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落 陽  作者: nonono
第二部 秋
31/78

31 ジーンの家

 そこは古びた集合住宅だった。

 近くの川を利用して機械を稼働させる紡績工場が立ち並ぶ。物珍しさでしげしげと見つめていた。

 子供達が石畳で元気に遊んでいる。

 聞いたとおりの部屋を訪ねると、扉の向こうから現れたのは赤子を抱えた女性だった。

「どなたですか?」

 黒髪の長い髪の間から見える顔色はあまりよくない。

 セシリアは少しの間目を伏せ、自分を落ち着けた。

「私、セシリア・ユイロッサと申します。ジーンさんに、ここで待てと言われて来ました」

 そう告げると、女性は赤子をぎゅっと抱き、うつむきしゃがみ込んだ。

 ぐあいでも悪くなったのかと近寄ると、彼女が嗚咽しているのが分かった。


「お母さん、どうしたの?」

 奥から小さな女の子がとててと駆け寄る。ああ、とセシリアはもう一度、目を閉じた。

「なんでもないのよ。お外で遊んでてくれる?ミラ」

 母に促され、少女は大人しくこくりとうなずいて外へ出て行く。

 彼女が見えなくなると女性はセシリアを中に招き入れた。


 女性はアデルと名乗った。

 紡績工場で働いていたが、今は子育てに専念している。

「あなたのことは聞いておりました。フィル…いえジーン…ですね、本名は」

 腕の赤子がよく眠っているようなので、ベビーベッドに移す。

 その屈む姿はゆっくりとした動作で、腰を痛めているのだな、と気づく。

「あの、お体の方、大丈夫ですか…?」

「ええ。工場の仕事がきつくて痛めてしまったんです。お気遣いなく。それよりあの人の事を話さなくてはいけませんね」

 弱々しい微笑みを向けられ、セシリアはどういう顔をしていいか分からなかった。

 テーブルに落ち着くと、アデルは静かに語り出した。

「…あの人は、傷痍軍人としてこの街をさまよっていました。

 記憶が抜け落ちていて…私が世話をしていたんですが、いつしかいなくてはならない人になったんです。

 そのうち彼は全てを思い出しました。

 そしてあなたの為にも帰らなければ、と言いましたが私が引き留めてしまったんです。

 …お腹にあの子、ミラがいたんです…」

 予想はしていた。

 思った以上にショックもなにもなかった。

「…こんな事お願いするのは…勝手なのはわかっています…でも…お願いです…あの人を連れて行かないで下さい!あの人が、生きていると知れたら彼はまた戦場に行かなければならない…そうして戻らなかったら…?

私は今働くことが出来ません、どうやってこの子たちを育てれば…」

 セシリアは返す言葉が見つからない。

 子を育てる辛さを持たない者に何を言うことができるだろう。

「この子達にも私にも、かけがえのない人なんです!お願いです!あの人がいなくなったら私は…!」

 泣き伏せるアデルに、セシリアは、自分の言うべきことが一つしかないことが分かった。

 赤子はまだ6ヶ月、ミラは3才だという。ならば。

 今から言おうとしている言葉の他に言えることがあるだろうか。


「アデルさん。私は彼を連れ戻しにきたわけじゃありません。当局に知らせる気もありません。

 …ただ元気で暮しているのか、それが知りたかっただけなんです。安心してください」





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