軍人さんと魔法使い
誰かが言った。
――「嘘つきすぎるとね、本当のことを言っても信じてもらえなくなるよ」
「閣下!」
初めて目にした者は決まって驚く、絢爛豪華な天井の高い回廊で、青年の声が響き渡った。ここは国政をになる役所であり、王族の住まう宮である。いわゆる、宮廷だ。
「――どうした」
肩で風を切るように先を歩いていた閣下と呼ばれた女性――ジェーン・シェフィールドは振り返った。陽に煌く襟足までの真っ直ぐなブロンドと、珍しい鳶色の瞳を持ったジェーンは、一切の温情のない瞳をその青年に向けた。
「か、閣下、面会の申し込みが来ています。早急にお会いしたいとの言伝を預かりました」
青年は居住まいを正して、連絡事項を伝えた。ジェーンの瞳にほんの少しでも感情が見えたなら、これほどまで緊張することはないだろう。
「誰だ?そのような約束をした覚えはないが」
ジェーンはまるで神に遣わされた天使のように端正な顔をしかめた。
「申し訳ありませんっ。お名前は伺っておりません。…ただ、会えば分かると」
「――そうか。分かった。相手は面会室にいるのか?」
一度考え込むそぶりをしたが、ジェーンは思い当たる節があったのか了承した。
―――
ジェーンは扉の前へやって来ると、律儀にノックをして扉を開けた。
「失礼する」
すると――
「やっほ。ジェーンちゃんっ」
若い男の些か快活すぎる…言ってしまえば、軟派そうな声が聞こえた。その声を聞いたとたん、ジェーンはあからさまに眉を寄せた。コイツだったか。
「…ダンバート、何の用だ。ここはお前が来るような場所ではない」
嫌々視線を向けると、自分の家かと錯覚するほどくつろいだ様子でイスに座り、無駄に長い足をテーブルに乗せていた。相変わらず態度の悪い。
ジェーンの反応を予測していたのかダンバートはあっけらかんと笑った。
「可愛くないなぁ。思いがけず俺に会えて嬉しいくせに」
「黙れ。その軽薄な口を二度と開けるな」
この軽薄さと態度の悪さがなければ、もう少しまともに相手にするのだが…という考えに至った自身に苛立ち、ジェーンはダンバートを睨みつけた。
外見だけは意味もなく整っているのが苛立ちを煽る。なぜなら、ウェーブがかった男性にしては長い栗色の髪が不思議な魅力を放ち、吸い込まれるような闇色の瞳に魅せられる女性は数知れず、その上、女性にしては身長の高いジェーンを易々と乗り越える背の高さなのだ。総評すれば、ダンバートという人物の存在自体に腹が立つのである。
「その熱視線。俺のこと好きなんでしょ?」
「黙れと言ったはずだ。私がお前に好意を寄せることは有り得ない」
「良いの?俺以上に魅力的な男はいないのに」
「寝言は寝てから言え。――用はないのか?」
用事がないなら帰る、と言外にジェーンは匂わせた。
「あるって。――これ見てよ」
ダンバートは苦笑して立ち上がり、コートから一枚の紙を差し出した。
ジェーンはその紙に何気なく視線を寄越し、その内容に顔を引き締めた。
「これは…。ダンバート、どこで手に入れた?」
尋ねられたダンバートは、満足げに胡散臭い笑みを浮かべた。
「これは模造品。――俺との取引に応じてくれれば、教えてやるよ?ジェーン」
―――
「はぁ!?今なんと言った!」
常態は”氷の女帝”とまで称される感情を表さないジェーンが、声を荒げてダンバートに掴みかかった。このような姿を目にしたら先ほどの青年などは仰天してしまうに違いない。
「積極的だね」
ダンバートは襟首を掴まれてるにも関わらず、笑顔を浮かべてジェーンの手を掴んだ。
「なっ…!触るな!」
ジェーンはすぐさま手を振り払った。
「自分だけ触っといてそれはないよ。平等が一番なのに」
ダンバートはつまらなそうに肩を竦め、両手を横に開いた。
「黙れ。お前の行動には不純な動機が見える」
「おお、俺のこと良く分かってるね」
「だから、取引なんだって。君は受けなきゃいけない。ああ勿論、”これ”がどうだって良いなら受けなくても良いよ?…とはいえ、シェフィールド少将閣下には無理だろうけど」
ダンバートは無作法にテーブルに腰をかけると、お得意の隙の無い胡散臭い笑みを浮かべ右手の人差し指で、ジェーンの手にある紙を指差した。
