第三話
「いいよぉ!!!シグくぅん!!こっち見て!!目線頂戴な!!………うぉう、最高にカッコイイ!」
「煩いぞ貴様、もう少し静かにしていろ。……ふむ、店主、この服はいくらだ」
「5000リルでございます」
「5リムだな」
貴族階級用の高額通貨しかもっていなかったシグだが、先程の焼き串の件で換金できたため(焼き串の店主にとってはいい迷惑だが)、お釣りを出さずに支払うことができた。
会計しているその背中を、買った白いワンピースに着替えたミルネスが微笑ましく見つめていた。
「ありがとうございました、またいらしてください」
人の好さそうな夫妻が営む、比較的お高めの服屋だ。
わりと地方貴族や商家の娘などが来るのだろうか。明らか貴族な見た目のシグへの対応が慣れていた。
「よし、服の問題は一旦これでどうにかなったね。シグくんはこの後どうしたい?」
「明日出発すれば国境沿いの町に着くだろう。今夜はもう宿に戻って明日に備え……」
「いやご飯食べてないよね?昨日みたいにご飯抜きはボクはいいけど、シグくんの体調が心配かなぁ」
「ハッ、」
幼少期の訓練や生まれつきの体質で、シグは少しの食事で長時間動くことができる。
シグにとって、食事を二日や三日抜いたところでどうってことない。
昨日抜いたくらいで体調が悪くなると思われていることが驚きだった。
「私を舐めているのか?食事など、………」
「駄目だよ、食べれるときにご飯は食べておかないと。ご飯が食べれるって、幸せなことなんだよ」
ニコリと微笑んでそう言った彼女だったが、直前瞳の奥にぼんやりと宿る闇をシグは見逃さなかった。
笑顔に影が差したわけではないが、なにか………一瞬だけ、遠くを見つめていた。
そして、この女の口から、幸せという言葉が出た。
この女が前に語った幸せとは程遠い、『食事をすること』が幸せだというのか。
そんな、普通すぎる行為が。
これは―――
『普通の幸せ』を、この女は感じている、
……普通の正気な人間に近づいている、そういうことなのだろうか。
そう自分なりに解釈して、咳払いを一つ、口を開いた。
「…フン、そうだな、食事を、」
「わーい!シグくん一緒にご飯食べてくれるの?ボクとっても嬉しい!」
ミルネスは両手を叩いて跳ねて、まるで子供のように喜んだ。
「昨日もおとといも、ひとりぼっちでボク、寂しかったんだよ?…ふふ、嬉しいな」
………………コイツは、もしや、ご飯を食べることではなく、私とご飯を食べることを幸せと感じるのか?
………いや、それでも、それも一般的な、誰かと一緒に食べるという幸せなのか…………?
それはいたって普通の幸せのはずで、……私は家族で食卓を囲んだことは数えるほどしかないから、それが本当に一般的な幸せなのかは分からないが。
あの家では、食事は訓練の一環でしかなかったから。
「うふふん、そう言えば宿の向かいに何か食べられるところがあったね、貴族の食事を食べるシグくんでも気に入ると思うよー。あーいうところの食事って外れたことないからねぇ」
ミルネスはニコニコと笑顔を絶やさず、ふんふんと指を振りながら言う。
その言葉の中の、ある単語が引っかかった。
「………まて、貴様、食べたことあるのか」
この女は自分よりは爵位が低いとはいえ、貴族の出ではなかったか。
街中の庶民の通うような食事を、食べたことがある?どういうことだ。
罪人に自白させるように、いつもの調子で次の言葉を吐こうとした。
「むー、待って待って、タンマタンマ。言いたくないかなぁ、言ったらボクが不幸になっちゃうぞっ?」
不幸になる。
そう言われて、当初の目的を思い出し、口ごもる。
「ふふ、ごめんね?本当はシドきゅんの聞きたいことにはなんでも答えてあげたいんだけど」
「…………なら答えろ。私は貴様を幸せにしてその上で貴様を殺すのだ」
「やぁん、熱い~ますます好きになっちゃう!」
曖昧にふざけた調子ではぐらかされ、シグが睨むと、ミルネスはうふ、と笑ったのだった。
一瞬彼女の目は、シグではなくどこか遠くを見ていたのだが、シグはそれに気づかなかった。
◆
食堂の暖かな灯りが二人を照らしていた。
「あー、おじさん、コレとコレと、………このカーネの香草焼きって辛い?……へぇ、うん。シグくん辛いの食べれる?……………そ、わかったよん。じゃあこのカーネの香草焼きを二つ、お願いします」
そう注文し終わると、ちょっと髭を生やした優しそうなおじさんは、人で賑わう店内へ、忙しそうに姿を消していった。
目線をずらし、目の前の彼を見ると、物珍しそうに店内をきょろきょろと見まわしていた。
その姿に心臓がぎゅんと鷲掴みされる。
はぁっ、はぁつ、かわいい、好き…………好き!!
