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Black Luck

作者: Lefty

閲覧してもらった方には申し訳ないのですが、

短編ですが現在も執筆中であります。

 車から降り、少女は長髪をなびかせながら夜景を見渡していた。

 彼女にとって外は久々だったため、夜景はどことなく懐かしさを感じさせる。

 ここは、商会が取引する際に使われる施設の前。

 ただし表向きに取引するのとは違い、法では禁止されている密売を行うための施設である。

 付き添いとともに中に足を踏み入れる。ロビーは明るく装飾は華やかだった。

 周りに目を向けると、少女は周囲から明らかに奇異の目で見られていた。

 風貌が施設の雰囲気にあまりに場違いなのだ。

 しかし、全く動じていなかった。場慣れしているのである。

 ここが少女の職場であり、役割を果たすことで商会から莫大な金が与えられる。


「……奥へ」


 案内の人間が奥の部屋へと促す。

 さて、仕事の始まりだ。



『殺人鬼と化した異能の少年、極刑が下される!』


 新聞の見出しに目が入る。決して愉快な記事ではなかった。

 異能とは、通常の人間ではなし得ない能力をもった人間のことである。

 能力といっても些細なものがほとんどである。

 それでも世間は彼らを軽蔑の眼差しで見ていた。些細なことがきっかけで警官から銃撃されることだってある。

 今回の記事だって、世間の扱いがまともなら犯罪者になんてならなかっただろう。

 マスコミは異能についての暴論を並べ上げ、世間の目をより頑固なものにさせている。

 嫌な悪循環だった。


 新聞から目を背け、男は部屋のソファーに倒れこむ。

 男の名前はヴィレム。

 一ヶ月前にこの街に来て、とある女性のつてでマンションの一室を借りて生活している。

 今は起きてから軽く着替え、シャツとジーンズに緩めたベルトを身に着けていた。

 ベルトに多少なりシルバーの装飾があるだけで、全体的に黒を基調とした服装である。

 また後ろ髪が長く、艶のある黒が肩まで伸びているのが特徴的な髪型だった。

 年齢は二十歳ごろだが、年の割に顔は少し大人びていた。


「おはようヴィレム。早めに来て少し部屋を片づけといたよ」


 傍から声がかけられる。そこには短髪で中性的な顔立ちの女性が立っていた。

 茶髪で、白のショートパンツに黄色のシャツと白色の革のベスト。

 いつものことながらラフな格好をしている。

 彼女の名前はクロエ。ヴィレムには恩があり、好きで彼の世話をしている。

 ヴィレムにマンションを紹介したのも彼女である。

 性格はとても活発で、昼間は記者の仕事で街中を駆け回っている。


「もう来てたのか。いつも悪いな」

「うん、はいこれ朝食ね」


 テーブルにはパンが二枚にシリアルとベーコンエッグが並べられていた。

 ヴィレムは気だるそうにテーブルの椅子へと腰を落とす。


「全く気付かなかった。今朝はどうもダメだな」

「いつものことでしょ。洗濯終わったから私はもう行くね」

「なあクロエ」


 玄関に向かおうとしたクロエは、きょとんとした目でヴィレムを見る。

 普段ヴィレムがクロエを呼び止めることは滅多にないからだ。


「クロエは、この記事についてどう思う?」


 ヴィレムが見せた記事は、さっきの異能の少年についての記事だった。

 それを見て、クロエは少し表情が陰っていた。

 クロエの職業は記者であり、彼女は記事の内容を肯定する立場にある。


