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風にのる

 パックスは婚約者のカーラと夜会に参加していた。


 パックスよりも三歳年上の婚約者は会場に入るなり恋人を目で探していた。そのあからさまな態度にうんざりするが知らないふりをする。


 カーラが恋人と夜会でしか会えないなら彼女の行動も分かる。しかし二人は会おうと思えばいつでも会うことができる。人から噂を立てられるような行動をわざわざする気持ちが分からない。


 夜会の主催者に挨拶をするとパックスの友人、ネルソンがパックスに話があるのでとカーラに断りをいれ救ってくれた。


「ありがとう。助かるよ」パックスが礼をいうとネルソンが「お互いさま」と言いながらウインクをした。


「それにしても恋ってすごいよな。自分の立場を危うくするのに好きという感情のまま突っ走ってしまう」


 ネルソンの視線の先を追うと、社交界で一番の噂になっている侯爵夫人と隣国の外交官を見ていた。お互い離れた場所にいるが視線と扇子でコミュニケーションを取っているのが分かる。


 扇子を持つことが女性の間で流行になり、扇子を使ったジェスチャーでひそかにコミュニケーションを取ることも流行になっていた。


 侯爵夫人が扇子を彼女自身にゆったりと風を送るように動かした後、首を少しかしげ外交官へ視線を送った。それを見た外交官がかすかに笑みを浮かべたのを見ると二人の間で意味のあるジェスチャーだったのだろうと察しがつく。


「外交官との火遊びなんて間諜の疑いをかけられ処罰されるリスクがあるのに本当に何を考えてるんだろうな」


 パックスの言葉にネルソンが「好きになったらそういったことはどうでもよくなるのが恋ってやつだろう」と馬鹿にするように言った。


 ネルソンが二人の幼馴染み、リックのことを考えているのが分かる。平民の使用人と恋に落ちたリックは駆け落ちをした。男爵家の三男だったリックは学問好きで兵法に詳しく将来を期待されていたがすべてを捨てた。


 ふいにカーラの姿が目に入った。婚約者とはいえ最小限にしか関わらないのでお互い同じ場にいても気にすることはない。


 カーラが口元を隠していた扇子をずらし左頬をおおった。その動きがどのような意味を持つのか分からないが恋人にメッセージを送ったのだろう。


「あれってイアンだよな? お前の婚約者を切なげに見つめてないか?」


 ネルソンがさりげなく視線を動かしイアンのいる方向を教えた。妹の元婚約者だ。衝動的に行動しがちな妹の性格を利用し婚約解消に持ち込んだ腹立たしい男だ。


「イアンがブリジットをはめて婚約をつぶしたのって、もしかしてもしかするかも?」


「イアンとカーラの家は遠縁だったような気がする。――領地はそれなりに近いから行き来があったのかもな」


「そういえばブリジットはどうしてる? ブリジットのことだ『牢獄』でもめげずに元気にしてそうだが」


 妹のことを聞かれつい笑いがもれた。元婚約者のイアンの浮気に腹を立てた妹が夜会でイアンにワインをぶちまけ婚約破棄をつきつけたことはよく知られている。


「行く前は『牢獄』なんて呼ばれる所に行きたくないと言ってたけど、今じゃもうこっちに帰らないかもと言ってるよ。


 あそこに送られるのは貴族の枠からはみだしてしまう令嬢だからブリジットのような令嬢が多くて楽しいらしい。寄宿舎も友人と気軽に会えて一緒に過ごせるので家にいるよりも自由で喜んでたよ」


 ネルソンは妹がのびのびと『牢獄』を楽しんでいる姿は想像がつきすぎると腹をかかえて笑った。


「もし本当にイアンがカーラのことが好きで妹との婚約解消をしたかったなら、僕が彼女の婚約者になってどういう心境になっただろうな? まさかな巡り合わせで」


「本人は上手くやったつもりだろうけど結果的に自分の欲しい物は手に入らなかったんだ。ものすごく悔しいだろうな。それも自分がおとしいれた元婚約者の兄と結婚することになるなんて想像もつかなかっただろう。