うっ、心臓がっ!
胸に手を当てて悶えると、目の前の彼が少し目じりを下げ、テーブルを見つめていた。
「シグくん、どうしたの」
「………平民は、このような場所で食事をとるのか」
木のテーブルを撫で、そこに無数についている傷を見ながら彼は小さく呟いた。
シグくんにとって、食堂の騒がしさも、熱気も、肉の焼ける匂いも、なにもかも新鮮なんだろう。
そんな彼が愛おしくてたまらない。
大好き、大好きだよ。今すぐ抱きしめて頬ずりしたいな。
もっとも、そんなことをしたら、その次は殺されるかぶん殴られて気絶するかの二択であるが。
殴られるのも殺されるのもとても胸が高鳴る、だけど。
彼はボクを幸せにしてから殺すと言ったのだ。
ボクを幸せにしてくれるというのだから、ボクはそれを両手を広げてすべて受け入れるだけである。
ボクからなにかしなくてもいい。
彼の考えでは、ボクはこれ以上ないほど幸せになって、殺されて、そしてその殺される瞬間、この上ない絶望と苦しみを味わうことになるというのだ。
全くもって想像できない。
ボクにとって彼に殺されることは結構ハッピーな結末なのだが、そういうことにはならないらしい。
どういうことなんだろう。
店内の騒がしい子供の声が、店員の注文を繰り返すハッキリとした声が、一段と大きく鼓膜を揺らした。
苦しいのも辛いのも、『四度目の人生』からわからなくなった。
「ねえ、シグくんは…………。」
目を伏せ、少しためらって、言葉の続きを言おうとした瞬間、
耳をつんざく悲鳴と轟音がした。
「えっ、えっ、なに?」
「………………」
無言でシグは立ち上がった。
それと同時に入口の扉付近に、ガンッという爆裂音が響き、木の壁が炎と共に吹き飛んだ。
破片がテーブルに突き刺さる。
そこには、直径1メートルほどの、焦げた穴がぽっかりと空いていた。
「うぅ、う、」
「痛い、痛い痛い痛い、いたい、誰か、だれか、だれかぁ!!」
瓦礫に足を潰され、身動きが取れない者、身体にガラスの破片が刺さり、服に赤い跡が広がっていく者、涙を流して頭部に出血のある恋人らしい男を揺さぶる女。
先程まで熱気であふれかえっていた店内が、どうして。
………視界には、血と、涙と、絶望だけが映っている。
「だ、だめだ、早く治療しないと、回復魔法をかけてあげないと、あの人もあの人も死んじゃう」
「駄目だ。動くな」
え、と口から零れるよりも先に、シグの足元から静かに白銀の魔法陣が展開された。
「――ヴィータ・マグナ」
唱えると同時に、店全体を柔らかな光が瞬間的に広がった。
白銀の光が床を駆け、壁を伝い、店内すべてを包み込んだ。
羽のように光の粒子が舞い、人々の呻きが和らいでいく。
「……治ってる」
一人の老婆が、血にまみれた腕を見下ろして小さく呟いた。
波紋が広がるように、ざわつきと悲鳴が消えていく。傷を負っていた者が次々と自分の体を見下ろし、驚きと安堵の入り混じった表情を浮かべる。
やがて静寂が訪れる。
先ほどまであふれていた悲鳴も、嘆きも、すでにない。
ただ人々の視線が、店の中央に立つ彼に集まっていた。
「…………」
魔法陣が消えた後、シグはそのまま周囲に目もくれず、一言も発さず、焼け落ちた壁の穴から外へ出た。
慌ててミルネスが瓦礫を押しのけながら、彼の後について外に出ると、いきなり頬を焦がすような熱気にあてられた。
「あっつ、なに……………?」
あまりの熱気に薄っすら瞼を開けると、そこには町の風景に到底似つかない、蒼い鱗の、魔獣がいた。
「―――おいおい、嘘だろ?」
青龍だ。
青龍がこちらを見ている。
正しくは、シグを見ている。
青龍は推し量っていた。シグの力量を。その姿はまさに人々に何百年と恐れられる、神聖なる魔物、龍であった。
まるで、互いの力が拮抗し、とんでもない激戦が、魔力のぶつかり合いが、始まろうとしているようだった。少なくともミルネスの目にはそう見えた。
――次の瞬間、その神聖な魔物の首が飛んだ。