「その記事は私が書いたものじゃないよ。……じゃあまたね」


 ガチャン、と扉が閉められ、辺りが静寂に包まれる。

 ヴィレム自身クロエにはとても感謝しているが、たまにこのようなことでぎくしゃくすることがある。

 この町の記事は偏った意見が多く、その件でクロエに当たってしまうのである。

 そのような記事はクロエが書いたものでないことなんて分かっているというのに。


 食事を済ますと、「なんでも屋」と書かれた看板をかけに玄関へと向かう。

 ヴィレムは「金さえ払えば何でもします」という何ともアバウトな方法で生活費を稼いでいた。

 それでもクロエが新聞に取り上げてくれたために、客が来ないというわけでもない。

 くたっとソファーに倒れこむと、ちょうどそこで玄関の呼び鈴の音がした。


「……んああ」


 またも気だるそうに体を起こし、玄関へと向かう。

 緩めていたベルトを締めなおし、ゆっくり扉を開くとその先には一人の少女が立っていた。

 髪はプラチナプロンドの長髪。服装は白のワンピースを身に着けていた。

 風貌は何の変哲もない少女だが、手に握られた大きめのスーツケースが少し不可解だった。

 少女は汗だくで、呼吸もかなり乱れている様子だった。


「あ、あのっ!急で、ごめんなさい。た、頼みたいことが!」

「話なら中で聞くよ。取り敢えずあがりな」


 ヴィレムが中へ促すと、少女はよそよそしく部屋へと入っていった。



 早朝からクロエの気分は少しばかり沈んでいた。

 あの質問に「よく思ってない」と言えばこんな気分にならなかっただろうか。

 でも、彼女にはその言葉が自分の本心として届くとは思えなかった。

 嘘をついたと思われるよりは誤魔化したと思われた方が幾分気が楽だった。


「それにしても、今日は騒がしいな」


 街では高級車に黒いスーツを身に着けた人が何人も駆け回っていた。

 恐らく商会の人間である。今日は随分と慌てている様子だった。


「ネタになりそうな予感だね。分かることだけでもメモ取っとこう」


 沈んだ気分を払拭してメモ帳を取り出そうとしたところで、前を歩く男性と目が合う。

 彼もクロエに気がつくと手を振って、彼女に近づいてくる。


「おう、クロエ」

「先輩、おはようございます」


 クロエの部署の先輩だった。

 名前はクラウス。後輩への面倒見がよく上部の人とも隔たりがない。

 クロエとしても良い印象を持てる人物である。


「先輩見てくださいよ!これってスクープじゃないですか?」


 早速クロエがこの件について話を振ると、クラウスの表情は一転して苦々しいものとなった。

 少し考え込み、クロエに対する言葉を慎重に選んでいる様子だった。


「言いにくいんだけどな、お前これに関しては記事書くなよ」

「……は?」


 クロエには、クラウスの言っている意味が分からなかった。

 ただ、クラウスの苦々しい表情からは何か嫌なものが感じ取れた。


「それは、どういう意味です?」

「商会から物凄い圧力がかかってるらしいんだよ」

「圧力って、それで引き下がるんですか!?」

「冷静になれよ。奴らの反感を買えば町長丸め込んで町から追い出されかねないぞ」

「でも……!」


「クロエ、気持ちは分かるがこの件に関しては触れないが吉だ。商会も今回ばかりは本気らしい」



 マンションの一室。そこには一人の少女とヴィレムが応接間で向かい合うように座っていた。

