51 不機嫌な男
ゆっくり時間をかけた帰り道も、終わりが近づいていた。
診療所が見えてくると、ユーリスが尋ねた。
「ジル医師はどうしてます?」
「ええ、夏までみっちり働かせてくれそうです」
とできるだけ明るい声で答えてみせた。
再会した翌日、ユーリスと共に診療所へ行き、ジルとエレンディラに話をした。
ユーリスとのこと、新大陸へ渡ること。
短いつき合いになってしまうことに寂しさを感じながら。
話を聞いたエレンディラは、「まあ…」と絶句をした。
ジルは頭を抱えて、それから何も言わず出て行こうとした。
ユーリスが呼び止めると、
「お前と話すことなんざ何もねえ!」
と怒鳴り、奥から出てくることはなかった。
ユーリスは肩をすくめて、必死にあやまるエレンディラを逆になだめ、
「また今度」とセシリアに挨拶して帰っていった。
それからジルがセシリアを呼んだ。
その目を見てセシリアにはジルが自分を軽蔑しているのが判った。
覚悟をした上での告白だったが、やはり面と向けられると心が痛んだ。
どこかでこの人たちは手放しで認めてくれると思っていたのだ。
女性の潔癖さが求められているこの時代。
セシリアのした事は、男性には清く映らないのだろう。
「そんな娘だとは思わなかった。いや、お前がふしだらだと言いたいんじゃない。お前は何一つ間違っていない。
だけどな…もっと自制のきく奴だと思っていたよ。なんであんな若造の、いやそりゃあのガキはほんとに幾つだと思う時があるが…あの年頃の男が暴走しやすいことは分かってるだろ?
五つも年上のお前が止めなきゃならんだろ?」
「私も以前はそう思っていましたが今は彼が暴走して行動する人だとは思えません。
……あなたも、私が彼の前に出なければよかったと、接触するものじゃないと思うのですか?
私が、誘惑したと」
伯爵に言われた言葉とジルの言葉が重なって、セシリアは悲しかった。
「いや、まあ、そう、いやそうじゃないが…だけどな、なんだ、とにかくな!」
「あなた、もういいでしょ?…セシリア、気にしないで」
いつも空気を和らげてくれるエレンディラが間に入り、ジルは大きな足音を立てて二階の自宅へ消えた。
夫の態度に妻は苦笑いとため息を漏らす。
「あの人にとってセシリアは娘のようになっていたのよ。
うちにも娘がいたでしょ。あの子もね、突然男の人を連れてきて結婚するって、大げんかになって…。
あんなでしょ。娘に愛情をむけても分かってもらえないままだったの。
わかって? あの時あなたを不潔だのなんだの言いたかったんじゃないのよ。
父親は娘を男の目に触れさせたくないし、男の前に出て欲しくないし、どんな男であろうとつきあって欲しくないものなの。
そんなの父親の身勝手というのは本人も分かっても、ああしてしまうの。あの人は特にそうなの」
「…………」
軽蔑されていたわけではなくてほっとした。
むしろそこまで思ってもらえていたなんて。
だが、その日から昨日までの3日、ジルとの会話は殆どなかった。
ジルからはとことん無視された。
「何か隠してますね」
「え、いいえ?なにも?」
笑えば笑うほどユーリスは顔を近づけてきた。
「…じゃいいです。本人に聞きます」
「えっ?ユ、ユーリス様!」
ユーリスはすたすたと診療所へ行き、ドアノブをつかむ。鍵がかかっているので開かないはずなのに、ユーリスが右へ左へ2回、3回と何度か繰り返すと開いてしまった。
「ここのドアのクセは知ってますから」
「……」
この間もこうやって入ってきたのか。というかなぜそんな技術をお持ちなのか。
「あらお二人さん、お帰りなさい」
エレンディラがにこやかに出迎えたが、ジルは不在だった。
今日は休みなのだからいつもならいるはずなのに。
明らかにユーリスを避けているのがわかる。
エレンディラは苦笑いして
「ごめんなさいね」
とユーリスにあやまった。
「気にしないで下さい。私もよく話し合いますから」
セシリアが明るくそう告げるので、ユーリスは渋々帰ることにした。
玄関口まで見送り、
「今日は本当に楽しかったです」
と微笑むがユーリスはため息をついている。
「僕はちょっと不満ですよ。2人きりの場所が全然なかったんですから」
「あ、えっ…と……」
「あなたはなにかとかわしてしまうし」
迫られるたびに話題を出して彼にのまれないようにしていたことを言っているのか。
「そ、それは、人が見てるかもしれないから……」
「次の休日は卿の所へ行くし、その後僕は卿と一緒に各病院をまわって大陸へ持っていく資料を整理しなきゃならないからしばらく会えないんだけどな」
そういえばそうだった。
こっちにいる残り3ヶ月間でまとめておかなければならない資料は膨大だという。
それに加え、大学の一期分の単位を確保しておくだけでも肩書は大きく違うため、ユーリスにあまり自由な時間はない。
寂しさがこみ上げてくるが、彼の為だと思い、我慢する覚悟ではあるが……。
「これから2人きりになれるとこ行きませんか?」
「だ、ダメですっ。もう遅いですし…っ」
「うん。冗談です。節度は守りますよ」
真っ赤になったセシリアに微笑みを返す。
「僕はまだ食わせてもらってる学生の身だし、本能じゃなく本分に従わないとね。それに、あともう少しの辛抱と思えば」
そうだ。あと3ヶ月すれば好きなだけ2人きりの時間がもてる。
「2人でいっぱい出かけたいです」
セシリアが目を輝かせて言うとユーリスは微笑みを深くしたが少し苦々しくも見える。
「それまで色々我慢しなきゃな」
そう言って軽く頬に口づけをして、セシリアから離れる。
「お休みなさい。時間が作れたらすぐ連絡します」
「はい。お休みなさい」
見えなくなるまで見送ったその背中をセシリアは後に何度も思い出した。
何度も。