すす汚れた茶のコートに安っぽいズボン、白いが皺の寄ったシャツは第三ボタンまで開いており、装飾品といえば小さな翡翠色の石のネックレスと同じく翡翠の指輪が数個と遠慮がちにあるだけ。これぞ浮浪者と言っていいほどの身なり。だが、彼にはそれが違和感なく嵌り切っている。さらにはおかしなことに、威圧感や妖艶ささえも感じてしまうほどだ。認めたくはないが、それがダンバートという男の魅力なのであろう。
「…もう一度、お前の要求を言え」
「やだな。要求だなんて。簡単な取引だって」
「意味合いは同じだ」
ダンバートはジェーンに自然な動作で近づくと、長身を曲げて顔を寄せた。
「君が求めるなら何度だって言ってあげる。――俺を国王の魔術師にしろ」
「…二度聞いても、同じように腹が立つな」
その距離を気にすることなく、ジェーンは表情を動かさずにダンバートを睨みつけた。わざわざ顔を近づかせる必要はないはずだ。
「そう?なに、些細なことじゃないか。俺がそれに見合った能力を持ち合わせていることは、君が良く知っているはずだろう?」
ジェーンの態度に気を良くしたのか、ダンバートはジェーンの両肩に両手を置いた。
「お前、自分がどう呼ばれているのか分かっているか」
「なんだっけ。国一有名な魔法使い?それとも、国一美形な魔法使いだっけ?」
「……国一最悪最低なペテン師だ」
「そこは魔法使いにしてほしいよね。俺、魔法使いだから」
はたから見ると、恋人同士がみつめ合っているようである。
そのことを本人たちは知っているのか、知らないのか。
「文句を言うな。図々しい。…否定はしないということは、最低最悪である自覚はあるらしいな」
両肩に置かれた手を横目で見ると、嫌そうな顔をしてジェーンはそう吐き捨てた。
「いーや、自覚じゃなくて。俺は生きたいように生きているだけだからね。この生き方が捉えようによっては、色々な評価が出来ると思うだけ」
「詭弁を」
ジェーンはダンバートの手を振り払い、腕を組んだ。
「…仕方ない。お前は言い出したら頑固だ。不本意ながら、私の権限で出来る限りのことをしてみよう」
「ジェーン!!受けてくれるか!」
瞬間、ダンバートは笑みを浮かべ飛びついて来たが、ジェーンは華麗な身のこなしで避ける。
「黙れ。そのかわり、その軽薄な態度を改めろ!」
「もう、ジェーンちゃん。そんなことしたら俺じゃなくなっちゃうじゃん。無理だって」
「………だったら、黙れ!」
コイツをどうにかしてほしいと、切に願うジェーンだった。
―――
数日後、雑多な書類審査や面接などのもろもろを終えると、見事無事にダンバートは国王専属魔術師に任命された。
――謎だ。
ジェーンは頭を抱えはしなかったが、抱えたい衝動に駆られた。あれほど巷でペテン師や悪党やらと散々に呼ばれている悪名高いダンバートを、こうもすんなりと魔術師に据えるとは予想していなかった。いくら一席しかない国王専属の魔術師が数年間空席だったとは言え、あいつにしなくとも良いはずだ。納得がいかない。…なによりも、推薦書を提出したジェーン自身が納得していないのも疑問だが。
「ダンバート、何かしただろう」
「何のこと?もしかして俺が裏で手を回したとでも疑ってる?光栄だねぇ」
横を歩いていたダンバートは愉快そうに口を歪めた。そういう人を食った表情をしなければ、元来甘い顔立ちをしているダンバートの印象は、はるかに良いものになるはずなのだが。
「そうでもしなければ、上層部がこれほど浅はかな判断を下す訳がない」
「あっれ、シェフィールド少将閣下だって軍の幹部でしょ?」
「…そうだが、私などまだ末席にすぎない」
ジェーンはわずかに視線を下げた。
ジェーンは軍人だ。それも少将という、上から数えると位が高い高級将校である。だがそんなジェーンでさえも軍の上層部へは届いていなかった。
「へぇ、俺からしてみれば首席でも末席でも同じだけどね。買い被りすぎ。何にもしてないよ」
ペテン師というあだ名がある奴のその言葉ほど信用出来ないものはない、とジェーンは言い返そうとしたがやめた。どうせ良いように言い包められる。
