50 無理なこと
「あの……。『アライア』さんの事、聞きたいんですけど」
とたんにユーリスの足が止まった。
「あー……。聞いていたんでしたね。レイのバカから」
バカはあんまりですよ、とセシリアは最後に見たレイを思い出した。
あの夏、レイから話を聞いた次の日ユーリスはすでに屋敷におらず、レイの頬は大きく腫れていた。
セシリアが食堂から立ち去った後、ユーリスにやられたそうだ。
そしてセシリアの事情を聞かされた。
「おれ、軽くけしかけてたつもりはなかったんですけど……すんませんでした」
そう言って謝るレイにセシリアは、彼なりの友情を愛おしく思った。
ばつが悪そうにうつむくユーリスの姿がめずらしくてセシリアはじっくりと見つめてしまった。
それをユーリスはどう捉えたのかすまなそうな顔をした。
「どうかしてたんです、あの頃。あなたを忘れたくて、手頃な手段を選んで……。あんなのはあれっきりです」
「じゃ、彼女に会ったのはあの夏あたりまでなんですか?」
「そうです」
ではクローディアが話していた人物にユーリスは当てはまっていない。
やっぱり町の人間……
考え込んでいたがユーリスに顔を上げられハッとした。
「証明する手立てはないけど、信じてほしい。僕は…」
熱のこもった目で見られ、セシリアはまた飲まれてしまうと慌てた。
「い、いえ、違うんです! ちょっと気になることがあったので……!」
急いでクローディアの話を説明すると、ユーリスはきょとんとして、「ああ」と言った。
なにか心当たりがある顔だ。
「あなたの町の者でしょうね、きっと。あなたの父親の手紙と時期が重なりますし。もう3ヶ月経ちましたから今は多分いませんよ、王都には」
「そうでしょうか……」
「だってウソの手紙を出させましたからね。イアンに」
「あの人に……!?」
「彼はダービーで大変でしょ? その弱みにつけこんで脅迫しました」
また貴族の子弟とは思えない言葉が……
「あなたがここから5つ駅が向こうの街で教師をしていると。父が実際に紹介状をあの家に出したのだからうちはなんのキズもつかないし、ウソがばれても責められるのはイアンの家だけだし。
というわけで今頃まったく無関係の街をあなたの町の人たちがうろついています」
親子2人からいいように使われるイアンが気の毒に思えてくるのはお人好しすぎるだろうか。
「あなたにあんなことをしたんだからこれくらい当然ですよ」
サラッと言うユーリスに、こういう方だったろうかと思い悩む。
いや、こうだった。
昔から抜け目ないところはあった。
だから自分よりよほど大人だな、と思えていた。
自分がどんな顔になっていたか分からないが、ユーリスがセシリアの顔を覗き込んでいる。
その表情は心配げに見えた。
「あなたはこんな僕はいやですか?」
「えっ?」
「レイが言ってたでしょう? 僕が猫をかぶってるって。そんなつもりはなかったんだけど……」
不安に瞳が揺れている。
しょぼくれているようにも見える。
それを見ていてセシリアは何故か(かわいい)と思ってしまった。
幼かった頃の彼に対して思った可愛いではなく何か、別の……。
セシリアから少し笑いがこぼれたのでユーリスが怪訝な顔になった。
「いえ、ごめんなさい、貴重なユーリス様が見れたので嬉しくて。
……こんなことでいやになるなら、とっくにあなたを忘れることができてるはずですから。
いやになれと言われても無理です、きっと」
そう言ってほほえむと、とたんに体を引き寄せられてそのままこれ以上ないくらいに抱きしめられた。
胸が潰れそうなくらいだ。
「ユ、ユーリス様、苦しいです……!」
「すいません、こうしていないとあなたが夢の産物のような気がして」
彼も自分と同じように感じていたことに嬉しさを覚えるが、でも。
ここは人通りがないわけではない。
すれ違う人がしっかりと見ていき、セシリアは恥ずかしくて顔を埋めるしかなかった。
世論がお堅い今、都会といえどこういう行為は目立たないわけがない。
腕の中でじたばたもがくと、何とか少しはゆるんだが解放は無理なようである。
空気を変えようと、セシリアはなんとか感情を落ち着けてユーリスを見上げた。
「ユ、ユーリス様は…聞きたかったのですが、国を離れる事でお家の方は大丈夫ですか?
ルーシー様は寂しがっていませんか?」
「ルーなら大丈夫。アーサーのご母堂に可愛がられてます。今恋人を置き去りにして、未来の義母や義姉たち女性だけであちこち旅行してるらしいですよ。それも3ヶ月間。そろそろ帰ってくるかな」
「本当ですか!よかった…!」
アーサー的にはよくないだろうけど、とにかく気がかりが一つ消えた。
「父は…あの人は……」
ユーリスは少し言いよどむ。
「あの人は僕がどこに行こうがそれは知ったことじゃないからいいんです。
ただ、僕と父の間にあなたを巻き込んだことは、本当にすまないことをしたと思ってます」
「…………?」
なにか、ユーリスに不思議な感じを覚えた。
なんだろうと考える。
ユーリスから無邪気さも子供っぽさも感じられない。
それは話の内容からして当然だが……
(……ユーリス様の方が親御さんみたい……)
ロニーがいたづらして謝りにきた母親の目や、子供が誰かにケガをさせた時の親の目。
父親を子供みたいと感じ、子供を親みたいだと感じ、自分の感覚は随分おかしいとセシリアは呆れた。
それからユーリスの手を握りしめる。
その感触にユーリスは、はっと顔をゆるませ子供っぽく笑ってみせた。
だがいつもと違ってぎこちなかった。




