62 信
あの日から、様々なことが頭をまわっていた。
自分の家の事。ユーリスの家の事。
あの時はランダースの言う事など信じなかった。
だが時間が経ってくると、あながち間違ってもいないのでは、と不安になる。
もしそうなら、自分の町が、父が、そんなことをしていたことも知らないで、ライベッカ家へ入り込んでいた。
父が最終的に家庭教師を許したのも、ライベッカ家を見張りたかった思惑があったのだろうか。
(……人を殺めようとする家なんて……)
父はそんなことをする人じゃない、と言えるような人だったらこんな不安もない。
ただひたすら恐怖しか与えない父を擁護する気持ちが浮かばないのが悲しくもある。
数日が過ぎた頃、ダティラーが尋ねてきた。
「ユーリスから手紙があってな」
ダティラーは少しためらいがちに内容を伝えた。
それは、“自分の渡航準備をこちらで止めておいた、ご迷惑をかけた”との内容だった。
確かにユーリスの文字で書かれていた手紙に、言葉を失った。
本当に彼は医師の道を諦めたのだ。
「……私も家内も、せめて君だけはついてきて欲しいと思っている。どうだね」
その誘いはこれ以上ない、嬉しい言葉だった。
だが。
「……行けません。本当に、ありがたく思っています、けど私は、行けません……」
ユーリスが夢を経たれ、別の道を進まなければならないのに、何故自分だけが彼の与えてくれた自由を謳歌できるというんだろう。
ひと月が更に過ぎた頃、買い出し先で目にした記事にセシリアは立ちつくした。
店主に促され、その記事を購入し、診療所に戻ってじっくり読む。
記事は、第一王女の婚約者候補を紹介していた。
今年16になる王女はいよいよ結婚できるお年頃となり、候補も多く云々、と記事自体は下世話な文体であるが、その中にあるユーリスの名前はどんな場所にあっても下世話な文字には見えなかった。
『僕を信じてほしい』
信じたい。けど、どこまで信じれば?
……何を信じれば?
今でも何かを期待しているのは自分の独りよがりでしかないのでは。
ひと月以上過ぎて感じるのは、じりじりと距離が出来ていくことだけ。
「せしりあー! 虫さがしにいこうよー!」
窓からロニーの元気な声がして、曇った心が少し晴れた。
暖かいというより暑い日もちらほら増えてきた最近、ロニーがさらに元気に駆け回っている。
セシリアは小さく笑って外に出た。
彼を信じよう。
今自分が出来ることはそれしかないのだから。
夏が近づいているというのに、その夏は自分の中から消えてしまった。
一週間後。
休日だというのにジルはセシリアを仕事場に呼び出していた。
エレンディラは例のお茶会に朝から出ており、多分また帰りは日暮れだろう。
「なんだ? お前の最近の仕事ぶりは。うわの空で人の声が耳に入ってねえ! ふざけた仕事してんじゃねえぞ!」
「……すみません……」
確かにそうだ。
仕事に支障をきたしてしまってどうするのだろう。
「……お前さ、親元に帰ったらどうだ?」
「……え?」
「俺じゃ役不足のようだ。男の事でほいほい出ていっちまうわ、仕事ほっぽらかすわ。お前、親に言ってんのか?
この国離れること。いいのか?親を簡単に捨てて海の向こうにいっちまって。一生会えないかもしれないんだぞ。
薄情だと思わないのか?」
思わない、と言ったらこの人はどう思うのだろうか。見損なうのだろうか。
私の親は、私にムチを振るう人です。
他人には自分から言えないものだった。
だがこの人は、こちらの事を考えてくれる人だ。すべて話すべきだ。
「先生、聞いてくれますか?」
そう言ったと同時に、玄関から来客を告げる音が響いた。
春なのに強い風がホールを渡って診療室にまで届く。
黒いコートの男たちがどやどやと診療所のホールへ入り込んできた。彼らとともに空気が部屋全体に流れ込む。
「こんなところにいたのだね。セシリア」
背の高い、壮年の男が黒い帽子を頭から下ろす。
…そんな。
どうして。
がくがくと足が震えた。背中が痛む。ズキズキする。
「どなたかね、あんた」
ジルの呼びかけに男は答えた。
「私はセシリアの父、イリューマと申します」




