39 常連の娼婦
8/27 3話投稿の一つ目です
「お前いい加減にしろよな。何度目だと思ってる」
ジルの言葉に一瞬緊張する。
最近は問診書もきちっと整理するようになったし、拭き掃除も行き届いていると思うし……
「うっさいなあ、もう。あたしがなにしようと勝手でしょ」
患者の女性が気だるげに言い返す。
赤い髪の先を指でくるくるもて遊ぶのに忙しくてジルの方を見もしない。
よかった、私のことじゃない……
ジルはむっとして立ち上がった。
「んじゃ来るな、自分で治せ。もう知らん。はい次の患者ー」
「ちょ、せんせー! 勘弁してよ、ツケが利くのここだけなんだよー!」
「だったらこんな事する男と手を切れバカ!」
「親父みたいな口きかないでよ気色悪い!」
彼女のように、打撲や裂傷を負ってやって来る患者はたまにいる。
街頭に立つ娼婦が大半だ。
客に受けたのもあるが、中には彼女、クローディアのように付き合いだした男から受ける場合もある。
客からの負傷は娼婦の元締めが良心的であればわずかでも治療費を出してもらえるが、客が恋人になったら治療費は出るはずもない。
「あたしが頼み込んでやってる傷なの。愛の証なの。さすがに変な色してきたから一応来たんだけどさ」
「化膿してんだよ! バカあほ! 頭ん中も化膿してんだろ!」
「ひっどー! んでカノーって何!?」
「お前の別名だ!」
世の中色んな人がいるのね……
セシリアは理解不能なクローディアをついしげしげと見つめた。
こんなに肌がきめ細かくてきれいなのに、自分から傷を欲しがるなんて……
傷の治療はしっかり受けてから、
「もう来ないよ! せんせーのバーカ! けだもの!」
と捨てぜりふを吐いて立ち上がった。
ジルを見れば怒りで鼻息が荒くなっている。正にけだものになりかかっている。
これも、いつもの光景だった。
あまり近づかないようにしよう、と診察室から遠ざかると、玄関口でクローディアが手招きをしていた。
「?」
「あんた、お金に困ってない?」
クローディアが傍まで来たセシリアの耳に声をひそめてささやく。
彼女の意図が分からず、その顔を覗き込む。
少しの幼さと妖艶さが混じり合った顔にある、緑の目がセシリアをしっかりととらえている。
さっきまでと違って明るい気配がない。
「いえ別に困っていませんけど」
「無理しないでよ。そんな地味で年代物のドレスで飾りっ気もなくてさ。ダンナ食わせんのに大変なんでしょ?」
そんな風に思われているのかと苦笑するしかなかった。
でもまあ、そう思われておいた方がいらぬもめ事を呼ばなくていいか。
「この服装は私が好きでしているものですから」
「ええー? そんなおばちゃんみたいな服装? もちっとマシなの着なさいよ」
「うーん、でもこういうのしか持っていませんし……」
「まあ、それはともかく…… あんた、お金なくてヤバイことに手ェ出してる、なんてことないよね?」
「え?」
予想もつかなかった問いにセシリアは首を傾げた。
「やばいことって……なんです? 毎日先生の周りを拭いて回るかくらいしかしていませんけど」
「うん、まあ、そうだよね、するわけないよね。悪い、聞いてみただけ」
そんなこと言われても気になるだけだ。
笑って帰ろうとするクローディアを引きとめる。
クローディアは、んー、と少し迷ってから話した。
「あたしが別の河岸で立ちんぼしてたとき知り合ったハコの娘がいるんだけどさあ」
「えっと、カシとかハコって……???」
「……あんたつくづくなんでここに住んでんのかわかんないわ」
説明によれば、彼女が別の場所で街頭に立って客を取っていたとき知り合った、部屋持ちの娼婦がいるらしい。
ちなみに部屋持ちは街頭に立たずとも元締めから客と部屋を与えられる。
「あんたに似てんのよねえ。目の色とか髪の色はまあ、多少違うけど、顔立ちがさあ」
なんだか記憶の何処かにこれに符号しそうな話があったような……
記憶を手繰ろうとしたセシリアをよそにクローディアは話を続ける。
「その娘と最近会ったんだけど彼女が言ってたのよ。“最近客の中で、人違いで訪れるオトコが来る”って」
「人違い?」
「よく言われるんだってさあ。“こんなに似てるのに”って。で、誰に似てるのか聞いても教えてくれないんだって。それも1人ならともかく、少なくとも3人か4人はいるって言うのよ。
……つまり、分かるでしょ。彼ら、あんたのこと言ってんのよ」
セシリアは唖然とした。
「……なんですかそれ……」




