16 真実
いつのまにかレイは口をつぐんでいた。
顔面にお茶を浴び、髪や鼻先から水滴をしたたらせている。
自分の手にカラのグラスがあるので、ああ私がやったのか、と気づいた。
自然と手が出ていた。
「…あなたのような恥知らずな人間がいるなんて。友人の顔をして嬉々として醜聞を広めて、なんですかそれ。あれですね、色々負けてプライドが傷ついて蹴落としたくてこんな姑息な手段しか思いつかないみっともない方なんですね。がっかりです。あなたがそういうやり方をするなら私だってあなたに色々攻撃してみせますから!」
「攻撃ってどんな?」
「教えません!とにかく苦しめます!」
濡れた顔でレイは目をぱちくりさせた。
「グ…ぶふ…ぶわはははは!」
大柄な体によく似合う笑い声が広い食堂にこだまする。
「ひーひー。先生え、先生ってさあ、ユーリスによくからかわれてないですかあ?」
「う…。そ、それがなんですかっ」
「あー笑ったぁ…すいません、先生。全部本当じゃありません。俺、先生を試しました。許して下さい」
ぺこりと頭を下げる仕草はいたずら好きの生徒そのものだ。
こんな時だけ生徒ぶって、とちょっとむかつく。
「どういうことですか。私を試すって」
「俺、入学した時からユーリスと一緒なんですよ。俺は13才であいつは11才のころから。だから兄貴分なつもりです。あとで本人にも確認してください」
兄貴分…もしかして毎年話してくれる級友は彼のことだったのか。
「俺、あいつのことが心配で心配で…あんなやつでしょ?敵も多くて…」
「あんなってどんなですか?敵が多いって…こうやって友人も多くいるじゃないですか」
「鉄仮面で愛想無し媚を知らない、成績もいいもんだから、貴族のぼんぼんには好かれてないんですよ。あ、俺は軍官の息子なんでそっち仲間いないんです。あいつも貴族ったってその派閥に入らないもんだから…」
「…鉄仮面?愛想無し?どなたがです?」
「いやだからユーリスが」
「………」
「…………ま、ともかく。さっきの話は本当の話じゃないけどああいう噂を流されているんです。ユーリスは元々気にするようなやつじゃないけど…俺は軍に誘ったんですよ。軍にも貴族様はいるが、おべんちゃらだけでやっていける訳じゃない。体力と頭がよけりゃうまいことやれる…て、そっちに進むって言ってたのに、一昨年振られちゃったじゃないですか。誰かさんのせいで」
唇をとがらせた大きなだだっ子がセシリアを睨んだ。
「えっ?私ですか?私のせいですか?」
「先生が薦めたんでしょ。言ってましたもん、医師があってるって言ってくれたって」
巨体がもんとか使うことについてはこの際置いておくとして、セシリアは慌てた。進路を大きく変更するほどのことだったとは。
「で、でも以前から考えあぐねてたみたいでしたし…私はてっきり、最初から医者の道かと…」
「えー?なんだよそれー。俺には一回も言ったことなかったじゃんかよーっ。ユーリスのばかーっ」
でかい男はいよいよ拗ねだした。これがユーリス様の二つ上…?
「…だからさあ、先生。あいつを見捨てないでくれよ…」
「見捨て…私がいつなぜそんなこと…!」
「今回ここに来たの、俺、先生がどんな奴か見てやりたかったんですよ。だってあいつ我が道を行くタイプで人の意見なんて必要ない奴ですよ。だのに先生に言われてコロッとって…。それがなんですかあなた。あなたの態度」
「えっ?ななんですなにかしてましたか私」
「ユーリスにそっけなくないですか?ユーリスも先生を避けてるし。あいつを拒絶しないでください」
「そ、そんなことしてません。私は身の程をわきまえているだけです」
「…身の程ねえ。…あいつもか。んだよ、十代がそんなんでどうするんだよ…昔から…ったくよ…」
ぶつぶつ一人でグチをこぼすレイ。この話題からセシリアは逃げ出したくなった。
「…じゃあ私、そろそろ」
「本題はまだですよ先生。分かってないなら俺が言いますよ。ユーリスはあなたが好きなんだ」
立ち上がりかけた体が止まって動けなくなった。
「…まさか。バカなこと言わないで」
「バカでかたづけますか。あなたと俺たちといるときでどんなにあいつが違うか分かりますか?」
「それはルーシー様が一緒だからです。それに男友達と女性に対する扱いが違うのは当たり前で…」
「さっきの教授の娘さんの話、コネはでっちあげでも娘さんに言い寄られていたのは事実です。だけどあいつが態度を変えたのを見たことはないですよ。愛想笑いの一つもしない。ああそれと娼婦の話も本当です」
心臓が大きく音をたてた錯覚をおこした。
レイは真剣な表情のまま言葉を続けた。
「去年、夏期休暇から帰ってきてから様子がおかしかった。
てっきり俺はあなたに振られたと思ってた。だから忘れるためには新しい女だ、と冗談で話を持ちかけました。乗って来るとは思わなかった。そういうことをする奴じゃなかったから。むしろそういう遊びを嫌うような奴ですよ」
「………」
「娼婦と遊ぶことを軽蔑しますか?でもね、男はそのくらいしないと諦めがつかないバカな生き物なんですよ。しかも結局選んだのが諦めようとしている女そっくり。そのくらい大バカな生き物」
心が波立つ。
まるでそれに立ち向かわなければならないかのように言葉を探す。
「あの方にはきちんとお相手ができたのでしょう?お土産を用意するような」
レイは少しの間黙り込んだ。
「先生、あなたあの時気になってたんですね。あれは俺があなたにカマかけてみたんです。少しでも気にかけてくれるか確かめるためにわざと大声で言ったんです。アライアちゃんていうのはさっき言った娼婦ですよ」
「……そ、そうなんですか」
「話の途中で出て行ったのは、もしや、と思ってた。さっきもあんなにユーリスのために怒って。あんなに怒るんでしたらなんで普段あんなに避けるんです?身の程ってやつですか?別になんともないなら普通にしてたって身の程はわきまえていられますよ」
「っ。全部そちらに繋げないでください。私は」
「さっきからなんでだんだん辛そうな顔をしてるんですか?別に関係ないなら普通にしてても」
「やめてください」
「あなただってあいつのことを」
「やめてください!もう言わないで下さい…お願いです…」
セシリアはそう言うのがせいいっぱいで、あとはそこから逃げ出すしかなかった。
(なぜそんな話を聞かなければならないの。聞きたくない)
またゆらいでしまう。押し込めていたのに。
廊下に出ようとして、入り口がふさがっていることに気づいた。ふさいでいるものを見てセシリアは立ちすくんだ。
そこにユーリスが戸口に寄りかかって立っていた。




