57 侵入
夜、ジルたちが寝静まってからこっそりと診療所を抜け出し、レイたちに合流する。
再びこの屋敷を見ることになるとは思っていなかった。
闇に包まれた白亜の屋敷を見上げる。
柵が一カ所、うまい具合に外れるところがあり、レイの案内で隠れた通路を歩いていく。
「あいつ、昔からこうやって脱走を繰り返してたんですよ。父親から逃げるために」
ドアの鍵開けもその時に修得したらしい。
(そういうことだったんですか……)
貴族の子弟らしくない、と思った行動の理由を知り、胸がつまる。
ユーリスが幼い頃に作っておいた抜け道で、3人はなんなく侵入することができた。
だがレイは渋い顔をした。
「おかしいな、静かすぎる。いつもなら見張りがあちこちうろるいているのに」
「見張りって……。まるで監獄じゃないですか」
「ここはそういう家なんだよ。あの父親はそうやってユーリスを見はっていた」
セシリアは何とも言えない気分になった。
ダティラーから聞かされたスタンリィの病。
本当にユーリスを正体不明の敵と感じていたことが分かる。
こんな所にいたらユーリスがおかしくなってしまうだろう。
レイに案内されたユーリスの部屋に入り、3人は拍子抜けをした。
誰もいなかった。眠っているはずの時間なのに。
「間違えたかな。それとも部屋を変えたかな……」
「しっかりして下さいよ先輩っ」
「うっせえな、あ、きっとこっちだ」
「レ、レイ様そんなむやみに……!」
別の部屋のドアを開けるレイにひやりとしたが、レイは何の躊躇もなく開けたドアの中を覗く。
「よし、ここみたいだな」
ずんずん入るレイに渋々従ってセシリアとアーサーも入る。
かなり広い部屋であり、部屋の中央に大きな天蓋つきのベッドがあった。
天蓋のカーテンは閉めておらず、寝息が聞こえる。
レイがまず近寄っていくと、「誰だ」と低い声が部屋に響いた。
セシリアもアーサーも、そしてレイも凍り付いた。
明らかにユーリスの声ではない。
ベッドの主が体を起こした。その人物を大きな窓ガラスから差し込む月明かりが照らす。
サイラスだった。
「……なんだ、レイのバカか。いやバカのレイか」
青ざめる一同を前にどうでもいい訂正をする重病人。
「なななんでいるんですか。病人は病院へ入院するもんでしょ」
レイが汗をだらだらたらして言う。アーサーが後ろから気のない声をかける。
「……一般人はそうですけど、貴族の大半は専属医がいまして、自宅で手術も治療もするんです……」
「なんだそりゃ快適な! くそ、どこまでも雲の上だな!」
「ああ、たしかに雲の上に行きかかってる人間だが? なにしにきたんだ?まさか見舞いとか言わないよな」
冷ややかな声にレイもアーサーも声を失う。さすがのレイもこの兄は苦手なようだ。
「あの、お体の方は……」
セシリアはごく普通に身を起こしているサイラスは大丈夫なのかと心配になった。
こうして見ている分にはまったく元気そうに見える。
セシリアに気づいたサイラスは、フン、と鼻で笑った。
「ああ。ユーリスに会いにきたのか。御苦労だったな。あいつならしばらく王宮に上がっている」
「王宮に!? じゃあやっぱり……」
「なんだ、もう噂が広まってるのか。というかさすがカーライル家の情報力といった方がいいか」
アーサーの言ったことは本当のことらしい。
国王陛下が春の外遊にユーリスをも同行人の一人として招き、そこで王女と顔会わせをさせる、という。
話が早すぎる。
「それだけ国はアルバを抑えられなくなってきたって事さ。独立なんて騒ぎ出している輩も力を蓄えているらしいからな。こんな手段でも急いでワラにすがりたいんだろ」
「それでは……。ユーリス様はもう、医師にはなれないんですね。どうあっても……」
セシリアが力無くつぶやくとサイラスはしらけた顔をした。
「当たり前だ。仮にも貴族の子として生まれたのならこんな時役に立たなくてどうする。今まで食わせてもらって大事の時まで好きなことをされてもらっては平民にも劣る無能だ」
何も言い返せない一同を尻目に、サイラスの手が呼び鈴の紐を引いた。
「あっ!」
「もう用事はすんだろうが。レイ、そのむさい顔二度とみせるな」
レイとアーサーは慌てふためいて外へ向かったがセシリアはそこに留まった。
「先生!?」
「構わず行って下さい。私はサイラス様にお話があります」
そう言われてサイラスは怪訝な顔を向けた。
ばたばたと逃げていく2人を尻目にセシリアはサイラスの傍に近づく。
「サイラス様は伯爵様の病の事をどう思われているのです? ご存じではないのですか」
「ああ、聞いているのか。あのヤブ医者の世迷い言を真に受けているのか? 滑稽すぎて信じる人間がいるとは思わなかった」
「お願いです。伯爵様とユーリス様を近づけないで下さい。このままではユーリス様も伯爵様もどうなるか……」
「俺はこれから死ぬ人間だ。知ったことではない。ユーリスも今まで好きなことをしてきたんだから苦しめばいい。あんな懐かない弟のどこに愛着を感じろというんだか」
「……っ」
返す言葉が浮かんでこなかった。
そこへ扉が開き、警備の男を引き連れたグラントが現れた。その目は相変わらずセシリアを冷ややかに見つめる。
「出て行け」
サイラスが顎をしゃくって合図し、警備の男はセシリアの腕をつかんだ。
「お願いです、サイラス様! ダティラー卿の話を信じて下さい! 伯爵様は本来自分の子を疎んじるような人間ですか!? 違うのではないですか!? 」
「知るか。2人で死ぬまで憎みあえばいいさ。あの2人はそれがお似合いだ」
「違います! ユーリス様は、伯爵様を憎んでなんかいません! 分からないんですか!?」
体を引きづられるがもがいて叫び続けた。
「伯爵様を助けたくて医師を目指したんです! 軍に入ると決めていたのを辞めたのも伯爵様の病気を知ったから、大陸に渡るのも国内に治療薬がないからです!」
サイラスの目がセシリアを凝視する。
「あなたから遠ざかったのだって、あなたが自分と同じ『敵』にならないように……!」
扉は閉ざされ、サイラスにそれ以上声が届くことはなかった。
無力を感じる。自分は何もしてやれないのか。
何の力にもなれないのか。