―――
二人はジェーンの仕事部屋に入った。
「ダンバート。お前が言うところの取引だ。――話せ」
これは取引だったはずだ。ジェーンはソファーに相手を促しながら、眼光するどく睨みつけた。
「はいはい。クーデターの情報のことでしょ?」
ダンバートはソファーの背もたれに寄りかかり、右腕を上に乗せた。その姿はまるで、絶対的な権力を持つ為政者の如く。
「…そうだ」
ジェーンはダンバートの態度に目を瞑った。注意をしたいが、話が反れてしまっては困る。そんな小さなことよりも、国家の危機を回避することが最優先事項だ。
「ずいぶんと本格的だよ。国家転覆まで狙ってる。せめて政権奪取にすれば良いのに」
「そういう問題じゃない」
ジェーンは溜め息をついた。こいつは何なんだ。
「実はね、一緒にクーデターやらない?って誘われたんだよ」
「は…?」
ジェーンは自身でも驚くほど間抜けな声を出してしまった。”誘われた”とは”共謀者になってくれ”ということのはず。
「困るよねぇ。俺には宮廷で働いている愛しのジェーンがいるのにさ」
「……」
「で、せっかくだからジェーンのために誘われといた」
「はぁ!?お前…っ」
ジェーンは透き通る美しい鳶色の瞳を見開いて、思わず腰を浮かせた。誘いに乗っただと!
「誤解しないでよ?”ジェーンのため”なんだって」
ダンバートは苦笑して、今にも飛び掛ってきそうなジェーンを押しとどめた。
強調するように同じ言葉を言われたジェーンは、思考を巡らせてひとつの可能性に行き着いた。それは大変リスクのあるもの。凡人には無理だろうが、このペテン師ならやりかねない。
ジェーンはダンバートの真意を探るように見つめた。
「まさか…、私に恩を売るために仲間に加わったふりをしたのか…?」
その時――相手がジェーンでなければ、一瞬で恋に落ちたのではあるまいか。
「その、まさか」
ダンバートは見た者の脳裏にこびりつく、麻薬じみた美麗な微笑みを浮かべたのだ。
「…っ、お前の取引にはそういう意味があったのか。油断ならない奴め」
ジェーンは刹那でもダンバートに見惚れたことに苛立った。狂気が裏に見え隠れするこの笑みは嫌いだ。ダンバートごときに畏怖を覚えかねない。
「何のことかな?」
「とぼけるな。さしずめ、国のために働いてやるから身の保障をしろ、ということだろ」
簡単に言えば、ダンバートはクーデターの情報を危険を冒して教えるから、その見返りが欲しいということだ。間諜、スパイと言ったほうが分かりやすいだろうか。
「嫌だなぁ。そんなこと考えてないって。純粋にジェーンと一緒にいたかっただけだよ?」
尚もぬけぬけとそう囁くダンバートはペテン師だ。
ジェーンは改めて理解した。
―――
夕暮れ。古い家屋が立ち並ぶどこかの町。ダンバートはほのかに酒の香りをまとい、いっそう薄汚れた、町外れの廃墟に向かっていた。ここはホテルだったらしく、そこそこの大きさがあった。
正面玄関の扉を開ければ突然、中にいた人物に銀の剣を突きつけられた。
「…おいおい、仲間の判断さえもできないのか?」
相手はダンバートだと確認すると、剣を下げた。
「この数日、何をしていた。ダンバート」
「リーダーさんたら、野暮だな。そんなの決まってるじゃん。愛しい人のところに。ほら、しばらく逢瀬が出来なくなるから」
ダンバートは微笑んで首を傾げた。
「口外していないな?その…愛しい人とやらに」
「そりゃね。――彼女、寂しがり屋で。言い聞かすの大変だったよ」
リーダーは咎めるようにダンバートを見るが、気づいていないかのようにお得意の軽口を口にする。
「そんなことはどうでもいい。口外していないならいい。入れ。…うん?誰だ!」
ダンバートが中に入ろうとすると、人影が見えた。リーダーは侵入者に怒鳴りつけた。その人影は怒鳴られた驚きからか、盛大に転んだ。
「きゃあっ!」
ダンバートとリーダーが駆けつけると、その人影は女性だった。リーダーが息を呑むのがダンバートに伝わった。腰ほどまでにのびた癖のない美しいブロンドに、涙に濡れた鳶色の瞳。白いスカートは転んだ拍子に汚れてしまったのだろう。その頼りない様子に目を奪われた。
