第一章アリアとレヴィ
【作者より】
この20年間、あなたの声とパフォーマンスに深く魅了されてきました。
心からあなたにとって素晴らしく、幸せな誕生日を迎えられますように。
For the past 20 years, I have been deeply captivated by your voice and performances.
Wishing you a truly wonderful and Happy Birthday.
闇の中、金色の瞳だけが光り…、視線の先には何やら時代を感じさせる古い書物があった。
ーなんと、憐憫な。自ら苦海を選び、苦痛を伴わなければ至福を感じず。尚、窮状を訴え、私に慈悲を求める。
ーいいだろう。お前たちがそこまで望むというのなら、その願い叶えよう。
ー永久に滅びぬ六つの巨悪を。
ーそれに対抗しうる咎人を。
ーそして、…赦しを司る聖女を。
ーお前たちは、きっと私に失望するだろう。私に遺恨の念を抱くだろう。
ーそれでもいい。…それでもいい、だから…ーーー
刹那、静寂の中から音がした。
男はそのページを最後まで見ることなく、力を使い内破した。
直後、金色の瞳は静かに闇へと溶け込んでいく…。
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1937年 ロンドン(ボンド・ストリート停留所)にて。
申の刻に、トラム(路面電車)後部のプラットフォームから、片手に新聞を持った少女と、背中に黒のチェロケースを背負い、片手には深緑色のトランクケースを持った少年が一緒に乗車した。
少女は窓際に座ると、少年からトランクケースを受け取り、自分の足元に置いた。少年は、チェロケースを座席の下にしまうと、少女から新聞を受け取り「ありがとう」と言って少女の隣に腰を掛ける。
この時代。
世界恐慌の影響はイギリス全土に及んだが、その打撃は地域によって変わり、ロンドンは他の地域に比べれば比較的経済が安定しつつあった。
「ウェールズ、北部イングランド、スコットランド低地などでは、失業率が40%、地域によっては70%に達するほどの危機的な状況。…産業構造の違いでこんなにも変わるものなんだな。」
少年、レヴィ・ラルドは新聞を見ながらポツリと呟いた。
車内を通り過ぎて行く者はみな、彼のその眉目秀麗な出て立ちに目を惹かれ、一瞬立ち止まる。加えて、どこか異彩を放つ彼のグラデーションカットのエメラルドグリーンの髪と赤い瞳。雪のように白い肌には鼻先に薄らとそばかすが散りばめられていた。
金色の歯車模様の入った黒の修道服を見に纏い、胸元には少女が所属する教会から配られた銀色の識別用十字架ペンダントが、光を反射してチカっと光る。
すると、
それを隣で聞いていた少女は、何やらとても不機嫌そうに「そんなことはどうでもいいのよ!」と吐き捨てるように云った。
「…はぁ、」
レヴィは、読んでいた新聞を畳みながら軽く溜息を吐くと、少しお説教じみた口調で少女に語りかける。
「君、シスターだろ?私服のときならまだしも、その格好でそういうこと言うのは良くないと思うよ?」
レヴィがシスターと呼んだ少女もまた彼と同じぐらいの年齢だろうか。
夕暮れを閉じ込めた様な橙色を瞳に宿した彼女の装いは他のシスターたちとは違い、黒の右スリットの入った修道服をベースに、その上から白地に赤い彼岸花の柄がある和の国の着物を襟元からはだけさせて、袖の付け根から右腕を抜いたなんとも奇抜なスタイルをしていた。
そして、レヴィとは色違いの金色の十字架が、彼女の胸元にもあった。
彼女は「ふんっ」と鼻を鳴らすと、少しずり落ちてきた頭の上にあるゴーグルの位置を戻しながらやはり不機嫌そうにそっぽ向いた。
刹那、絹のように細い彼女の金色のウェーブがかかったツインテールが揺れ、その耳元でイヤリングがつられるようにして一緒に揺れ動く。イヤリングの金具部分が歯車のような形をしており、その下にはしずく型のエメラルドグリーンの宝石が光を反射してキラキラ輝いてる。レヴィは彼女が大事そうに付けてくれてるその様子を見る度に、…微笑んだ。
「…何、笑ってんのよ」
「いや、別に」
これは、レヴィが、
アリア・ゴールデンベリルに初めてプレゼントしたモノだった。
アリアが所属している聖十字架修道院は、ロンドン・サザーク地区テムズ川南岸の方に位置する煉瓦造の修道院と小さな礼拝堂があるのが特徴的で、カトリック的威厳さを持ちながら善良なる市民のために活動する"戦う修道院"として知られていた。
