24 伯爵
「旦那様がお呼びです」
部屋に下がって帰る支度をしようとしたセシリアをグラントが呼び止めた。
先程の事で精神的に参っていたが、断るわけにいかない。のろのろと執事の後を歩く。
案内された部屋に今だ重い気分を抱えて入室した。
ライベッカ伯、スタンレイはすでに晩餐の正装を解いて楽な服装となっている。
「先程の話はともかく、仕事ぶりに問題はない。知人が家庭教師を欲しがっていてね」
それでも威圧的な印象は変わらない。
先程はテーブルが遠くよく見えなかったが、こめかみの辺りと頬に小さな傷跡がある。
若い頃は軍官であったのだろうか。
それらの傷が威圧感をいっそう際立たせている。
「次の仕事が決まっていないのならぜひお願いしたいのだが。紹介状をしたためてある」
質のいい素材の紙でできた封筒が二人の間にあるテーブルに投げ出された。
ありがたい話ではある。
あのように断罪しておきながら、それを混同しないで能力を認めてくれた。
……と、普通なら思うところなんだろうか。
いくら次の仕事が欲しい身でも、これ以上ライベッカ家に世話になるほど厚顔無恥でいたくもない。
「とてもありがたいお話ではございますが…」
「断るというのかね?話はすでに通してあるのだが。これは驚いた。更に泥をかけられるとは」
くっとが笑う。
断るな、ということか。
セシリアの戸惑いの色を読み、スタンレイは幾分か表情を和らげた。
「断る選択は一度会ってから決めてくれていい。明日さっそく挨拶がてら相手方へ行ってもらう。よいな?」
はい、と言うしかないだろう。
翌日、馬車に揺られて向かった場所はソネンフェルド伯爵家の邸宅。
庭でパーティーが行われている。
秋の優しい木漏れ日の中ではさぞかしここちいいだろう。
貴族たちが集まって優雅に歓談するさざめきが聞こえる。
「やあ、良く来てくれたね。話は聞いていたよ」
恰幅のいい、白いカイザー髭のソネンフェルドが、これからちょうど庭へ向かおうとしていた足を止めて出迎えた。
礼を取り、挨拶をすると伯爵はにこにこと笑い、そばにいた仕えの者に何か言いつけた。
現れたのは黒髪の青年。伯爵と同じくパーティの正装姿だ。
まさかこんな大きいのを?
「兄のイアンだ。今は居ないが下に8つのリドリーがいる。先生にはリドリーの世話を頼みたい。私はこれでも忙しい身でね。今日のところはイアンから色々聞いてくれ」
それからイアンになにか耳打ちをしてパーティ会場に戻っていった。
当の本人がいないのが残念だな、と思っていると、ぐいっと腕をひっぱられた。
「さっ、まずどこから案内しようかせんせー。というか幾つ?」
少し垂れた黒い目に愛嬌がある青年が軽やかに歩きながらたずねてくる。
「22です。どうぞよろしくおね…」
「22!?うそ?俺と3つも違うの?しかも上?へー」
イアンの軽い口ぶりに、ああ、これこそがぼんぼんという方ね、とセシリアはよくわからない感動をした。
イアンの案内はなかなかハードだった。
あっちを行ったりこっちを行ったり。歩くのには慣れているセシリアでも疲れを覚えてきた。
中庭へ続くホールも開け放たれ、屋敷の中にもパーティのざわめきが響いている。
今日は伯爵の誕生日らしい。
「せんせーもパーティに出てみない?俺はめんどいからいいけどせんせー出たいんならつきあうよ?」
「ご遠慮しておきますわ。このような格好ですし」
あいかわらず堅実さと身持ちの堅さをそのまま形にしたような自分の服装を指し示す。
「んーでもリドリーの為にも知識として学んでおいたほうがいいんじゃないの?」
「…では見るだけにしておきます」
そう言ってテラスから庭の様子を眺める。
白いテーブルの間を煌びやかな紳士淑女たちがゆったりと、楽しげに笑いあっている。
イアンが、あっちが誰それ、こっちが誰それという説明に真剣に聞き入る。
「すごいですね、イアン様。このような大勢の方全て記憶されていて」
「あはは、当然だよ、小さい頃からだったし。で、あれは俺のいとこのケイティ。かわいいだろ」
「本当ですね。綺麗な方で…」
言いかけて、次の言葉が出なくなった。
桃色や白い花を飾った帽子。その帽子の花と同じ色をした、セシリアが見たこともない美しいドレスをまとった可愛らしい女性。
隣にはユーリスがいた。
ごく自然に腕をとりあい、二人で内緒話をし、女性が微笑む。
「ああ、ユーリスも来ていたのか。よく来たな。いつも兄の方なのに。…ああ、ひっぱられてこられたんだな。尻にひかれてんのか」
ケイティという女性がソネンフェルドに抱きついて挨拶する。
可愛がられているらしい、伯爵はうれしげに彼女に笑いかける。
「隣のが婚約者のユーリスで…」
(もしかしてライベッカ様はこれを見せる為に、あんなに強引にここへ出向かせたのかしら)
かもしれない。
ぼんやりそんなことを考えている間もとなりでイアンは話し続けていた。
「ライベッカ家の者は知ってるよね。ユーリスとはスクールが同窓でさ。俺がぼんくらだからかな、あまり仲良くなかったかもなあ。でもいい機会だし、呼ぼうか」
「いえ。私は招待客ではないので」
「そう?……せんせー顔色わるいね」
変にあどけない仕草でイアンが顔を覗き込んできた。
「そうですか?疲れたみたいです」
「あ、そっか。あんなに歩き回ったしね、休もうか」
一室に案内され、お茶をもてなされてセシリアはようやく心が穏やかになった。
とてもまったりする。
また脳裏に先程見た光景がむくむくと立ち上ってくるが、まったりしたぼんやり感がそれをかき消してくれる。
もう、どうでもいいことだ。
本当に。
……本当に?