 ヴィレムは真っ直ぐ少女の顔に目を向け、一方の少女は俯いて気まずそうな表情をしている。

 二人の間には玄関で対面したときとは違い、少し重たげな空気が漂っていた。


「もう一度言います。ここに1000万ドル用意してあります、この1000万ドルで私をここから遠く離れた町まで連れて行って下さい」

「金に物を言わす交渉ならお断りだ。まずは事情から話してもらおう」

「名前はティルラといいます。私は今、商会に追われる立場にあります」

「商会?ならその大金はどうやって手に入れたんだ?」

「ごめんなさい、これ以上詳しくは話せません……」


 ティルラはそのまま俯いたままで、これ以上何も話そうとはしない。

 彼女は今にも泣きだしそうな表情をしていた。

 お互いに何も切り出さない。静寂だけがその場を包み込んだ。


「……」


 数分が経過したところで、先に沈黙を破ったのはヴィレムの方だった。


「かくまうだけならしてもいい。奥の部屋を身を潜めてな」

「……え?」


 ヴィレムは無言で玄関に向かい、コートを羽織って外へ向かった。

 ガチャリ、とゆっくり扉が閉まる。


「さて、と」


 本人が喋らないのなら自分で情報を収集するしかない。

 事情を知った上で、彼女を品定めする必要がある。

 壁にもたれかかり、胸ポケットから携帯電話を取り出す。

 電話の相手は、知り合いの情報屋だった。



「最っ低……」


 クロエの気分はいつにも増して沈んでいた。

 部署の同僚に商会の話をしても、だれもが気まずそうに顔を背けるだけだった。

 この町の記者は、上からの命令に対して忠実すぎる傾向がある。

 原稿が偏見に満ちた暴論だろうが言われるがまま記事にする。今回の件に関してもそうである。

 クロエは自分の正義感のままに記事を書きたいと思ってこの職業を選んだのだ。

 だから今回の件でより一層その気持ちを踏みにじられたように感じられた。


「私だけなのかな」


 クロエは自然とヴィレムの部屋に足を運んでいた。

 ヴィレムは周りと違った価値観を持っており、このような話をすると意気投合することがある。

 それに意見が食い違っても、神経を逆なでするような返しは決してしてこない。

 ヴィレムに話を聞いてもらえば今の気持ちが少しでも楽になると考えたのだ。


「3-306号室……っと」


 ドアノブを回すと、ガチャンと音を立ててゆっくり扉が開く。

 カギは空いている。出かけているわけではないようだ。


「こんばんはヴィレム。ちょっと話を聞いてほしい、んだ、けど……」


 ヴィレムが生活しているはずのこの部屋で、クロエの目に入ったのは一人の少女だった。

 クロエの頭に浮かんだのは邪推だったが、彼にそういう趣味がないことはクロエが一番よく知っている。

 少女はクロエを見た途端、凍りついたような表情になっていた。

 どうやら驚いているのは相手も同じである。クロエは思い切って自分から切り出した。


「あの、あなたは?」

「……商会、じゃない?」

「商会?」


 普段ならなんとも思わなかったかもしれない。

 しかし今日のクロエは商会というワードに敏感だった。

 もしかしたら今回の件に関連した人物なのかもしれない。

 そしてこの少女が関わっているというのなら、恐らくはヴィレムも。


「貴方はどうしてここにいるの?」

「あの、依頼で……匿ってもらってるんです」

「匿ってって、ヴィレムとの関係は?彼はどこにいるの?」

「何も言わずに出て行っちゃいました」


(……ヴィレム?なんのつもり?)


