59 腐敗
「間違いありません。これは、石化病ではありません」
ダティラーの言葉にサイラスとセシリアは目を見はった。
「似た症状ではありますが……。踵部にある傷はベッドから落ちた際に、と言われましたが裂傷でもなければ痣でもない。褥創(床ずれ)で間違いありません。石化病は筋肉の硬化。褥創が現れる筈がない」
「では私は何の病気なのだ?」
「はっきりとは確定できませんが、脊髄が原因である筋力の低下が考えられます。全く別の病です」
「じゃあ、石化病は誤診だったということですか!?」
セシリアの問いかけにダティラーは頷く。
「明らかな誤診です。しかもこれは、故意ですな」
「わざと違う病気を……?」
なぜそんなことを。
「本人に聞こう」
サイラスが呼び鈴の紐を引くと直ぐにグラントが現れた。
彼はちょうどこの部屋に向かっていたところだった。
「ロイド医師が焦燥のご様子で帰られたので、後を追わせております。こちらで何かあったのではないかと」
出来のいい執事にセシリアとダティラーは感嘆した。
やはりロイド医師にはなにか一物抱えているものがある。
サイラスは以前セシリアにも向けたせせら笑いをした。
「ライベッカ家の警備担当から逃れると思うなよ。ユーリスで鍛えられているからな」
貴族の家に警備が常駐しているのは普通なのかしら、と少し考えてしまう。
とにもかくにもロイド医師は早々と捕らえられ、サイラスの前に引きずり出された。
まるで全てが終わりだと言いたげに、ロイド医師の体はぐにゃりと床に座り込んでいる。
「……執刀の技術がないことをさらされたくなかったということだな」
話を聞いてサイラスはこれ以上なく冷淡だった。
ロイドの話でセシリアは、『王立医師団の派閥は百年以上続いて腐りかけている』とユーリスが話していたことを思い出し、彼が入らないと決意したのが頷けた。
今だ脳神経に関する分野は解明されていない部分が多い。
脳神経の分野でロイドのいる派閥はダティラーに遅れをとっていたが、それを世間に知れるようなことは決してあってはならなかった。
だから、脳神経に関わる困難な病は全て難病にし、助かる見込みがないと診断を下す。
「今まで何人に正確な診断を下さず殺してきたのだ、お前達は!」
ダティラーの怒声が広い寝室に響き渡った。
ロイド医師はびくりとうずくまり、顔を上げることはなかった。
だが、くぐもった低い笑い声が聞こえてきた。ロイド医師の笑い声だった。
セシリアは背筋がひやりとするうすら寒いものを感じる。
「……どのみち、ダディラー卿、あなたにもサイラス様は救えないのでは? 脊髄に問題があると分かったところで、あなたに執刀する技術がおありですか? いえあなただけではない、この国で脳神経の手術に成功した者はおりませんからね。どの道助からないのですから最初から絶望の淵に置けば、人間は少しでもそこからはい上がるというものだ」
「黙れ!」
ダティラーの声にその場は一旦沈黙が落ちる。
「それだけか? 本当に」
冷えた空気をさらに凍てつかせるサイラスの声が、ロイド医師の体に降り注いだ。
「お前は誰かに依頼をされていたのではないのか?」
びくりと大きくロイド医師の体が震えた。そこで初めてサイラスの表情が柔らかく崩れた。
「こんなにも嘘を隠せぬ男に依頼をするとは、王宮の人間も末期に近いな」
「王宮……!?」
驚くセシリアたちに嘲りを見せてサイラスは言葉を続けた。
「少し考えればそこに辿り着くだろう? まだ爵位継承も済んでいないうちからユーリスを欲しがるくらいだ。後になって私がやはり後継者となっても困る人間がいるのは当然だろうに。私が死ぬ予定でなくてはならない者がな」
「そんな……」
淡々と話すサイラスがやるせなくなってくる。
「とにかくロイド医師。お前の自由はしばらく私が預かる。 ダティラー卿には引き続き私の病状を診て欲しい」
ダティラーは深々と頭を下げそれに答えた。
「ダティラー卿、お話があるのですが」
セシリアは帰りの馬車で話を持ちかけた。
「素人の私が言うのは自分でもどうかと思いますが言わせて下さい。脳神経の手術はジル先生には無理でしょうか」
「……私も考えていたところだ。あやつの腕であればもしかすれば……とな。だがあやつは脳神経の知識は殆ど忘却の上、その分野での経験はない」
「卿の指示の元ではどうです?」
「何?」
「私はジル先生からもユーリス様からも、卿の的確な判断と知識はおそらく国一番だとよく聞かされました。ジル先生の手さばきの素早さと卿の判断力があれば、可能ではないですか?」
ダティラーはセシリアを意外そうに見つめた。
「君はなかなか強引なところがあるのだね」
「いえこれは……。彼が生きる可能性があればと……。私は、サイラス様を見ていると何かもどかしくてならない気持ちになるのです。もっと生きて、ユーリス様やルーシー様とお話されたらいいのに、と思って」
「話?なんのだね?」
「ルーシー様はサイラス様の事はあまりお話なさらず、怖がっているのがよく解りました。
確かに失礼ながらあのように冷たい方では……と思っていましたけど……
サイラス様は冷酷じゃなく冷静すぎなんですね。自分の命にまで客観的すぎました。
でも昨夜サイラス様が言われたんです。
『あんな懐かない弟のどこに愛着を感じろというんだか』って。
もしかしたら懐いてもよかったのかな、じゃあ懐いたらどうするのかな、ユーリス様はもう無理でも、ルーシー様なら可愛がってくれるのかしらって……そうなったら、素敵だなって、あの、脳天気な考えです……」
少し小さくなってうつむく。本当に頭が春の陽気かと思われる話だ。
「ははははっ! あの御仁が妹君を可愛がる姿か! それは私も見てみたいものだ!」
ひとしきり笑ったあと、ダティラーは言った。
「ジルの所へ行こう」




