閑話・今は遠い研究室を思い出して
夜更けの研究室。
水晶板に走る波形が、静かな光を放ちながら揺れていた。
その前で作業を止め、ソーマはふと膝の上に手を置いた。
(……向こうのみんな、今ごろどうしてるだろう)
思考がふっと、遠い世界へと滑っていく。
大学に入ったばかりの頃、父と母は事故で亡くなった。
だから、この世界に来ていること自体を案じている家族はいない。
それだけは、不思議と心を軽くしてくれていた。
けれど――研究室の仲間や教授は、きっと首をかしげているに違いない。
週一で必ず顔を合わせていたゼミに、ある日突然姿を見せなくなったのだから。
「ソーマ、また徹夜で実験でもしているんだろう」
「いや、さすがに連絡も取れないのはおかしい」
そんな会話が交わされている様子が、目に浮かぶようだった。
もっとも、あの研究室の雰囲気は――いい意味でドライだった。
最初はゼミを休んだ僕を不思議に思い、きっと心配もしただろう。
けれど、それぞれが自分のテーマを突き詰め、成果を出していくのが当たり前の空気だ。
年に二回の国際会議で顔を合わせれば十分――そういう距離感の集まりだった。
だからこそ、やがて僕の不在も「気がすむまで没頭させておけばいい」で片づけられてしまうのかもしれない。
* * *
もともと僕は、手を動かしながら考えるタイプだった。
配線をつないで、波形を見て、そこでようやく頭の中が回り始める。
小さな成功と失敗を積み重ねて進んでいく――そんなやり方しかできなかった。
けれど研究室に入ってみると、先輩や同級生の中には
「まず考え抜き、すでに答えを見通したうえで、華麗に成果を示す」ような人が多かった。
そういう姿に憧れて、僕も頭で完璧に描いてから動こうとした。
……けれど、どうしても真似しきれなかったなあ。
結局この世界に来てからは、また本来のやり方に戻っている。
わからないことを飲み込みながら、とにかく手を動かし、結果を見てから考える。
魔導素子も、回路の模様も、理解しきれないまま触って――それでも動けば次に進める。
(……そう考えると、案外この世界のほうが自分には合ってるのかもしれないな)
ふっと,自嘲めいた笑みがこぼれた。
* * *
(……もしもまた会えたなら、この世界で得た成果を話してみたい)
魔導素子を使った回路の動作、PLLやPUFがここでも通じること、
模様のような配線に潜む知恵。
きっと教授は目を丸くして、「それは面白いな」と頷いてくれるだろう。
同級生たちも、得意分野を引き合いに出して、新しい実験のアイデアを次々と投げ込んでくるに違いない。
「……帰る方法なんて、まだ何もわからないけど」
独り言が静かな研究室に溶ける。
それでも――いつか必ず。
この世界で積み重ねた成果を携えて、再びあの輪の中に戻れる日が来る。
そう信じることが、いまの自分を支えていた。
ソーマは再び工具を手に取り、波形を映す水晶板に向き直った。
ここでの一歩一歩が、やがてあの仲間たちと語り合う未来につながるのだと願いながら。
お読みいただきありがとうございます。
耳慣れない技術用語もあるかもしれませんが、そんなものかと読み流していただけると嬉しいです。