「シャロン!なぜここに…!ついて来たのか!?」
ダンバートは慌てて彼女に近づき、抱き起こした。シャロンと呼ばれた彼女は所在無さげに視線を泳がしたが、ダンバートを見上げると泣きそうな顔を浮かべた。
「あのっ、ダンバート!ご…ごめんなさい…、あなたの様子がいつもと違ったから気になって!私…!」
「シャロン…」
彼女を部屋に連れて行った後、ダンバートは事情をリーダーに説明しようとしたが、リーダーは必要ないと首を横に振った。
「あの、シャロンとか言ったか。お前のことしか眼中にないらしいな」
その代わりに、リーダーはダンバートに嫌味ったらしくそう言った。 ダンバートの”愛しい人”であるあの彼女がとても美しかったのが、気に入らないらしい。
「ああ、すまない。彼女は基本おとなしいんだ。今回は女の勘というやつが働いたらしい…」
ダンバートは困ったように頭をかいた。
与えられた部屋に行けば、彼女がソファーに座っていた。ダンバートも自然に横に座る。
「シャロン?」
「……」
「シャローン?」
「……」
彼女は横へ向いたまま頑として、ダンバートの言葉に反応しなかった。だが、ダンバートは落ち込むことなく、愉快げに口角を上げた。そして、彼女の高いヒールに手を伸ばした。
「…怪我してるでしょ?慣れないヒールなんて履いて。――ジェーン?」
「触るな!何なんだこの歩きづらい靴は!靴としての本来の役目を果たしていない!」
ダンバートの手が触れるよりも速く、振り向いて叫んだ。
「仕方ないよ、それは目的が違うんだから」
こけてたね、と付け加えるあたりもジェーンの苛立ちが増える原因だ。腹が立つ。
そう、この”シャロン”とはジェーン・シェフィールドのことだったのだ。
「…っ、そもそも!私まで潜入する必要は全くないはずだ!これで疑われたら元も子もないっ」
本来ならばジェーンの髪は襟足ほどなのだが、ダンバートの魔術で腰に届くほど長くなっていた。先ほどの”シャロン”は、ジェーンが役者顔負けなほど、見事に演じていたのだ。
「いーのいーの。俺は恋人を溺愛してて、恋人も俺のことが大好き。恋は盲目ってやつ」
「…鳥肌が」
「ひどいな、そんな目で見ないでよ。ジェーンなら分かるんじゃない?俺のやりたいこと」
「――お前はクーデターに興味はなく、誘われたから乗っただけだという、恋愛馬鹿な魔法使いを演じたいのだろう?」
この作戦を提案したのは、言うまでもなくダンバートだった。当然ながら当初ジェーンは断ったが、切々とここまでに至る経緯を尋ねてもいないのに延々聞かされ、ついにダンバートに根気負けしたという訳だった。ダンバートが”恋愛馬鹿な魔法使い”を演じたいという理由は、きちんと筋が通っているため、反発しきれなかったともいっても正しい。
「そうそう。でもさぁ、もうちょっとオブラートに包んでよ」
「お前ごときに気を遣う道理はない」
「冷たいな。という訳だから、よろしくね」
―――
「ただいま、シャロン」
「お帰りなさい、ダンバート!怪我してない?」
「大丈夫だよ、俺がどれだけ強いのか知ってるでしょ?」
「で、でも…」
「はぁ…」
「あれ、どうしたの。氷の女帝の異名が泣くよ」
ジェーンはここ数日間、部屋へ戻るとソファーに崩れ落ちていた。”シャロン”はジェーンと正反対の性格をしているのだ。そんな役を毎日演じるのは辛い。
「黙れ。慣れないことをしているから疲れているだけだ。その異名はどうでもいい」
「そうだね、俺も表情豊かなジェーンが好きだよ。特に笑った顔」
「知ったことか」
ジェーンは奇妙な感覚を感じていた。これまでダンバートは軽薄最低最悪ペテン師で無作法軽薄魔法使いという認識だった。もちろんその認識は変えるつもりはない。しかし、ダンバートがふとした拍子に紳士に見える瞬間があるのだ。ジェーンにとっては、それが奇妙な感覚だった。
「ジェーン、どう?」
「こちらが合図をすればいつでも対応が可能な手はずになっている」