10年前に配属された、アレクサンダー・オブシディアン修練長はまさにその象徴であり、護るために武力をも行使する存在。アリアは彼からその訓練を受けた最初の第一期生にあたる。
そんな、サザーク聖十字架修道院では、階級のようなものが存在し、そしてそれらは各々に配布される十字架のペンダントの色で見分けられるようになっていた。
レヴィの持っている銀色の十字架には、修道見習いとオブレートという修道院に籍は無いが、シスターたちのフォロー役として関わる者という意味があり、レヴィは後者の部類に入る。加えて、アリアの持っている金色の十字架はシスターから始まり、執務長、修練長、補佐、修道院長に贈られる物で、この金色の十字架を持つものには年に一度、緊急要請がかからない限り覆されることのない特別休暇というものが存在した。
「まったく、思い出しただけでも腹立つ〜!特別休暇は絶対通るんじゃなかったの?てか、私の特別休暇どこで使われてるのよ!」
どうやら、アリアはこの日に特別休暇を取ろうと思っていたらしい。けれども、アリアの特別休暇はもう別で使われているらしく、事務員もその一点張りで他に何も教えてくれないことに大層腹を立てていた。
「それに、そろそろレヴィも修道士として階級上げてもよくない?こんなにこき使っておいていつまでオブレートのままなの?現場を知らない人たちは本当、これだから困るのよね〜」
アリアの言葉に、
レヴィは、うーんと少し困ったように笑いながら頬を掻いた。
「仕方ないんだよ。君の気持ちは嬉しいけれど、かつての力が無いとはいえ、僕はヘプタでありエンヴィだ。」
ヘプタ。
それは、傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、怠惰、暴食、色欲、がそれぞれ意志を持って形となり、人間の欲を糧として生きる、"七つの大罪"と呼ばれる組織。
彼らは、天を地へ引きずり下ろすために、人間の欲を掻き立て貪っている。
闇に潜む彼らに対抗しうるのは、神が選んだ"聖女"のみ。
この"循環"は永らく続き、100年毎にまた再び繰り返す。
そして、1919年。
アリアが生まれたその年に再び"循環"の歯車が動き出した。
レヴィは言う。
「やっぱり、
僕らに望まれるのは消滅でしかないんだよ。」
「バカね!」
刹那、アリアの肘がレヴィの脇腹に直撃する。
「!…ちょ、何…」
そして彼の言葉を遮るように、アリアはレヴィの肩に自分の頭を預けた。
「…ほんと、バカ。」
レヴィはフッと笑う。
彼女は感情を言葉にするのが極端に下手くそだ。
それでも、そんなアリアの表情やその行動で大体の察しはついた。今も乗せられた頭から伝わる彼女の僅かな振動を感じながら、少し卑屈になりすぎたと反省した。
"レヴィ"
それは、アリアが彼に付けた初めての名前だった。
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彼がまだエンヴィだった頃。
彼の容姿は今とは違い、髪は顎より下の鎖骨まであって、背中には鳥のような翼と額にはエメラルドグリーンの宝石のようなものが埋め込まれていた。背格好は人間で言うところの20代から30代ぐらいだろうか。黒のスリーブレスタートルに深緑色のコンバットパンツ、足首と上部にベルトが2本ついたエンジニアブーツのような革靴を履いている。さながら軍人のような装いに、当時の彼の個性が現れていた。
そして、59度目の"循環"が始まったとき、ふと彼は己の存在に疑問を抱くようになった。
嫉妬を象徴する彼の根本には常に"憧れ"という感情が存在した。今まで気付くことが出来なかったその本質を理解した彼は、貪ることを止め、ヘプタから離脱。誰も傷付けることがないように、人里離れた湖の綺麗な森の洞窟で、彼は自分の翼を切り離し、それを鳥に変え、額の石もろとも引き剥がすと、自分の手足に枷をつけて、制御した。
けれども、欲を糧として生きる彼がそれをいきなり絶つというのはとても容易な事でなく、苦しみ悶える声は、人々から悪霊の棲む洞窟と恐れられ、幸い、誰も近寄ることはなかった。
ただ一人、アリア・ゴールデンベリルを除いて。
「なぁ〜んだ、悪霊いないじゃない!」
場違いな声と空気を纏い、彼女は突然現れた。
齢8歳ぐらいだろうか、最近家族と引っ越してきたという彼女は目の前の化け物に恐れる様子もなくペラペラと話しかける。
「……。」
