選ばれない
領地へと向かう馬車は静かに進む。長い時間を馬車の中で過ごすのでそれぞれ暇つぶしができる物を持ち込んでいるがサイラスは何もせずにぼんやりとしていた。
半年前に妻となったポリーナを見るともなしに見ていると編み物をしていた彼女の手が止まり寝入ったことに気付いた。領地へ行くための準備で忙しかったので疲れていたのだろう。移動に慣れていても旅をする前は気苦労が多くなる。
ポリーナは兄の婚約者だった。兄が不慮の事故で亡くなり彼女がサイラスの婚約者になるなど誰が予測できただろう。
兄弟といっても仲が良かったわけではない。父が人は競い合うことで向上するという考えを持っていたので積極的に兄弟を競わせた。そのためサイラスにとって兄はライバルだった。競争心の強い兄はつねにサイラスの弱みを突き、サイラスを蹴落とそうとした。
つねに比べられ努力をしてもより一層の努力が必要だと認められないことには慣れたが、年を取るにつれ兄への苦手意識は大きくなる一方だった。
馬車が小さくはねた。小さな石にでも乗り上げたのだろう。
「あら?」妻が小さな声をたてた。サイラスと目が合うとかすかな笑みを見せる。
妻を見るたびに「慎ましい」という言葉が頭の中に浮かぶ。妻が兄と婚約していた時は挨拶をするだけの付き合いだったが、その頃から慎ましいという印象は変わっていない。
妻は婚約を解消しようと動くサイラスのことを静観し、結局は結婚することになっても何も言わず状況を受け入れてくれた。
婚姻の儀の日に恋人が行方不明だと漏れ聞き衝動のまま彼女を探しに行き妻に恥をかかせてしまった。しかし妻は怒りを見せなかった。いつものように慎ましくやり過ごした。
そのことに感謝すべきなのは分かっているが時間がたつにつれサイラスはいらだちを覚えるようになった。
「――あなたは今の生活に不満はないのですか?」
サイラスの問いに妻が戸惑うような表情を見せたがすぐに薄くほほえんだ。
「ございません。恵まれた環境にいることを感謝しています」
サイラスのいらだちがつのる。
「あなたのことを愛さない夫との生活を恵まれていると言うのですか?」口にするつもりなどなかった言葉がすべり出た。
「……恋愛という面から見れば恵まれているとはいえないでしょう。しかし食べる物がない、着る物がないと心配する必要のない生活を送っています。それはとても恵まれたことです」
年下とは思えない落ち着いた話しぶりと神官のような言葉がサイラスの神経を逆なでる。
「あなたは――聖職者のようですね」サイラスが嫌味たっぷりに言うと、妻がこれまで見せたことがないほど嬉しそうにほほえんだ。
ふふっと小さな笑い声をたてた後、妻は視線を落とし「許されるなら神に仕えたいと思っていました」とこたえた。
まさかの言葉にサイラスが何も言えずにいると妻が言葉をついだ。
「私は誰からも愛されない、選ばれない、人よりも劣っているという気持ちでずっと苦しかったのです。それを救ってくださったのは神でした。
このように何の苦労もなく暮らせることがどれほど恵まれているのか、そしてそのこと自体が神からの愛だとようやく理解することができました。苦労をせずに生きていることに神から愛されていることを感じたのです」
視線を宙に浮かせた妻が美しい笑みを見せた。
「恥ずかしながらそのように考えられるようになったのはつい最近のことなのです。恋愛小説のように私のことを愛してくれる人がいつか現れる、私のことを選んでくれる人がいるはずと胸をときめかせたこともあります。
誰も私に関心を持ってくれない、誰も私を愛さないと思っていましたから余計にそのような夢をみてしまったのです。誰かの唯一になれることに憧れていました。それが政略結婚であっても。
あなたに恋人がいたと知り私の望みは叶わないと少し悲しくなりましたが気付いたのです。あなたは私と結婚し妻として認めてくださっている。それがどれほどありがたいことなのかに気付いたのです。これ以上を求めるのは求め過ぎなのだと」
サイラスは妻がどのように育ってきたのかを知らない。お互いの家系についてと、慎ましい性格であること以外で知っているのは絵を描くのが好きということぐらいだ。
なぜ妻が誰からも愛されないと思うのか、「なぜ」と問いかけようとしたが口をつぐんだ。もし違う形で出会っていれば妻に関心を払い彼女のことを知ろうとしたかもしれない。妻に恋することはなくても友人として良い関係を築けたかもしれない。
「すみません、つまらぬ話をしてしまいました」妻が静かに言うと視線を窓の外へ向けた。
領地に近付くにつれ特産品である万能薬の薬草が小さな黄色の花を咲かせているのが目に入る。領地の春の風景だ。
小高い場所にある領地の屋敷に到着すると妻が「なんと美しい……」目の前に広がる黄色に染まった大地に見とれていた。
楽しそうな顔をしている妻を見て怒りがこみ上げた。この風景を見るべきなのはお前ではない。なぜお前がここにいるのだ。なぜ恋人ではないのだ。この景色を見るべきなのは彼女だ。彼女がこの風景に喜ぶ姿を見たかった。
サイラスは気分がすぐれないと言い訳をし一人で自分の部屋へ向かった。後ろをついてくる従者を殴りそうになる衝動を必死におさえる。部屋に入ると目に入る物すべてがうっとうしく、椅子をけり、つかんだ物を床に叩きつけた。
つかんだ物を叩きつけようとしたところで手の中にある物が水晶玉なことに気付いた。少しの間手が止まったが床に叩きつけるためより高く手を振り上げた。
なぜ俺ばかりが我慢しなくてはいけない! 何がダイヤモンドのように何があっても砕けない強さを持てだ。
こんな人生を送るぐらいならすべてを壊してやる。領地がなんだ。貴族がなんだ。すべて壊れてしまえ。この世など壊してしまえばいい。いらない。もう何もいらない!
砕けた水晶玉の破片を踏みつけた。
「水晶の原石が混じりけのない透明な玉になるのにどれだけの手間がかけられているか知っている?」
恋人の家の領地には水晶の鉱脈があり彼女は水晶に詳しかった。
「たくさん研いで磨かないと美しい玉にはならないの。そのままでも美しいけれども人が手を加えることでより美しくなるの」
水晶のことを楽しそうに話す彼女とはもう会うことはできない。彼女は家を抜け出しサイラスの婚姻の儀が行われる神殿まで来たという。彼女の周囲はサイラスの結婚について固く口を閉ざしていたが「親切心」から教える人がいたらしい。
サイラスと彼女にはひそかに監視がつけられていた。式の邪魔をするのではと彼女についていた監視からの連絡でサイラスの周辺が騒がしくなり、サイラスは彼女の行方が分からないことを知った。
サイラスは彼女を探すのにやみくもに走り回っているうちに彼女の家の近くまで来ていた。すべてを捨て彼女と一緒に逃げようと何度も考えた。彼女と生きていけるなら何もいらなかった。
しかし彼女はそうではなかった。彼女は家族を捨てるなど考えられない人だった。サイラスとはちがい家族と仲が良い彼女にとって家族は大切なものだった。捨てるなど考えることができないほど大切なものだった。
「選ばれなかった。彼女から選ばれなかった。ポリーナだけじゃない。俺も誰からも選ばれないんだよ!」
誰もサイラスを選ばない。そのような世界など滅びてしまえ。
サイラスは足下の水晶の欠片を粉々にするため力を込めて踏みしめた。




