54 研究者
レイたちとは今晩の時間を取り決め、別れた。
迎えの馬車に揺られ、セシリアはダティラーの邸宅へ辿り着いた。
子爵でもあるダティラーの屋敷はユーリスたちの屋敷ほど大きくなくとも、安らぎを感じるここちいい空間である。
執事も女中もにこやかに接してくれ、ユーリスがよく入り浸るというのも頷ける。
「あなたがセシリアね。よくユーリスからお話はうかがっているわ」
ダティラーの妻、フィオーナ夫人は暖かみを感じる、優しげな女性だった。
セシリアは少し驚いた。壮年のダディラーに対して随分と若い奥様だ。
セシリアが緊張しながら挨拶すると
「よく来てくれたね。君とはゆっくり話がしたかったのだよ」
壮年といえど、快活さが見える子爵はセシリアの手をとって挨拶をする。
「ユーリスの話は聞いているかね?」
「はい。今朝、彼の友人が知らせてくれました。今夜、会いにいくつもりです」
「私もこの数日、訪ねてはいるのだが……あそこの執事に嫌われていてね。会わせてもらえんのだよ」
子爵であるダティラーをさえ追い返すとは、とセシリアは目を丸くした。
「君もどうだか……」
「友人が手引きをしてくれるんですが……正攻法の手段ではなさそうなんです」
「そうか。友人とはレイぼうやあたりかね?」
「そうです」
「ならば会えるかもしれんな」
そう言ってダティラーは笑い、セシリアをティールームへ招き入れた。
そして香りのいいお茶を入れてくれる。
「少し心を和らげなさい。今の君は軽いショックを受けている状態のままなのだよ」
そう言われて、あ、と気づかされた。
自分では冷静なつもりだったが、ユーリスの話を聞かされ心が何処かで千切れそうになっていた。
早く会いたい急いた気持ちと、また離れてしまうかもしれない恐怖で。
お茶を口にして、言われたとおり心を静める。
しばし時間をおいてからダティラーが声をかけた。
「君も苦労したようだね。あれの父親、スタンリィには」
「……」
いえ、とも言えずはい、とも言えず言葉を濁した。ダティラーはそこのところも理解している、と言いたげに頷いた。
「今日は向こうでの生活のことで色々話そうと思っていたがそんな場合ではなさそうだ。
君にも話しておきたいことがある。スタンリィのことでだ」
「スタンリィとは彼が結婚する前から知人の間柄だったが……。昔はああいう人間ではなかった。責任感が強く、ライベッカの主たる尊厳を持った男だった。信じられんだろうが」
それにもなんと答えていいのか迷った。
ダティラーの言うとおり信じられないからだ。
「これから話すことは、ユーリスが君に話しておいてくれと頼まれた上で語ることだ。私の方がうまく説明できるとの判断でね。理解しがたい話かもしれんが、聞いてもらえるかね」
気軽な話ではないことを感じ、セシリアは身を正した。
「はい」
「私は神経心理学というものを研究しているのだが。
研究のデータを採る為に訪れた癪狂院を訪れた時、そこでユーリスと出会った。彼は6才だったよ」
癪狂院と聞いて耳を疑いそうになった。
精神疾患者、孤児、そういった者を収容する施設だが、環境は劣悪で殆ど放置状態に近い。
「母を亡くしたばかりで入れられたらしい。もちろん疾患などなかった。あそこは社会で邪魔者にされた者が投げ込まれる所でもある。
スタンリィが入れたそうだ。彼はこう言った。『あれはユーリスではない』と。
そんなバカな話があるかと、私はスタンリィを訴えたので彼はそこに入れるのを諦め、スクールの特科に入れた」
セシリアは黙って耳を傾けた。
「なにかおかしい話だろう? 君はどう思っていたかね?スタンリィを。正直に話してくれ」
「……なにか、子供じみたものを感じました。地位のある立派な素振りに見せかけて、影の部分がどこか捻れているような……」
ダティラーは満足げに頷く。
「なぜスタンリィがあそこまで息子と娘を嫌うのか。しかし長男は例外。
私はあの父親に研究者として興味が湧いてね。長年診てきた。人を研究対象にしか見ず、非道と思うかい?」
「…答えを出せる程に私の知識は成熟しておりません…」
「結構」
「お聞きしてもよろしいですか?」
どうぞ、とダティラーは優しく促す。
「それによってユーリス様は……心に傷を負われてはいないですか?」
以前聞いた負の連鎖。
幼少時に受けた親からの傷は肉体的なものは心に大きく残ってしまう。心の傷も同じだろう。
ダティラーはセシリアの考えを読みとり微笑んだ。
「彼を心配してくれて、心から礼を言うよ。
安心しなさい。彼の心の傷はとうに癒えている。それは断言できる。攻撃の原因を知ったからだ」