その頃の彼には、力が殆ど残っておらず見た目も青年から18歳ぐらいの少年の姿へと変わっていた。
「でね、村の人たちがこの洞窟には悪霊がいる〜っていうから、だったら私アリア・ゴールデンベリル様がその悪霊を助けてあげようかと思って。」
「…助ける?」
会話をするつもりは無かったが、予期せぬ単語に彼は思わず反応してしまった。
「そうよ!私のママはね。悪霊から人間だった頃の名前を聞き出して、その魂を救ってくれるの!」
「……。」
彼は言葉を失った。
ー名前で魂を救うだって?そんな事実、長年生きてきたが聞いた事ない。どうせ人間の戯言だろう。
「あなたはどうしてここにいるの?ねぇ、名前は?」
まるで、小鳥のようにペチャクチャと喋り続ける少女の質問を押し退けて、彼はゆっくりと口を開いた。
「なぁ、お嬢さん。悪霊を助けにきたんだろう?じゃあ、俺のことも助けてくれないか。」
掠れた声で乞う彼に、少女は瞳を輝かせながら意気揚々と声を上げる。
「いいわよ!!この私に任せなさい!」
そう言って、少女が鎖に触れようとした、その刹那。
「触るなっ!」
彼の咆哮が洞窟内に響き渡る。
「…これには俺の穢れが流れている。容易に触るな。」
すると、少女は大きく溜息を吐いてオーバーに肩を落として見せた。
「じゃあ、早くそう言いなさいよ。」
少女はそう言うと、彼の前にしゃがみこみ、「どうすればいいの?」と首を傾げた。
「…お前、何か武器は持ってないか?」
少女は暫く考え込んだ後、「そうだ!」と何かを思い出したかのように持ってきた荷物の中を探る。
「そうそう、護身用でパパの銃なら持ってきたの!悪霊を助ける前に、熊とかに襲われたら大変だもの!」
ケタケタ笑う少女。
「…。」
あまりにもツッコむ点が多すぎて、彼は再び言葉を失った。
「…で、これで何をするの?」
「…その引き金を引いて、俺の烙印を破壊してくれないか。」
「烙印って何?」
「模様みたいなものだ、俺の舌に刻まれてる」
そう言って、彼は少女に烙印を見せた。
「ぇ…、舌に撃てって言うの…?」
「そうだ。それ以外の場所に傷を負おうが大した致命傷にはならない。俺たちは烙印を破壊されない限り死なないんだ。」
少女は苦虫を噛み潰したような顔で「おえぇ」と大袈裟な反応をすると、また暫く考え込んで、ピッと彼の鼻先に向かって人差し指を向けた。
「ごめんだけど、それは無理なお願いね!」
「……。」
彼は酷く疲れたように重たい溜息を吐くと、もう一度、目の前の少女に乞う。
「頼むよ、このまま生きてても辛いんだ。…楽にさせてくれ。」
彼の烙印には呪いが掛けられていた。自ら自害の出来ぬよう、苦しむように、自らの本分を渇望するように。
「だーかーら、
私は殺しにじゃなくて、救いにきたの!」
「…そうか、」
…空気が凍る。
"かつて"の空気を身に纏い、彼は獣の様な眼で目の前の少女に冷たく言い放つ。
「…なら、もう帰れ。そして、二度と此処に来るな。」
少女はごくりと唾を呑むと、怯えて声も出ないのか、何も言わず彼に背を向け帰って行った。
ーこれでいい。
彼は再び、ゆっくりと目を閉じた。
「……、……。」
時暫くして、閉じた瞼の向こう側が何やら騒がしいのを感じた。
開けるつもりのなかった重い瞼をゆっくり開くと、自分の分身であるワシミミズクの姿をした翼と、あの日追い返したはずの少女が何やら楽しそうに戯れている。
「…あ!やっと起きたのね!」
「…来るなと言っただろう。」
そんな彼の言葉を無視して少女はまたペラペラ話し出す。
「ねぇ、お腹すいてない?てか、ちゃんと食べてる?今日は色々食べ物持ってきたの一緒に食べない?」
「……。」
まるで、友達とピクニックをしに来たような雰囲気で、今日も彼女はこの暗い洞窟に暖かい灯りを点す。
"憧れ"ていた、その中に今自分が居ることが、不思議で、くすぐったくて、知らないはずのその温もりにどこか懐かしさを感じた。
「…お前は、本当に俺のことが恐くないんだな。」
彼はポツリと呟いた。少女は、話さえしないが、恐らくどこかで自分が人ではない事を理解しているはず。それなのに、彼女の雰囲気からは微塵も負の感情を感じない。
「お前じゃなくて、アリア・ゴールデンベリルだってば!まったく最初に名前教えたんだから名前で呼びなさいよ!」
「…わかったから、耳元でギャアギャア騒ぐな。五月蝿い。」
「それで、あなたの名前は?」
「おま…、」
そう言いかけて、言葉を止めた。というのも、目の前の少女が凄い形相で"分かってるわよね"と言わんばかりに睨みつけてくる。不服ながらも、また耳元で叫ばれたりするよりかは幾分マシだと、少し咳払いをして、少女の意図を汲むことにした。