ダンバートとジェーンは別行動をとっていた。ダンバートが情報を集め、ジェーンが軍と鎮圧方法を練るという具合だ。ダンバートが”恋愛馬鹿の魔法使い”を演じていることは、その効果が発揮されていた。思惑通り、クーデターに興味をない振る舞いをしていたため、相手側がこちらを警戒することなく多くの情報の近くに行くことが出来たのだ。
「君なら失敗はないだろうけど、何かあったら俺を呼ぶんだよ」
「…誰が呼ぶものか。そのような失態はしない」
ジェーンは眉を寄せた。こいつに心配されることは始めての経験だ。
「可愛くないねぇ。でも、ジェーンちゃんも女の子なんだよ?」
「軽薄な口を閉じろ。私はこの国に仕える軍人だ。性別は関係ない」
「俺の言いたいことは…そうじゃないんだけどね」
そう言ってダンバートが肩をすくめたことにジェーンは気づかなかった。
―――
騒がしい廃墟の夜。だが今夜は静かだった。なぜなら今夜は、クーデター蜂起の日。
皆が蜂起し、この廃墟に残るのはシャロンのみ。…のはずだった。
「今日だ…」
まさに今クーデターを蜂起しようとしていた彼らに、思いがけないことがおきた。
大きな破裂音や破壊音と共に、大勢の軍人が乗り込んで来たのだ。その軍勢を率いてきた先頭の人物は声高らか…ではないが、緊張感の感じられない良く通る声で宣言した。
「――国王専属魔術師ダンバートの名によって、ここにいる皆さんを国家反逆罪で捕縛しまーす」
「お、お前!ダンバート!!裏切ったのか!」
リーダーの切羽詰った声が響く。威厳も何もない。他の仲間たちも同様に目を見開いていた。
「裏切った?違うよ。俺は最初っから”こっち”の人。聞いたことない?」
ダンバートは普段の浮浪者のような姿ではなく、宮廷の役人が身を包む刺繍の美しい制服を着込んでいた。そのせいか、元々の魅力が洗練されたように感じられた。
「な、何!?」
「あれ、知らなかった?だから俺を仲間に誘ったのか」
ダンバートがそう、一人で納得しているとリーダーは蒼白な顔で周囲を見回した。四方八方囲まれている。逃げ場がない。リーダーは仲間の中へ行くと、一人の女性を引きずり出した。その首筋には短刀が当てられている。背水の陣とはまさにこのことだろう。
「こいつはいいんだな!?」
「きゃっ」
その女性は”シャロン”を演じているジェーンだった。ジェーンの顔を見た瞬間、多くの屈強な軍人たちにかすかな緊張が走った。皆、ジェーンの部下なのだ。
ダンバートは無様に足掻くリーダーに嫌そうな視線を向けた後、ジェーンに笑いかけた。
「いつまで猫かぶってるつもり?――ジェーン・シェフィールド少将閣下」
「……黙れ」
その声はかつてない怒りに満ちた声だった。ジェーンは予定外の行動をしたダンバートにも、自分を雑に扱ったリーダーにも苛立っていたのだ。…こいつら。
ジェーンは目にも止まらない俊敏な動きで、リーダーの短刀を持つ手を捻り上げると、石の床へ向けて投げ飛ばした。
「――私に指図するな。ダンバートごときが」
「ひゅう。かっこいい」
「――この者たちを全員残らず捕縛しろ。逃がすなよ」
ジェーンは茶化すダンバートの言葉は無視し、部下に命令を下した。
―――
廃墟の外で次々と運び出される、火器や書類などをジェーンは眺めていた。
これが終われば今回の全ての問題は終わる。
「ジェーン」
ジェーンはとたんに奈落の底に落とされた気分を覚えた。ああ、ダンバートがいたんだった。
「何だ」
「そっけないね。随分と長い間、一緒の部屋に住んでいたのに」
ダンバートはジェーンの隣に歩いてくると、ジェーンの顔を覗き込んだ。
「いちいち顔を近づけるな」
ジェ−ンはダンバートから離れた。ダンバートの言う通り、長い間を過ごし、ジェーンにとってダンバートは過去ほど嫌な奴でなくなっていた。その新しい感覚に、理論的な頭がついて行けなかったのだ。
「あっ、だめだめ。ガラスの破片が散乱してるから」
「はっ!?こ、こら!何をする!下ろせ!」
しかし、歩き出したジェーンはダンバートに抱え上げられてしまった。それもお姫様抱っこ。
「裸足なんだから、怪我するよ」
「ガラスの破片で怪我するほどやわな体ではない!」
ジェーンは周囲の部下の視線と、至近距離のダンバートに慌てた。何をする…っ!
