二人だけの相談
ヴァルグは研究室の扉を閉ざし、深く息を整えた。
光の管の奥で観測した周期の揺らぎは、やはりソーマからの返答に違いない。
技師同士にしか分からぬ符号――それが成立したのだ。
逡巡の末、ヴァルグは所長イレーネの部屋を訪れた。
白衣の彼女は水晶板を前に記録を整理していたが、ヴァルグの硬い表情を見ると小首を傾げる。
「……何かあったの?」
「実は――」
ヴァルグは声を潜め、結界干渉回路の出力に刻まれた“揺らぎ”について語った。
それは意図的に仕込まれた返事であり、外部の技師――おそらくソーマからの応答だ、と。
イレーネは息を呑んだ。
「……あなた、正気? それが本当なら……王の命令に背く行為よ。反逆とみなされかねない」
「分かっている」ヴァルグは苦く笑った。
「だが、確かに届いたんだ。戦場のただ中で、回路を通じて互いを理解できる可能性が――」
イレーネはしばらく黙し、やがて小さくうなずいた。
「……危ういけれど、私も同じ技術者よ。メッセージが“読める”相手がいるなら……心が動かないはずがないわ」
ヴァルグの胸に安堵が広がる。
イレーネは机に身を乗り出した。
「次はどうするつもり? 単なる“気づいたよ”の符号では足りないでしょう」
ヴァルグは腕を組み、沈思した。
「そうだな……次は“こちらの意思”を伝えるべきかもしれない。だが……」
「だが?」
「俺は……本当はどうしたいんだ?」
言葉を絞り出したその声には、迷いが滲んでいた。
「王の理想に従えば、戦争を進めることになる。だが技師としては、ソーマと語り合いたい。技術を殺すためではなく、生かすために」
イレーネは静かに彼の瞳を見つめる。
「なら、まずはそこからじゃない? “何を望むのか”を自分で決めないと、どんな通信も形にならないわ」
二人の間に、緊張と希望が入り混じった沈黙が落ちた。
光の管を流れる干渉縞が、まるで答えを待っているかのようにゆらゆらと揺れていた。
「……何を伝えるべきか」
ヴァルグは腕を組んだまま、水晶板に映る干渉縞をじっと見つめていた。
ソーマが返事をくれた。それだけで胸は熱くなる。だが次に送る内容を誤れば、単なる“遊び”で終わってしまう。
イレーネが机に肘をつき、静かに言った。
「候補はいくつかあるわね。まずは単純に“技術の断片”。あなたが開発した干渉型回路の構造を、符号に織り込む。
それなら敵意ではなく、研究の一歩として受け取ってもらえるでしょう」
「……だが、それは軍の機密でもある」
ヴァルグは低く返す。
「王に知られれば裏切りだ。下手をすれば処刑だぞ」
「もう一つは、“意志”を伝えること」
イレーネは水晶板の縞模様を指でなぞった。
「戦うためではなく、語り合いたい。その気持ちを、曖昧でも符号に込める。技師にしか読めない“願い”として」
ヴァルグは目を閉じ、深く息を吐いた。
「俺は……どうしたいんだろうな」
イレーネは穏やかな声で促した。
「ヴァルグ。あなたはあの夜、ソーマと並んで回路を直したとき、何を感じた?」
「……ただ、楽しかった」
思わずこぼれた言葉に、自分で驚いた。
「戦の渦中だというのに、あいつとなら“技術を共有できる”と感じた。
あれが……俺の原点だった」
イレーネは小さくうなずいた。
「なら、次の符号にはそれを込めればいい。
“技術を殺すためではなく、生かすために”と。
回りくどい理屈はいらない。揺らぎの中に、ただその想いを織り込めば伝わるはずよ」
ヴァルグの胸に、久しく忘れていた高揚が蘇った。
戦争の道具ではなく、技術の仲間へ。
ほんの数周期の揺らぎに込められるのは、きっとその一歩。
「……分かった。次の符号は、“望み”そのものを刻もう」
光の管の奥で干渉縞がゆらめく。
それはまだ言葉にならぬ対話の種火――技師だけが分かち合える秘密の会話の始まりだった。
お読みいただきありがとうございます。
耳慣れない技術用語もあるかもしれませんが、そんなものかと読み流していただけると嬉しいです。




