2 教え子
ライベッカ邸は広大な敷地と森に囲まれた「赤い宝石箱」と言われる赤煉瓦造りの大きな屋敷だった。
貴族の世界は詳しくないが、荘園屋敷でこの規模は、西の領主の倍以上の財力ではないだろうか。
「セシリア・ユイロッサ様ですね。お待ちしておりました」
わずかに白髪の交じった女性が出迎えた。彼女は女中頭のグレイスと名乗り、この屋敷の全てを取り仕切っているという。
屋敷の住人はグレイスを入れて女中が3人、コックが一人、森番の夫婦、女中のアンの夫でもある下男が一人、総計7人。
思いの他少ない人数に少しばかり驚いた。
そしてセシリアが受け持つ、主の一人娘ルーシー・アン。
「先生、ようこそおいで下さいました」
ルーシー・アンの輝く美しさにセシリアは息を飲んだ。
白金の緩やかに流れる髪に愛らしい小さな唇、澄んだ大きな青い瞳に見惚れる。
まだ10才と聞いているが、その優雅な物腰はすでに洗練されているようだ。
「初めまして、ルーシー・アン様。仲良くしましょう」
彼女の愛らしさに微笑むと、少女は嬉しさを隠さず頬を紅くして笑みを返してきてくれた。
「ルーシーとお呼びください、セシリア先生」
その親しみのある言葉にセシリアは心の底からほっとした。
自分はただの牧師の娘。貴族ではない。
厳しく礼儀や道徳、教会の教えを学んだとしても身をわきまえなくてはならない。
気むずかしい子だったりしたら、と気を揉んでいたがそれは杞憂に終わった。
最初の授業も少女は聡明さを見せた。
書き取りや朗読、読解力も上出来だ。
「先生、もっといろんなお話をきかせて?先生のお話大好き」
きらきらした瞳でいつも知識をねだってくる。
そしてセシリアの話す内容に笑ったり、怖がったり、ころころと表情が変わる。
明るくよく笑う子だ。
セシリアも彼女に教えを授けることに、楽しさを覚えてきた。
領地内の森に二人で出掛けて草や動物の勉強をしたり、森番の仕事を覗いたりした。
雨の日は雨についての勉強をしたり、簡単なレース編みを教えたり。
二人はまるで本当の姉妹のようだ、とグレイスは笑った。
それだけルーシー・アンはセシリアにべったりだった。
「旦那様はもうここに寄りつきもしないですから…」
ルーシー・アンが眠った後、一日の終わりの作業をしながらグレイスが語った。
ここに来て3ヶ月、グレイスもすっかりセシリアに信頼を置いたようで、心の内を吐露するようになった。
都会でつとめる女中じゃこうも気さくになれただろうか、とセシリアはこの環境に感謝する。たしか上流の女中は主の話題や噂話を禁じるというのだから、随分大らかな環境だ。
「お寂しいでしょうお嬢様も。ここの敷地は広すぎて近所というものもございませんから、遊び相手もおりませんで…」
女中たちは若いが、少人数でこの広い屋敷を切り盛りしているのだ、忙しい彼女たちがしょっちゅう相手をするわけにもいかない。
そういう理由でもセシリアがあてがわれたのだろう、とグレイスは言う。
(まだあんな小さなお嬢様を一人、地方に閉じこめておくなんて…)
屋敷の本来の主は王都の屋敷に、跡継ぎの長男と暮している。
なぜルーシー・アンがのけ者なのだ、と憤りを覚えたのが顔に出ていたのか、今度は話好きなアンがさらに告げた。
「ルーシー様は二番目の奥様の子ですから…家の立直しの為の結婚だったので愛のない結婚だったのですよ…ですからお嬢様を必要以上に遠ざけるのです。お嬢様ばかりでなく、次男であられるユーリス様まで、パブリックスクールの特別科へ7才からお入れなさいまして遠ざけているのです。旦那様は最初の奥様との子である長男のサイラス様だけが必要なのですよ」
「これ、そういうことをぺらぺら言うものじゃありません」
「はいっ」
「……」
自分の境遇と対角線のように間逆だ、と感じた。
必要以上に手元に置いてがんじがらめにする父。貴族でもない他人にあてがってでも関わろうとしないルーシー・アンの父。
あの子は幸せになってほしい。
肉親同士故の『闇』を見つけないでほしい。
自分のように真っ黒な『闇』を抱えないでいてほしい。
使用人などの構成は、イギリス19世紀が舞台の小説などを元にしてちょっと変えていますので、「これはあり得ない」と思われるかもしれませんが、その辺りは架空世界という事でお許しを。