桜の樹の下には屍体が埋まっている
遺書も何もなかったが、多分、彼女は、自殺したのだった。
彼女の死体は、発見されることの無いまま、捜索隊は解体された。
何らかの事件であった場合、時効はまだ先であったが、しかし、これ以上、積極的な捜査はされないということだった。それは、つまり、彼女が死んだと、そう世界が認識していることに等しかった。
私自身、特段彼女の生存を信じているわけではなかった。死んでいてくれとすら願った。
彼女に、死んでほしかったわけではない。生きていて欲しかったが、それは単なる私のエゴであって、彼女が自ら命を絶ちたいというなら、私はそれを尊重するべきだった。
直接、それを言われたことがあるわけではなかったが、私はそれを察していたし、彼女は、私が察していたことに、気づいていたのだと思う。察していたから、用意した婚約指輪さえも渡せないまま、今、それは高価なガラクタとなって、私の服の内側で、チェーンにぶら下がって揺れている。
死体が発見されていないが故に、私には、やるべきことさえもなくて、私は、どうしようもない焦燥に駆られているようだった。
2人分の夕食を用意して、その片方を、彼女の席に、ラップを掛けて置いた。いただきます、という私の声は、当然、虚しく響くだけで、返事などない。築30年近いはずの一軒家は、一人暮らしには、些か広すぎた。しかし、それを言うべきだと私に説いたのは彼女だったので、これでいいのだと感じた。
ごちそうさまを言い終わって、1時間ほどして、彼女が帰っては来ないことを確認して、冷蔵庫に仕舞って、これは、私の明日の朝食になる。
多分、私はまだ、彼女の生存を信じていたかったのだった。
でも、それはやはり私のエゴであった。
それから、歯を磨いて、シャワーを浴びて、自室のベッドに潜る。
寝室は別で存在するが、両親が死んでからそこに手を付けてはいなくて、彼女はそれを理解していたので、最低限の掃除だけをして、彼女自身は、私の隣室、物置となっていたそこを使っていた。
私が大学生の時、両親が、事故で死んだ。
加害者も被害者もいない、単なる自損事故だった。交通量の多くない道路で、スピードは時速80キロを超えていたらしい。カーブを曲がり損ねて、漏れたガソリンに引火した。私がそれを知ったのは、事故から2日後、身元不明だった男女の遺体が、両親のものだと、判別したからだった。
あの時を思い返しても、衝撃を受けはしたが、特段落ち込みはしなかったと思う。ただ、手続きと、葬式と、そういったことに悩殺されて、その間に申請を忘れて、留年してまで学習したいこともなかったので、何より、親の遺産があるとはいえど、学費に不安があったので、私は、大学を辞めた。
彼女は、そのまま4年に進級して、実家に帰った私とは自然消滅したと思っていたが、1年後、鳴ったインターフォンのカメラ映像を確認すると、そこには彼女が立っていた。
私は、地域密着を謳う中小企業で、希薄な人間関係を築いていた。彼女は、半ば主婦のように家事を熟しながら、通信制の大学院に在籍していた。
多分、私の存在さえなければ、彼女は通常の大学院に通っていたし、私が在学していた当時、その話をしたこともあったが、しかし、彼女は、それよりも私を選んだらしかった。それがどうにも嬉しかったのは、多分、恋心なんて綺麗なものではなく、仄暗く薄汚い愛情によるものだった。
そんな日々を過ごす中で、しかし、彼女の心はそこで壊れたのではなくて、多分、私が初めて会ったときには、壊れていたのだった。
瞼を閉じると、疲労のせいか、すぐに、意識が沈む感覚がした。
明日の朝に、携帯電話のアラームで起きて、昨日の夕食の残りを食べて、職場に向かうのが、ほんの少しだけ憂鬱だった。
* * *
近所の環境活動で余ったのだと、そう言って差し出された、傘を入れるような形状をしたプラスチックの袋は土で汚れていたので、私は、それを受け取ることを、一瞬拒んだ。
しかし、円滑な人間関係も大事であると、私に説いたのは彼女であったので、表面上の感謝を告げながら、受け取った。乾いた土が床に落ちたが、元々、綺麗な床ではなかったので、それは、すぐに紛れた。
存外重かったその中身を覗くと、鉢に植えられた、1本の細い木が、そこにはあった。
その枝の質感と、膨らみかけの蕾に見覚えがあって、さくら、と呟いた。
それに、還暦近い同僚は満足したのか、頷いて、どこか自慢げに説明を始めた。
どうやら、あとは植えるだけの状態であって、30年もすれば、よく春に見かけるそれと遜色ない程度までに成長し、私が死ぬ頃には、この木も寿命を迎えるとのことだった。
この同僚と、名前を覚えるほど親しくした覚えもないが、多分、いい人なのだろうし、気に掛けてくれていたのだろうと感じて、しかし、私はやはり、定型文のような感謝しか、返すことができなかった。
同僚は、それをどう受け取ったのかはわからないが、また満足げに頷いて、友人らしい、老人たちのグループの中へと消えていった。
それから、その苗木は、鉢のまま5日を私の家の玄関で過ごした。
週末になって、庭の草を毟って…途中から面倒になって、物置からスコップを取り出して、土と草をかき混ぜるように掘り起こした。名前は知らないが、多分母が植えていたらしい植物も巻き込んだ気がしなくもないが、過ぎたことなので、手が止まったのは一瞬だった。
それに、2日間の休日の、1日目と、2日目の午前中を掛けて、午後、桜の苗木を、庭に植えた。記憶にある、母の様子の、見様見真似だった。
育たなくても、多分、私は大して感傷を抱くことは無いが、しかし、育ってほしい、と感じた。
桜の樹の下には、死体が埋まっているらしい。
そんな話を、思い出した。確か、何かの小説の一部だったか、忘れたが。
しかし、それを思い出してから、私は衝動に駆られて、せっかく植えたそれを掘り起こした。その下には、当然、土と、死んだ雑草しかなかったが。
それから、私はふと、服の内側からネックレスを取り出して、チェーンごと外し、その穴に落として、もう一度、桜を植えなおした。
まるで樹木葬だと、そう思ってから、馬鹿馬鹿しくなって、私は笑った。
成瀬です。
春らしい何かを書こうと思いました。桜と言えば卒業を連想する人も少なくないようですが、私は東北出身の為、4月中旬頃からが桜の季節という印象です。
* * *
参考文献
梶井基次郎 『桜の樹の下には』
初出 「詩と詩論」 1928年12月 武蔵野書院
https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html (青空文庫)
タイトルとして、上記の作品から、一文を引用しました。




