町
私には逃げ場などない。
狭い教区、町の者は誰もが敬虔な信徒。
牧師である父の言うことはこの国の王より絶対。
父は町長以上の権力がある。
母は別段奔放な性格でもない、ごく普通の町の娘。
清廉さの見本を父を始めとした全ての人間に求められ、必死に生きた人だった。いつも私を父から守ってくれた。
だが私が10才の時、父に受けた傷が元で亡くなった。
母が父のやり方に反抗しはじめたので、彼女の背中にムチを何度も打ったのだ。
父は異常なまでに潔癖さを求める人間だった。私は修道女のような生活で育った。
年頃になった頃、父の異常性がもう一つ現れる。
異性への接触を憎むことだ。母は父の中では男を堕落させる象徴であった。
その母に中も外もうり二つの私は父を苛立たせる要因である。
若い男性と言葉を交わした言葉が2,3であっても、その夜は背中をムチで何度も叩かれる。
そうまでするならなぜ父は私を修道院に入れず、手元に置くのか。
出家をするわけでもないのなら当然結婚の話が出る。父はそれらをことごとく断る。
だが町長の息子との結婚話はさすがに断るわけにはいかないのか、17の誕生日、嫁ぐことが決まった。
夫となる人は5才か6才の頃に何度か遊んでもらったことのあるジーンだった。
5つ上のジーンと遊んだきっかけは、彼が地下もある複雑な我が家の教会が珍しくて忍び込んできたのだ。
あちこちにある鍵つきのドアを開けて、父に閉じこめられていた私は何度か助け出してもらった。
頼もしい兄のような存在だった。
すぐに父に知れ、彼との交流は1週間で終わったが。
その彼が夫となると聞いて複雑だったが、まったく知らない者よりは、とほっとする。
が、結婚式が終わったその直後、夫になる男は出兵が決まった。
私には突然の話だった。
町長は散財して借金が大分あり、徴収した町の税にまで手を出していた。
その為それなりの金で兵役免除があったはずの息子はあっという間に戦地へ送り出されてしまった。
ジーンとの結婚生活は3日だった。
彼は優しい心根の人間で、激戦地に行く自分はもうここには帰ってこれないだろう、と私には指一本触れなかった。
昔と同じく彼は兄のようでいてくれた。
彼の無事を祈ったが、一月後、戦死の知らせが父から聞かされた。
「神の花嫁」という教えがある。
神の元に向かった魂は神と共にあり滅した訳ではない。
一生共にすると誓った婚姻の義はここに生きてくる。
私の夫は死んだのではなく、神の元にいるのだから、神に夫への愛を示すという教え。
これによって私は残りの一生を独り身で生きて行くことが決定された。
夫の不義意外の理由で妻の再婚は許されないことになっているのだ。
父はそれを口うるさく語った。毎日毎日。
手を取り合って一緒に生きていける者は私の人生に現れることはない。
厳格で岩石でできた巨人のような父の面倒を見て一生を終える。
ジーンへの哀れみで喪に伏せていた私は始めはそのことにピンときていなかった。
一年経ち、そのことにようやく感じ入り、ぞっとした。
再婚ができないことよりなにより、父とずっと二人きりなのかと。
だからそんな時舞い込んだ話に飛びついた。
「家庭教師をお頼みしたい」
ある日訪れたグラントという初老の男。
一昨年偶然この町を訪れ、町の案内をお世話した西の領主さまの紹介で来たと話す彼は、ライベッカ伯爵家の執事だと名乗った。
ライベッカ領地はここからそう遠くない東の広大な敷地だと聞いている。
父は苦々しい顔をしていたが、伯爵家からの話であればそうそう断ることはできない。
5年の契約という条件にも私は舞い上がった。
これが、私の生き方を変えるきっかけになるとは思っていなかった。