 クロエには自分が知らないところで、何かが着々と進んでるように感じられた。

 少女の言葉から鑑みるに、彼女が追われる立場ということは察しがつく。

 町中を騒ぎ立てている今回の騒動、もしかしたらこの少女が中心に回っているのかもしれない。


「あの、もしよかったら、」


 クロエはそこで区切り、深く息を吸って今一度頭を整理した。

 彼女は今、部署の先輩の忠告を押し切って、危ない橋を渡ろうとしている。


『クロエ、気持ちは分かるがこの件に関しては触れないが吉だ』


 一瞬、先輩の言葉がクロエの頭の中にフラッシュバックする。

 なめるな、と思った。クロエにも自分の意思を突き通す意地がある。


「……私の名前はクロエ、この町で記者をしています。もしよかったら、お姉さんに詳しく聞かせてもらえないかな?」



 夕日が沈む頃、ヴィレムは路地裏に立っていた。

 もうじき冬を迎えるためか、コートを羽織っていてもいささか肌寒い。

 ヴィレムが馴染みに頼みごとをしてから、もうすぐ5時間が経過しようとしていた。


「……ヴィレム、大体の情報は掴んだぞ。やはりその女の子は商会と密接に関わっている」


 路地裏の奥、暗闇から姿を現したのはクロエの先輩であるクラウスだった。

 彼は表向きは記者の仕事に就いているが、裏では危ない情報をやり取りしている情報屋でもある。

 そもそもヴィレムがこの町に来た理由はこのクラウスである。

 各地を放浪するヴィレムから情報を仕入れるべく、定期的にクラウスが呼び出すのだ。


「すまないな、もう少し噛み砕いて頼む」

「彼女は異能で、しかもかなり強力なものを持っている。相手と目を合わせるだけで心中を完全に把握できる能力らしい」

「……なるほど、商会が欲しがりそうな能力だな」


 心中の把握。

 それは駆け引きが重要となる場において、反則的ともいえる能力である。

 密かに握った弱みをチラつかせれば、思うがままに取引を進めることができる。

 相手にしてみれば、取引現場に訪れた時点で”負け”となるのだ。


 そもそも数年前までは商会もいくつかの組織に分かれていて、それぞれ名前で区切られていた。

 その中で急激に力を持ち始めたのが7年前にできたマウロ商会だった。

 当時では新参の商会として扱われていたが、それは一転して急激に力を持つようになっていった。

 凄まじい勢いで他の商会を吸収していき、それはいつしか全ての商会を統一するまでとなっていた。

 これが事実なら、ティルラという少女は今回の騒動どころかその快進撃の中心にも立っていてもおかしくはない。


「さて、さっさと彼女を商会に引き渡してくれないかい?町の人もびくびくしてるんだよ」

「商会が、そんなに怖いのか?」

「誰もがアンタみたいに強くはないんだよ。ことが収集しないことにはまともに生活できない」


 クラウスはそこで一旦区切って、それに、と付け加えた。


「この件で商会はかなりヤバイのを連れてきているらしい。いくらアンタでも首を突っ込まない方が身のためかもな」

「……手間をかけさせたな、金はあとで振り込んでおく」


 ヴィレムはクラウスの忠告に対して特に考えることもなく、その場を立ち去ろうとしていた。

 それを見て、クラウスは初めて腑に落ちない表情になった。


「死ぬんじゃないぞ!アンタは俺にとって憧れでもあるんだからな!」


 離れていくヴィレムに対して放つ叫び。

 クラウスは情報屋だからこそ、相手を十分に把握していた。


「退くときは退いてくれ!頼むから死んでくれるなよ!!」


 クラウスの声がヴィレムにどこまで届いたのかは分からない。

 ヴィレムは路地裏の影へひっそりと溶け込んでいった。



 クロエはマンションの一室で夕食の準備をしていた。

 時間は既に午後七時を回っている。ヴィレムは未だ戻っていなかった。


「なんか、よくしてもらってすみません……」

「気にしないで、こんなの朝飯前だから」


