46 弟子
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「ただいま、あなたあ。ごめんなさいついつい話し込んじゃって……」
日も暮れてから戻ったエレンディラは、テーブルで怖ろしくむっすりと座っている夫を見て少し緊張する。
怒られちゃうかしら、と身構えたが、ジルの意識は彼の手にある紙きれにあるようだ。
「…なあに、それ」
横から覗き込むと見慣れない筆跡の走り書きがある。
“彼女をお借りします ユーリス”
「あらま、ユーリスさんって…どなただったかしら?聞いたことあるわね…」
「…俺の弟弟子だ。あのガキャ……」
ああ!とエレンディラは手をたたいた。
「以前あなたがよくグチをこぼしていた子ね! “俺の居場所をとりやがってー”ってね。あのころまだ13,4の子をけなすわくさすわで、子供みたいでかわいかったわあ、あなた」
「そんな低次元なことしてない! 取り入るやり方が汚いと言いたかったんだ!」
「だあって、あなたお片づけしないから卿がキレて
“手伝いのユーリスさんの方がマシだーっ! しばらく出入り禁止ーっ”
ていう流れだったじゃない。
腕はよくても基本ができないとすべておじゃんのいい症例だったわねえ」
症例言うな、だいたいあいつは、とジルは数年ぶりにユーリスの悪口に没頭しそうになったので妻はそれを遮った。
「それはいいとして、なにがあったの?」
「…卿のところへ行ったときにな…」
ジルはエトナ宮のダティラーの元へ訪れ、断りの話をした。
ダティラーは残念がっており、別れと今後のことを話し合った。
その拍子に
「君の娘はどうした。連れてくればいいのに」
と言われ、「はあ?」とつい声をあげてしまった。
「この間君のところにいたのは娘だろう? あんなに君を叱る若い娘はそうそうおらんからな」
「…セシリアのことですかね。あれは手伝いで雇った者ですよ」
「! そうなのか。つまらんな。野獣が玉の子を産んだのかと見せびらしたかったのだが」
尊敬する師だがこの時ばかりは彼を半目で見てしまった。
「……俺もうちの者も黒髪に黒目ですよ。そこから金の髪と琥珀色の目がどうすれば生まれるのか、ここではそういう研究も…」
「今の話は本当ですか?」
突然助手が割り込んできた。
さっきまで部屋の隅で、ダティラーの採ったデータを整理していたのに、いつのまにかジルの横にいる。
相変わらずかわいくない弟弟子だが、ジルが見たことのない顔をしていた。
いつも興味なさげな顔しか見せない、いつの間にか大きくなってしまった青年が初めて感情をあらわにしていた。
何かを感じ取ってジルは言い渋った。
それに対して彼は苛立ちげに吐き捨てた。
「けっこうですよ。あなたのところに行けばいい話ですから。卿、申し訳ございません。明日埋め合わせしますから早退させて頂きます」
「必ずだぞ」
ダティラーは笑って足早に出て行くユーリスを見送った。
「!おい、またんか!うちの者になにする気だ!」
追いかけようとするジルを卿が腕を掴んで止める。
「よさんか。あやつがずっと捜していた女性だ。それとも馬に蹴られて死ぬかね?研究用に外に放してある」
「……っ!」
大恩ある師に止められてはなんの手出しもできなかった。
「やれやれ、これで彼も腹を据えてくれそうだな」
ダティラーは誰となく独り言をつぶやいた。
「というわけだ。師もとられ、弟子もとられそうだ」
「とったとらないの話じゃないでしょ?それにセシリアが嫌がるわよ、弟子なんて」
「……」
ジルのふてくされた顔を見て、ホント父親だわねこれじゃ、とエレンディラは笑った。