 そういえばカーラは婚約者を病で失い喪に服すといって長いこと好き勝手をして行き遅れになっただけでなく、噂になっている恋人とも長く付き合ってるよな。それでもイアンは彼女が好きで結婚したいと思ってあんなことをしたのか?」


「本人に聞いてくれ」


「恋って面倒だよな」ネルソンがため息をついた。


 パックスとネルソンは幼馴染みのリックが恋をし駆け落ちをしてから恋はわずらわしいものと冷めた気持ちを持つようになった。リックが恋人と過ごしたいと三人でいる時間が減り、恋人のことしか目に入らない言動が増え、最後にはパックスとネルソンに何も言わず消えてしまった。


 幼馴染みとして過ごした時間に何の価値もないとばかりに捨てられたようで不快だった。恋は盲目という言葉そのもののリックの姿に、パックスはずっと恋が本当に幸せなものなのだろうかと疑っていた。


「久しぶりね、パックス。今日も男神のようだわ」


 ネルソンの従姉に声をかけられパックスは「鳥のように」と胸の中でとなえる。


「そのセリフ、やめようよ。気持ち悪いよ。パックスが嫌がってるだろう」


「あなたこそ、そのような可愛げのない態度をあらためたらどう? 女性に怖いと言われて避けられるわよ」


 ネルソンがうんざりした表情で従姉といつものやりとりをする。ネルソンの従姉はパックスのことを気に入っていて昔から何かと絡まれる。逃げても追ってくるので適当に流すことにしていた。


 彼女を見るたびに妹から教えてもらったおまじないをとなえる。


 ――花のように、鳥のように、ダイヤモンドのように。


 男が花がほころぶような可憐な笑顔を浮かべるわけにはいかないので、鳥とダイヤモンドのようにの部分だけを使っている。


 逃げても追いかけられ振り切れないことがあるのはネルソンの従姉で嫌というほど経験した。鳥のようにその場に流れる風に乗りやりすごすのが一番よい。


「そういえば婚約者がお茶会に招いてくださったことを感謝していました。楽しい時間を過ごすことができたと」パックスが礼を言うとネルソンの従姉が満面の笑みを見せた。


 パックスの婚約者と仲良くなりたいと招かれたカーラはパックスの予想に反し彼女と仲良くなっていた。参加する前はよく知らない人達との茶会に出なくてはいけないことに文句を言っていたので意外だった。


「婚約者との関係で悩むことがあったらいつでも私に相談してね。彼女と仲良くなったからいろいろとアドバイスできると思うわ」


 その言葉でカーラと親しくなるために彼女が何かしら画策したことが分かる。これまでも同じことがあった。


「いつもありがとうございます。そういえば先日、ネルソンの屋敷でご令息とご令嬢をお見かけしました。少し見ないうちに二人ともすっかり大きくなりましたね」


 彼女の表情からすっと熱が抜け落ちる。


「あら、そうなのね。二人が叔母さまのところにお邪魔していたとは知らなかったわ」


 長い付き合いで彼女が夫や子供、婚家の話をすると興がそがれるのを知った。とくに子供について話されるのを嫌っていた。とくに自身の年齢を思い出させる子供の話をされたくないらしい。


 彼女の好きという感情は不思議だ。顔を合わせるとつきまとわれ好意は感じるがパックスと恋人になりたいといった感じではない。


 ネルソンが「鑑賞して楽しむのにちょうどいいらしいぞ」と言っていたがパックスはいたって平凡な容姿で、王国一美しいと人気の公爵のように女性から騒がれたことはない。自分の何が良いのか分からない。


「ギャゴをやろう。新しい戦略を試したい」


 戦略を練り盤上の駒を動かし戦うゲーム、ギャゴは夜会に出席する楽しみだ。夜会のような場所では短い時間で決着がつく簡易版での勝負になるが正規版の遊び方とは違う楽しさがあった。


 ギャゴが置かれた場所へ向かいながら駆け落ちしたリックのことを考える。三人の中でリックが一番ギャゴが得意だった。時間を忘れ遊んだことが懐かしい。大人になってもあの頃のような関係が続いていくのだと思っていた。


「幸せだといいな」パックスがつぶやくと、リックのことだと察したネルソンが「そうだな」とこたえた。

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