 結局のところ、クロエはティルラから詳しい事情を聞けていなかった。

 聞けたといえば名前くらい。商会の件については何度聞いても頑として話そうとしないのである。


「ティルラちゃんは何か好きな食べ物とかある?」

「いえ、特には……」


 ティルラは会った当初から依然として謙虚で気まずそうな態度のままだった。

 時間がない。せめて少しでも心を開いてくれれば。


「あの人は……いつ戻るのでしょう」

「どうだろう、気まぐれだからね」

「そう……ですか」


 ティルラは少し焦っている様子でもあった。

 恐らくは、商会の追ってを思ってのことだろう。


「それじゃ晩御飯にしましょう!パスタ作ってみたんだけど、お口に合うかな?」

「すみません、いただきます」


 クロエが料理をテーブルに並べると、ティルラは慣れた手つきでフォークに絡めた麺を口に運んでいく。

 このパスタは特製の味付けで、クロエにとっても自信のある料理だった。

 これで気が紛れれば幸いなのだが。


「あれ、これ……」

「……ダメ、かな?」

「いえ、パスタは何度も食べたことあるんですけど……この味は食べたことがない」

「本当に?そんな美味しそうに食べてもらったの久しぶり」

「なんでだろう、本当に美味しい」


 パスタを口に運んだときに見せた表情。

 それが初めてティルラがクロエに見せた笑顔だった。

 それを見て、クロエも思わず顔がほころんでしまっていた。


「まだあるから、いっぱい食べてね」

「はい、ありがとうござ」


 急に、ティルラが怪訝そうに顔をしかめる。

 荒々しい足音が、小さくも徐々に近づいていることを敏感に感じ取ったのだ。


「どうしたの?」

「静かに。クロエさんは隠れてて下さい」

「え、でも……」

「早くしてください!!」


 しん、と場が静まり返る。

 あれだけ謙虚だったティルラが、初めて大声を出したのだ。

 その刹那、ダンッという音とともに扉が乱暴に開け放たれ、黒服の男が五人部屋の中に侵入する。


「止まれ!誰も動くな!!」

「私ならここにいます、勝手なことをしてごめんなさい。相応の報いは受けるつもりです」


 それぞれが抵抗あらばすぐにでも射撃ができるように銃を構えている。

 クロエはどうにか男たちが入ってくる前にソファーの陰に隠れていた。


「男はどこだ?かくまっていた男がいるはずだろう」

「今この部屋にはいません。私なら抵抗しませんから、彼には手を出さないでください」

「それはオーナー次第だろうな。連れて行け」


 四人の男がティルラを拘束して、ゆっくりと連行していく。

 クロエにはソファーの陰で隠れながら、ことの経過を見守るしかできなかった。

 幸い、このまま進めばクロエが見つかることもないだろう。


 ガチャン、と確かに扉が閉められる。


 そこでやっと全身に張り詰めていた何かが緩んだ気がした。

 クロエは拳銃に恐れをなし腰が抜けてしまった自分に対して、ただただ嫌悪感を感じるだけだった。


「あの子、拳銃に全く動じてなかった」


 初めて、ティルラが闇の中で生きていた人間なんだと実感した。

 無垢な笑顔で料理を頬張っていた、あの少女が。


 テーブルには二人分の食器が用意してある。

 おおかた男たちは、部屋の中にもう一人隠れていることを察していただろう。

 抵抗の意思がないと分かり、ティルラの連行を最優先にした、といったところか。


 恐らく彼らの中では、隠れていた人物はヴィレムとなっている。

 そしてティルラが商会に戻ったら、ヴィレムに対しての審判が下る。


「ヴィレム……」


 閑散とした部屋の中で、クロエは小さく呟いた。



 ヴィレムは暗闇の中、マンションの自室へと足を運んでいた。


 クラウスの言い分も十分に理解できた。

 住民のことを考えれば、すぐにでもティルラを商会に引き渡すのが最善なのだろう。

 

