
目付を請けおったランダースはユーリスと共に帰路の馬車に乗り込んだ。
向かいに座る青年は、国王の前に上がっても、王女の前に出ても、表情を変えない。
今窓の外を見ている顔つきと同じ、冷ややかであった。
まあ、まだ青い学生の子供一人どうにかなるでしょうと思っていた矢先、ユーリスが馬車から飛び出していった。
王都に入ってすぐのことだった。
どこに行ったかは予想がつくので慌てることはない、と悠々と目的地の診療所へ向かう。
その後ユーリスを連れ戻し、再び馬車に乗り込んだときにはいつもより笑いが深くなった。
今し方、セシリアをやりこめたのが楽しかった。
女は全般に嫌いであった。
特にセシリアのようなみすぼらしい格好で貴族や王族に当たり前の顔をして近づいている女など。
馬車は診療所を離れ、ゴードン通りという悪道で揺れを大きくしている。
「本当に報告の通りで驚きましたよ。脱走がうまいとは」
ユーリスは当然の如く無言だった。
「ライベッカ伯も昨日の夜会で私に言いましてね。“あの男は閉じこめておいた方がいい”と。本当でしたね。王都に入った途端逃亡を図るなんて。これで貴方、我々の元にいてもらうことに決めましたからね」
外遊から戻ったが、彼を自宅に戻す気はない。
王宮に客賓として上げ、色々たたき込むつもりだ。
子爵になるための授爵の用意、貴族院へ入る為の準備、社交界への……
花嫁修業ならぬ花婿修行だな、とランダースは笑う。
ユーリスがなにも答えず窓の外を見ているのでランダースは肩をすくめたが、めげずに会話を続けた。
「ユイロッサ殿は実に魅力的でしたね」
「…………」
青い瞳だけがランダースの方を向く。
侮蔑が溢れた視線をうけて縮こまってみせているこの男が、実のところ何のダメージも受けていないことはユーリスにも分かっていた。
「琥珀色の瞳が特に美しいですね。琥珀、というより少し赤みがかって、夕陽のように思えましたよ」
相手が答えないことなど百も承知らしくランダースのおしゃべりは続く。
だが軽快な声色が、次にはすとんと落ちた重い声と変わっていた。
「不吉な色ですね。落日の色なんて。……国を斜陽に導く色だ、あれは」
頬を何かがかすめ、耳元で背後の背もたれが強い衝撃を受けた音がして、ランダースは口を開けたまま体全ての動きを止めた。
右耳のすぐ横をかすめてステッキがめり込んでいた。
「次はその口に入れる」
背もたれの綿を貫いたステッキを引っこ抜いて手元に戻しながらユーリスはつぶやき、それから彼は再び窓の外へ意識を向けた。
その後はようやく馬車の中を沈黙が支配した。
客賓が使用する『西の宮』に馬車が到着するとき、ランダースは再び口を開いた。
「逃げられませんよ? 先程みたいに」
ランダースが視界に入り込んできた。真向かいに座り直したらしい。
何の反応もないユーリスにランダースの顔が近づく。
「もう一度言います。逃げないで下さいね」
ユーリスはため息を吐いた。
「逃げられないんだろう?」
国家から逃げることは出来ない。
ユーリスを引き入れて一ヶ月、ランダースは少し拍子抜けした。
ユーリスからトゲが抜け始めている。
睨み殺しそうな勢いのあった目は和らぎ、たまにランダースにさえ笑いかける時すらある。
授爵が決まった頃になると本人も覚悟を決めたのか、自分がなすべき事に真面目に取り組むようになった。
「顔はやはり……思い起こさせるな」
老貴族達は口々にそう言った。
王宮内の人間はその昔賑わせた『魔女』の記憶を呼び起こす。
「男どもがこぞって彼女を取り合い、刃傷沙汰が絶えなかったからな。魔女といわれても仕方がなかったな」
エレナにふられた経験のある者が言うと複数が同意した顔で頷く。
皆して袖にされたのか、と若い世代は心で呟いた。
「あれでは陛下が気に入るのも無理はなかろうて」
そんな風に、子爵となったばかりのユーリスは噂の的になり、ランダースは腹の中で笑った。
「思い通り話題性が高い。これで世間にアルバの血が王室に入る事が印象づけられる」
アルバの議席をもっと増やしたくてしょうがないヘラルド侯爵が小躍りしそうな勢いだ。
やれやれ、こっちは子守で美味しい目をみていないというのに。
そういえば、同じく小間使いをされているあいつを最近見ていない。
「ロイド医師はどうしました?」
「あいつなら報酬の先払いを受け取ってさっさと旅行にでかけたよ」
「いいですねえ、私もはやくそうしたい」
ランダースは顔は笑って心でため息をついた。
「兄の顔が見たい」
ユーリスの言葉にランダースは了承した。そろそろ帰してやらないと薄情者の烙印をこっちが押される。




