40 夜のゴードン通り
8/27 二話目
「こっちもなんですかそれだよ。まあ、当の本人は客が増えて上機嫌だけどね。変な客でもないらしいし」
背筋が寒くなった。
知らない所で自分がからんでいるかもしれない出来事があるなんて。
そこでようやくセシリアも彼女が誰なのかを思い出していた。
「……もしかして、その方は『アライア』さんという名前じゃ…?」
「! 知ってんの!? もしかして生き別れた姉妹とか!? おもしろー!」
「以前ちょっと聞いたことがあって……。似てるのはタダの偶然でしょう」
母は生まれて一度もあの町を出たことはない。
まさか、町の人たちが捜しに来ているんじゃ……?
あの父ならやりかねない。そして父にいくらでも従う者も大勢いる。
「その、アライアさんは私の事は知っているんですか?」
「まっさか。言ってたもん。“知らない何処かの誰かさんに稼がせてもらってんのよ。悪い気もするわー”って。
ただ、あたしが気になったのよ。あんたがもしヤバイ事情とかウラがあるんならアライアにも気をつけなって忠告しなきゃいけないなと思ったのよ」
クローディアはセシリアが自分を飾らないので、よほど家が貧窮してウラで別の顔を持ち、こがねを稼いでいるのではとも考えていたのだ。
それがやばい仕事だったりすると、アライアが巻き添えになるかもしれない、と。
「なんかへんなことして、一部の男たちに顔が広くなっているんじゃないかとか勘ぐったわけ」
彼女が気にかけるのも分かる。
もし自分のせいでアライアに何か迷惑がかかったら……
この娘には事情を話して、理解してもらおうと決めた。
今は仕事中なので、後で会いにいくと約束をしてとりあえずは仕事に戻った。
診療所を閉めた後、医師に少し近所に出てくると断りをいれて、外に出た。
クローディアと待ち合わせた場所に向かう為だ。
辺りはまだ陽が沈みかけだが、娼婦がすでにちらほら立っている。
冬は深夜だと凍えてしまうから皆商売が早い。
約束の場所まで来て、クローディアを捜していると、ぽん、と肩を掴まれた。
振り向くと男がにやにやとセシリアを見下ろしている。
「はずむよ。いくら?」
「はずむ…?」
はずむとは、心がはずむとか、球がはずむとか……
ではないことはじわじわと分かってきたが、現実逃避したかった。
「ち、違います、私今待ち合わせしているだけで……」
服装見て分からないのか。離れようとしても肩を掴まれた手の力は強まるばかり。
「いいっていいって。そういう普通っぽさもたまには」
「やめて下さい普通もなにもありません!離して下さい!いや!だれか!」
まだ何もされていないうちからセシリアはわめいてみせた。
エレンディラからの教えだ。こんな時はとにかくわめいて大声をだせ。
「あんたなにしてんのよ! ケガしたいの!?」
他の娼婦たちが集まってきた。
セシリアは感激した。助かった……
男はそれでもへらへらしている。
「なんだあ? おまえら俺にケガさせるっていうのかあ?やってみろよお?」
「バッカ。ジルせんせーんとこのコに手ェ出してタダで済むかっていってんのよ」
「折られるね」
「んで麻酔なしで手術されるね」
娼婦たちが嘲った。
男が途端に青ざめていく。
「え……ジルせんせーの……あ、すいませんでした……あの、このことはどうか内密に……」
へらへらがへろへろになり、男はセシリアに深く頭を下げた。
「皆さんありがとうございます。助かりました」
セシリアは感激さめやらぬまま、娼婦たちに何度も感謝した。
「いいって、いいって。せんせーには世話んなってるし」
「ごっめーん! おそくなったあ!」
ようやく当のクローディアが現れセシリアはほっとした。
「そういうことなの……」
クローディアはセシリアの家を出てきた事情の話を聞かされ、口数が減ってしまった。
「お願いです。私の事は誰にも言わないでおいてくれませんか!? お願いです!」
必死な顔つきのセシリアに、クローディアは真顔で答えた。
「安心してよ。アライアはもしあんたのこと知ってても言わないよ。
あたしも言う気はないし? それが客とのフブンリツ? って言うんだっけ? 」
それでもセシリアの顔から不安な色は消えない。
クローディアはため息を一つ吐くとセシリアの背中をばしばし叩いた。
「いい?ここはアライアがいる稼ぎの一等地と違ってゴードン通りだよ?
あっちに行く人間がこっちにくることなんてまずないの。
こんなとこまで来なくたって娼婦はいっぱいいるんだし。
それにアライアと知り合いなのもあたしくらいよ。約束する、アライアにも念のため黙ってるから」
それから彼女特有のあどけない笑顔が向けられる。
「あたしもさ、逃げてきたようなもんなのよ。田舎の村がいやでさ。
女優になりたくって。でもうまくいかなくてこの道に入っちゃった。
女優になれないでオヤジんとこ帰るのくやしいじゃん。
でもオヤジが連れ戻しにきてさあ、それでまた逃げてこのゴードン通りに移ってきたんだ。
もう何年にもなるけどここはまず見つからないよ。
ごちゃごちゃしたトコだからね。よそ者もあんま寄りつかないし。いい隠れ場所なの、ここは」
安心しなさい、とまた背中を叩いてくる。
励まされてるのか、と分かってセシリアは笑った。
「ありがとうございます……クローディアさん」
「あはは、なにこの仲間意識」
笑っていたクローディアだが、その笑顔がふと淋しいものにかわった。
「うちのオヤジはまともな人間なんだなあって思えるなあ……口は悪くて飲んだくれだけどさ。女に手は挙げなかったし」
「もしかしてクローディアさん、お父様が恋しいんじゃないんですか?」
「はあ?」
バカなこと言わないでよ、と言う彼女にセシリアは穏やかな笑みをうかべた。
「お父様ってうちの先生に似てるんじゃないんですか? オヤジみたいなこというなって口癖ですよね、クローディアさん。怒って帰る割にはまた来て先生からまた怒鳴られ……」
「……気っ色わるい、って言いたいとこだけど、まあ、そうね」
いやいやながらクローディアは自分の本心を認めた。
「……あんたが私なら、どうする? けだものせんせーみたいなオヤジが待つとこなら、帰る?」
「帰ります。きっと。それで、一日中好きなだけ好きなこと言い合って、ケンカして、朝にはなんのケンカをしたか忘れて、また好きなこと言い合いして」
ふうん、とクローディアはつぶやいて、セシリアを見つめ、それから黙って夜空を見上げていた。