 ヴィレムがマンションの三階までたどり着くと、微かに部屋から香ばしい香りが漂ってきた。

 この匂いには覚えがあった。クロエが作るパスタである。


「クロエが来ているのか」


 あの部屋にはティルラがいる。何か嫌な予感がした。

 急いで部屋の扉を開けると、そこにはソファーの上にクロエが仰向けに倒れこんでいた。

 外傷があるわけではなさそうだ。

 目元を腕で覆い、疲れきっている様子だった。


「ヴィレム」

「女の子が、いたはずだが」

「連れて、いかれちゃった」

「……そうか」


 テーブルには二人分の皿があり、それぞれパスタが盛り付けてあった。

 片方は食べかけ、もう片方には全く手がつけてなかった。


「私ね、何にもできなかった。ほんの少し前までは私が守るって、思ってたのに」


 クロエの言葉を聞きながら、テーブルの椅子に腰を下す。


「あの子拳銃を全く怖がってなかった。私たちとは住む世界が違うんだなって実感しちゃった」

「ヴィレムも、危ないかもしれないよ。商会がヴィレムの処遇について決めるって」

「あの子が私について話したら、私の命も危険にさらされちゃうわ。ねえ、一緒に逃げましょう?」


「アンタらしくないな。疲れてるのか」

「えっ?」


 ヴィレムは椅子からゆっくりと立ち上がる。

 テーブルにはパスタが完食され、食器だけが残っていた。


「飯、美味かったよ。もう会えないかもしれないけどまた、」

「ヴィレム」


 辺りが静まり返る。ヴィレムは玄関で立ち止まっていた。


「……死なないでね」


 クロエは弱々しくも、そう呟いた。


「ああ」



 男は、高層ビルの窓からとあるマンションの一室を見下ろしていた。

 男の名前はアロイス。細身でハイカラなスーツで身を纏い、立派なあごひげを生やしている。

 商会のオーナーを務めているのが、このアロイスである。


「飼い犬に手を噛まれる、とはこのことか」


 あろうことか、ティルラは商会の金を外へ持ち出した挙句、その金で逃亡まで図っていた。

 考えてみれば金庫のID、ビルの見取り図などの逃亡に必要な情報を得ることは、彼女にとって容易いことなのである。

 ティルラの能力については、アロイスの側近の部下にしか教えてない。

 つまり、その他の部下と接触する際に目を合わせてしまえば大抵の情報は手に入るのである。


「もっと、厳重にすべきか。部下との接触や行動範囲は最低限に」


 ティルラは今、ビルに連れられてすぐに個室へと連れて行かれ、尋問を受けている。

 誰と接触し、どこまで情報を渡したのか。

 その結果によっては始末する人間が増えるかもしれない。


「本当に、厄介なことをしてくれたな」


 現状では有力な情報は聞き出せていない。

 アロイス本人が出向くべきかと部屋から出ようとしたそのとき、

 黒いスーツに身を包んだ一人の部下が、焦りながらも息を整えて報告に来ていた。


「何か聞き出せたのか」

「少女から一向に何も聞き出せず」

「ではなんだ」

「それが、例の男がビルのフロントで姿を現しました」

「何……?」


 アロイスは内心ほくそ笑んでいた。

 飛んで火にいる夏の虫、とはこのことである。


「すぐに拘束しろ。場合によっては射殺しても構わん」

「そ、それがその」


「フロントに向かった15人のうち、既に9人が戦闘不能であるとの報告が」



「相手は拳銃を持っているのか!?」

「一人だぞ!?打ち殺せば済む話だろう!!」

「奪った拳銃を2丁所持。発砲は何度もしてます!しかしながら一発も当たらず……」

「どういうことだ!相手は異能なのか!?」

「詳しくは不明。ただ間違いなく手練れであると……」


 今フロントでは五人の戦闘員がヴィレムを取り囲んでいる。

 カウンターの裏では、隠れるように二人の幹部が部下から現状を説明されていた。


 ダンッ!

 フロントでまた一発銃弾が発砲される。

 しかし弾丸はヴィレムの頬のわずか横を通り過ぎてしまう。

 それどころか、発砲された弾丸は天井や壁に弾かれ、跳弾として味方に襲い掛かってくる。


「あが……っ!」


 今の一発でヴィレムの左に位置する男が右肩を打たれ、必死に出血を止めようとしている。

 商会の人間だからといって、戦い慣れしていないわけではない。

 異能や他の組織との戦闘に備え、腕の立つ人間ばかりで構成されている。

 それなのに、現状ではその戦闘員が明らかに手玉に取られていた。


 ダダンッ!