「…アリアの言うような名前というモノは存在しない…が、人間が言う"七つの大罪"と呼ばれる組織内の中では"エンヴィ"と呼ばれてた。」
「エンヴィ?あ!きいたことあるわ!七つの大罪のお話よね!んーでも、確かそれって嫉妬って意味でしょ?名前じゃないじゃない。」
子供のくせに意外と物知りなんだなと少し関心しながら、彼は言葉を返す。
「…だから、名前などないと…」
「じゃあ、"レヴィ"なんてどう?」
彼女はいつも唐突だった。
ここへ来たのも、…何もかも。
「レヴィ…」
「そう、祈りと願いを込めて!ふふん♪我ながら、いい名前ね!んじゃ、これで決まり!」
すると、アリアは持ってきたバケットから、シロツメクサを編み込んだ花冠を彼の頭にそっと置いた。
「ハッピーバースデー!レヴィ!今日はあなたが初めて"レヴィ"になったとてもとても特別な日よ!ぜーったい、ぜーったいに忘れないでね!」
そう。
これが、アリアとレヴィの始まりだった。
この世界の創世記に記された、
咎人と赦しを司る聖女の…最初の出会い。
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レヴィは思う。
"まだ何も知らない"無垢な瞳で僕に名前をくれた子供も、今や自分の姿と同じぐらいの年齢の少女になった。
「…そうか。」
レヴィは目を丸くして、何かを思い出したように再び新聞を手に取ると今日の日付を確認した。
ー…あぁ、なるほど。
何故、アリアが今朝からずっと不機嫌なのか。
何故、アリアがこの日に特別休暇を取ろうとしたのか。
レヴィは今やっと理解した。
11月2日。
それは、彼が"レヴィ"という名前をアリアからプレゼントされた特別な日。
「…ごめん。」
左肩に乗せられた彼女の頭を、レヴィは右手で優しく撫でた。
困ったように。けれども、嬉しくて口元が緩んでしまう。
「ありがとう、アリア。」
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ボンド・ストリート停留所からケンジントン・ハイ・ストリート停留所まで約4.8km。曲がりくねった道と渋滞が続く市街地で、およそ45分程で到着する。
トラムが停留所付近に差し掛かったところで、レヴィは車内に設置された降車ブザーを鳴らした。
「アリア、起きろ。次で降りるぞ。」
レヴィの肩に頭を預けてから、アリアはそのまま彼の膝の上で気持ち良さそうに眠っていた。
「ねぇ、アリアってば」
どんなに声を掛けても、肩を揺らしても、一向に起きる様子のない彼女を見て、レヴィは何を思ったかアリアの鼻をつまんでみることにした。
すると、次の瞬間「ふご!」と彼女から今まで聞いた事のない音が鳴り、レヴィは思わず噴き出した。
レヴィの振動と自分の音に驚いて、アリアが機嫌悪そうに目を覚ます。
目を開けるとそこには、何やら自分から視線を外して必死に笑いを堪えるレヴィと、くすくすと聞こえる笑い声が車内全体に広がっていた。
アリアは、何となく自分が笑われているのだと理解すると、隣でそっぽ向く相棒に怪訝そうな顔を向けた。
「…アンタ、私に何したのよ。」
「いや、その、アリアが起きないから…」
凄い剣幕で詰め寄られ、レヴィは思わずたじろいだ。
そしてタイミング良く、トラムが目的地の駅に到着すると、レヴィは逃げるように素早くチェロケースだけ担いでその場を後にした。
「あ!ちょっ!待ちなさいよ、レヴィ!」
アリアは、足元のトランクケースを手に取ると、直ぐさまレヴィの後を追っかける。
第2章へ続く。
Chapter One — End.
To be continued in Chapter Two.
この作品はフィクションです。
作中の地名、施設名、団体名はすべて架空のものであるか、あるいは実在のものを部分的に参考にしています。登場する人物や出来事は、すべて架空のものです。
This work is a work of fiction. Names of places, facilities, and organizations are either fictional or partially based on real ones. All characters and events depicted in this work are entirely fictional.