「嫌だよ。ジェーンは少将閣下である前に、俺の好きな子だから。怪我してほしくない」
「好き、な子…?」
ジェーンはいつもの軽口とは違う響きを感じ取り、疑問を抱いた。
「良し、動かないでね。明るいところに行くから」
「ちょっと待て。…ダンバート、お前…私が好きなのか?」
ジェーンは訳が分からないうちに馬鹿みたいなことを、よりによって口に出してしまっていた。
ダンバートは動きを止めると、沈黙した後に苦笑した。
「……。おかしいなぁ、ずっと言ってるつもりだったのに。――ジェーンが好きだよ」
「ほ、本気か!?いや嘘だろ!ずっと、ただの冗談だと…」
「あのね、いくら俺がペテン師だとしてもだ。好きでもない奴のために、スパイじみたことなんてやらないって。ジェーンだからやってるの」
ジェーンは絶句した。
この時にはもう、周囲の視線や自分の現状のことは頭になかった。
―――
そうして、クーデター未遂事件から一ヶ月が過ぎた頃。
ジェーンは宮廷の回廊を歩いていた。数ヶ月前と何一つ変わらない毎日…は到底過ごせず、悩みを抱えていた。これも全てあいつが告白とかいうものをしたせいだ。
「ジェーン?」
「っ!…ダンバートか」
「どうかした?調子でも悪いの?危うく柱にぶつかりそうだったよ」
ジェーンが見上げれば目の前に柱があった。それに気づかないほど考え込んでいたようだ。
「ダンバート」
「何かな?」
ダンバートは首を傾げた。
「私は、お前に呪われるほどのことをしたか?…あの日から、お前を見かけると、動悸息切れや体温が上昇したり、夢にまでお前が出てくるんだ!何の恨みだ!」
「へ…?」
「ほら見ろ、頬まで熱くなる!」
そう一気にまくし立てて、ジェーンはダンバートに背を向けた。後悔が募ってくる。
「――こっち向いてよ、ジェーン」
「黙れ!お前を見ると息切れが激しくなって倒れてしまう」
「倒れたら俺が介抱するよ」
「尚更嫌だっ」
「はは、仕方ないな」
「わっ…!」
ジェーンはいきなり体を回転させられ、ダンバートへ向かされてしまった。
「本当に可愛いよね、ジェーンって」
「なっ…」
ジェーンは瞳を見開いた。可愛い!?
「それね、病気なの。――俺に恋しちゃった病気」
「こ、い!?私がお前に!?有り得ない!」
「認めちゃいなよ。ほら、俺が近づくと動悸が激しくなるでしょ?」
ダンバートは胡散臭い笑みを浮かべ、ジェーンに歩み寄る。
「……っく!」
図星だった。動悸はおさまるどころか増すばかり。
「俺は初めて会った時からジェーンのこと好きだよ?」
この時初めて、ダンバートの悪のない本物の笑顔を見た気がした。
誰かが言った。
――「信じてもらえなくても、諦めないで本当のことを言い続ければ信じてもらえるかもね」