 今度は2発の銃声。ヴィレムが所持している2丁の拳銃によるものだった。

 ヴィレムの弾丸はそれぞれ右胸と腹に命中し、2人の男を戦闘不能にする。

 さらに、その2発の弾丸さえも跳弾。二度三度と弾け、残りの2人に襲い掛かる。


 一瞬で、取り囲んでいた5人もの戦闘員が床に倒れていた。

 男たちが持っていた拳銃の処理も欠かさない。

 その手際には、プロである戦闘員でさえ感服していた。


 ヴィレムがエレベーターへ向かうまでの間、3人はカウンター裏でやり過ごすことしかできなかった。



 ティルラは一人個室にいた。

 それにしても妙である。

 個室に連れてかれたときは、5人の男に囲まれ尋問を受けていたのだ。

 尋問が続くにつれ次第に男の人数が減っていき、最後には全員がこの場を去ってしまった。


 少しでも現状を知りたい。ティルラはそう思った。

 思い切って扉を開け、エレベーターへと駆ける。

 エレベーターはちょうど一階のロビーから上の階へ上がろうとしていた。

 ティルラは少し考え、エレベーターのボタンを押した。

 商会の人間と鉢合わせになれば多少のリスクを負うことになる。

 だが、相手と目を合わせれば確実に情報を得ることができる。


 ポーン、と音が鳴り、エレベーターの扉が開かれる。

 中には男が一人。

 それはティルラが知る人物だった。


「ちょうどいい。探す手間が省けた」

「なんで貴方がここに!?」


 ヴィレムだった。

 黒い革のコートにはところどころ返り血を浴びている。

 平然と歩いてるのを見る限りでは、ヴィレムが負傷しているわけではないようだ。


「色々調べさせてもらった。強力な異能らしいな」

「こんな短時間で、調べたんですか?」

「依頼を引き受けにきた。ここから逃げるぞ、できるだけ遠い場所に」


 これほどまで早く自分の情報を掴んでくるとは思わなかった。

 この男性なら頼ってもいい。ティルラはそう確信した。

 けれどもヴィレムが伸ばす手を、掴むことができなかった。

 ヴィレムが大金を目的としているのなら、それは既に叶わないのだから。


「ごめんなさい。お金……もうないんです、取り上げられちゃいました。だから貴方は、なるべく早めに、できるだけ遠いところに逃げて、」

「アンタ、会ってから俺と一度も目を合わせてないよな」

「……え?」


「だから助けようと思った。金なんて目的じゃないんだよ」


 意味が分からなかった。

 そんな理由で、こんな落ちぶれた少女に命を張ろうというのか。

 正気の沙汰とは思えない。


「商会の追手から逃げるのが、どれほど大変なことか分かってるんですか!?」

「それほどまでに、他人には知られたくない過去があるんだよ」

「答えになっていません!!」


「いいか、俺と目を合わせろ」

「え、いやそれは……」

「ここで話せば商会の連中に漏れる可能性が高い。無言の意思疎通としてアンタの能力を使うんだ」


 当然、ヴィレムが間近に近づいてくる。

 その拍子に、ついにヴィレムと目が合ってしまった。

 様々な情報とともに、ヴィレムの過去が頭になだれ込んでくるのが感じられた。


―――傭兵?宗教?そして、人の……山?



 俺が直接的に何かした、というわけではない。

 生まれつき、何かしら不気味がられることが多かった。

 10歳になった頃、それは次第に表面化していった。


 例えばコインを一回投げたとする。裏表が当たる確率は単純に二分の一。

 それを俺は、九割以上の確率で当てることができる。

 運が良いのだ。恐ろしいまでに。

 世間にそれが表面化した頃に、俺は強運の異能であることを自覚することとなる。

 それ以降はマスコミの偏った意見の所為で、肩身が狭い生活が余儀なくされていた。


 15歳のある日、俺を含めた5人で鉄柱の落下事故に遭遇することになる。

 その5人の中で、助かったのは俺だけだった。

 そして、その事故が原因で俺は故郷の村から追放された。

 お前が、その能力が殺したんだと何度も罵られた。理不尽にもほどがある。

 両親は何も言わなかった。内心ホッとしていたのかもしれない。


 追放されてすぐ、俺は傭兵にスカウトされた。

 村では喧嘩が多く、腕っぷしだけは自信があった。

 腕のいい異能が放浪している。そんな噂が村のどこからか流れたのだろう。

 行くあてがなかった俺は、流されるまま傭兵になった。


 

