47 熱
8/29 3話目
熱が体中を這ってしょうがない。
その中に溺れながら、自分はやはり父の言う魔物なのかと思う。
だが今耳に届くのは父の声ではなく、互いの吐息だった。
魔物ではない、ただのふつうの人間の吐息が。
目を醒ました時には部屋の中は薄暗かった。
カーテンは閉ざされ、端に置いてあるランプがぼんやりと灯りをともす。
ここはどこだったろうと少し考えた。
自分の寝床ではなく診療所の隣の宿だと思い出す。
安宿の割にいくつかはまともな部屋があった。
抱きかかえられるようにして連れ込まれ、逆らうのを忘れていた自分はどうかしていたのか。
ベッドの中で一人、頭をかかえる。
時計は夜の10時を回っていた。
ユーリスはいなく一人であることが、頭を冷静にさせる。
抗えなかった。
ぶつけられた情熱にあっさり飲み込まれてしまった自分。
それだけ自分の心の奥底は何も変わっていなかったと思い知らされる。
いつも会えない期間のほうが長かったせいだろう。一年会わないでいても心が移ろわないなど始めからそうだったではないか。
時間をもっと必要としなければならなかったのだ。
(…やっぱりだめよ、こんなの。私はよくてもユーリス様には人生の負担でしかないわ…)
ユーリスはまだ学生で、貴族の身で…。
いくらしっかりしているといってもやはり若いのだ。
自分のことをもっと考えないといけないのに。
ゴードン通りまで来たりして、悪い噂でもたってしまったら…
(私がそんなことをさせてしまったって事だわ)
「愛しています」と一番欲しかった言葉が頂けた。
それで十分だと思わなければならない。
立場をもう一度思い出し、彼の環境を考えろ、と自分に言い聞かせる。
今はまだ彼には若さゆえの過ちにしてしまえる。
(……出来るの?私に)
また彼の去っていく背中を見る事に、耐えられるのだろうか。
受けた熱を、なかったことに出来るのだろうか。
知ってしまったものが、今までと同じように蓋をしておけるものではない事がはっきりとわかる。
だが。自分がユーリスの足枷であることは間違いないのだ。
(帰らなきゃ……)
支度をし、寝室を出ようとして、その時はじめて隣の部屋にも明かりが灯っている事に気づいた。
部屋に入ると、窓辺の小さな作業机でユーリスが物書きをしていた。
なにか考え込みながら羽ペンを動かしている。
少し眩しいくらいのランプの光が彼の髪、服や靴に光沢を作る。
ここ数ヶ月、あんな仕立てのいいものを見たのはダティラー卿くらいだ。
互いのいる世界の差が見える。
そんな風にぼんやり考えているとユーリスの方がセシリアに気づいた。
笑みを浮かべて手を置く。
「起きてたんですか。体、痛くはないですか?」
「え…あ…はい……」
そんな質問されるとは思わず、戸惑う。
気を取り直してセシリアはユーリスを見つめた。
「あの、診療所の方で心配していると思いますので、帰ります。ユーリス様も、大学の方に早くお戻り下さい」
こわばった口調のセシリアに、ユーリスは首を傾げる。
ここからとにかく出よう、そう決意して礼をとると戸口へ向かった。
そしてドアノブを回した。
回したが。
「……?? あ、開かない?」
右に左に回しても、ドアが開くことはない。
そうこうしていると、すぐ近くにユーリスが歩み寄ってきた。
「ああ。ドアは細工しました。開きませんよ?」
「はい!?」
「こういうの得意なんです。特に安いドアノブほどクセがあって」
「細……!? クセ……!?」
貴族の子弟の言葉じゃないわ、と耳を疑った。
「ど、どうしてこんなことを……!?」
「だってこうしないとあなたは逃げてしまうでしょう?」
優しげな笑みはそのままでユーリスはセシリアを見下ろした。
「で、でも、それは…!あの、まさか、監禁、とかそんなことを…!?」
青ざめ、手を伸ばしてきたユーリスから思わず逃れる。
彼は少し目を見開いた。
「ああ、そうか。その手もありましたね。…できますね、この状況」
「ユーリス様!」
「しないですよ。したいですけど。安心して下さい。そんなあなたの意志を無視するようなことしませんから」
「……もうやめてくださいこんな事。おわかりなんですか?
大学に知れるような不純な行動ばかりなさっているんです。
それに、伯爵様のお顔に泥を塗るような恥ずべき行為です」
逃げるのは諦めて、セシリアはユーリスを説得することにした。
自分たちのしていることは間違っているのだ。