「ヴィレム、今日のミッションは骨が折れたな」

「……ん」


 傭兵では四人一組で行動が義務付けられていた。

 今はそのメンバーの一人であるジェルマンと食事を共にしている。

 ジェルマンは放漫かつ大らかな性格で、メンバーの中では一番親しみやすかった。

 異能である人との壁をいささかも感じさせない。

 10歳以上も歳が離れているのに、いつの間にか対等に話すようにまでなっていた。


「今日は、オルディンさんを誘わなかったんだな」

「お前を奢るつもりだったからな。アイツがいると清算が面倒になる」


 オルディンさんもメンバーの一人。

 メンバーの中でも人一倍冷静で、神経質な性格である。

 剣技を得意として、手本にさせてもらっていることが多くある。


「ヴィレムも馴染んできたよなあ!これで2年目か?今いくつになる?」

「今月でやっと17になるか」

「まだそんな歳か?わけえのに大したもんだな!」

「アンタに比べればまだまだだよ」


 傭兵の仕事に就いて、初めて殺し合いの片鱗を見た。

 ジェルマンにしろ、オルディンにしろ、大したものだった。

 極限の状態でも、戦いとなればしっかり相手を見て冷静な判断ができる。

 プロという名に相応しい実力である。


「そういえばヴィレムお前、ミッションの後、オルディンと何かやってたなかったか?」

「ああ、剣術を教わっていたんだ。東の国に伝わるものらしい」

「アイツはそういうのに詳しいからなあ!どうやってやるんだ?俺にも真似できるか?」

「簡単なものじゃない。居合い切り、といったかな。剣を鞘に納めて、相手との間合いを注意深く意識するんだ。それから、」

「ああ、もう難しい話はいい!それより面白い話をしてくれ!」


 思わずほくそ笑んでしまう。

 彼のこのような話のそらし方が嫌いではなかった。


「……アンタは変わらないな」

「この歳でそう易々と変わってたまるか!話のネタはないのか?」

「そうだな、オルディンさんがブルーメさんに惚れてるって話は?」


 ブルーメは最後のメンバーであり、唯一の女性である。

 大きい瞼と厚い唇、そして長い黒髪が特徴の女性で、終始無言であることが多い。

 それとオルディンと一緒にいることが多かった。


「惚れてるも何も、アイツらもうできてるんじゃねえのか?」

「噂によると、今のところオルディンさんが空回ってるだけらしい」


 ガハハハ!とジェルマンが大笑いする。

 それに合わせてククク、と思わず笑いが漏れていた。


「俺に言わせてみれば、ブルーメの何が良いのか分からんなあ!」

「アンタはもう嫁さんがいるからじゃないのか」

「グフフ、俺のワイフに敵うやつなんてそうそういやしねえよ」

「お子さん構ってあげないと、嫁さんにも嫌われるんじゃないのかい」


 ジェルマンが露骨に渋い顔をする。

 性格ゆえ、すぐに表情に出てしまうのだろう。

 その表情を拝んで、クハハ!と思わず吹き出してしまう。


「笑うんじゃねえ。ほら、明日大きな仕事があるだろ?それが終わったら実家に戻って釣りを教えてやるんだよ」

「アンタ、釣りができるのか」

「ああ、もう約束しちまってるんだ」

「それは、嫁さんもさぞお喜びだろうな」

「そうなんだよ!釣りの後は魚と酒で豪勢にパーティだ!!楽しみだなあ!」


 明日には大きな仕事がある。

 それは、近年肥大化している宗教団体の教祖の暗殺だった。

 宗教団体とはいえ、信者全員の気が狂っているテロ集団である。

 話によると、ついに国にまで脅迫状が届くようになり流石に無視できなくなったらしい。


 難しいミッションと言われていたが、手練れであるこのチームで苦戦なんて考えもしなかった。


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