俺を見て
ときどき言われることがある。「皇くんは、なんでも持っている人だよね」と。
「持っているって、何を?」と聞いて返ってくるのは、「要領よくてあんま努力しなくても勉強できそうだし、あとルックスとか、いい感じの雰囲気とか」みたいなどうでもいい答えだ。
でも、そのどうでもよさのおかげで、楽してこられたのは事実だったんだろう。
酒に飲まれてもそれなりに単位は来たし、自分からあれこれ口説かなくても女は寄ってきた。だからだ、こんな歳だってのに、どうやって人と親しくなればいいのかわからない。
どんな顔で、何を喋れば、愛護に特別な好意を抱かせることができるのか。好きだ、と思わせることができるのか。
あれからしばらくは「あんなに手厚く介抱してくれたんだから、もともと俺に気があったのでは?」とも考えたが、とんだ買いかぶりだった。
階段ですれ違うたび「おはよ」「おつかれ」と挨拶されるが、本当にそれだけだ。俺に好意があるやつ特有の動揺や、挙動の不審さなんかは微塵も感じない。
さらには、ついにこの間「あれ? なんか最近よく会うね。明るいうちに皇くんとすれ違うなんて、これまでほとんどなかったのに」と言われてしまった。
偶然装ってお前と出くわせるようタイミング合わせてんだよ、などとストーカーまがいのことを言えるわけもなく、ただ曖昧に笑うしかない自分がほとほと嫌になった。
だから、決めていた。次に会ったらこう言おうと。
「愛護、飯行かね?」
夕飯の買い出しに階段を降りていくところだった愛護が、振り返って目を丸くする。誘われるなんて思いもしていなかった顔だ。それだけでちょっと身がすくむ。
「ええ? ご飯? 今、冷蔵庫にちょっと古い鶏肉があって……」
鶏肉に負けるのか、俺は。あまりの脈のなさを痛感するが、こんなことで引くわけにはいかない。
「ほら、こないだよくしてもらったから、なんか礼したくて。先月できたばっかのちょっといい店があるんだよ」
「お礼だなんて、皇くん律儀だな~。いいのいいの、僕は当たり前のことをしただけだから」
わかっている。こいつにとって、他人に自分を注ぐのは息をするのと同じだ。
愛護は誰にでも優しい、誰にでも愛を注ぐ。俺だからよくしてくれたわけじゃない。
でも、俺はその「誰にでも優しい愛護」を変えてしまいたい。俺だけを見てほしい。
あの日してくれたように、夜ごと俺の頭を撫でてほしい。
「ダメ、俺の気が済まないから。鶏肉は冷凍しといで、待ってるからさ」
強引だなんだとぶすぶす言う男の隣で、俺は久しぶりに高揚した気分で笑っていた。
定食屋でいい、という愛護を引っ張ってきたのは、裏路地にある隠れ家風のビストロだ。落ち着いた店内を覗くなり、愛護は素直に「わ~、こんなとこ初めて来た」とはしゃいだ。
「おごりだから、なんでも好きなもん頼んで。金はあるからさ」
軽口のつもりで言うと、愛護がおっかなびっくりという表情をする。それから、小声で言った。
「それ、悪いことして作ったお金じゃないよね……?」
失笑してしまったが、当たらずとも遠からずかもしれない。そう思いつつ、頭を振る。
「俺、ゲームの配信やってんだよ。それがそこそこ人気あんの。その投げ銭」
「ひえ~、別世界の人だなあ」という台詞に「んなことねえって」と返しつつ、心の中では頷いてしまう。
そうだよ、俺とお前は別世界の人間だ。でも、ほんの少しだけでいいから、そっちに入れてはくれないか。また、お前を注いでくれないか。
邪な打算を悟られぬよう、細心の注意を払いながら杯を重ねる。舐めるような視線に気づかれるわけにはいかないから、目が合いそうになったらすぐに逸らす。
思ったとおり、そんなに酒に強くないらしい愛護は、たった1杯でふわふわし始めた。
「皇くん、お酒強いねえ。それウイスキー? 僕、苦手」
「確かに、これはお前っぽくはないよな。愛護は……次、これがいいんじゃない?」
ノンアルコールメニューのイチゴカクテルを指すと、愛護がぷーっと頬を膨らませた。
「さては馬鹿にしてるな~? 僕だってねえ、まだまだレモンサワーとか、飲めますよーだ。あ~……ねえ、皇くんてまつげ長いねえ。メニュー見てるとき、伏し目になって、まつげ、わさ~ってなってた」
「そらどうも」
と返しつつ、店員にレモンサワーを注文する。
「ねえ、皇くん、モテるでしょ」
とろんとした瞳の中には俺がいる。今は。
「なんでそう思う?」
「だって、部屋によく女の子が出入りしてる感じするし」
「最近はそうでもないと思うよ、てか、全然ない。断ってる」
ふ~ん、そうかあ、と愛護が溜め息をつく。
愛護、こっちを向いて。俺を見て。
「でも、モテると思うんだよなあ。まつ毛、わさ~だし。僕にもさ……その魅力とか自信とかがあればなあ……ちぇ」
「お前は……そういうの、どうなの。女関係っつーか、好きなやつ……とかいんの」
自分の普段の喋り方なんか忘れてしまって、自然な感じにできているかヒヤヒヤしながら聞いた。
愛護は俺の意図に感づく素振りもなく、運ばれてきたレモンサワーをぐいっと煽る。
「いるんだよーーー! あー! お手伝いに行ってるゼミの先輩! 大好きなんだけどさー、いっぱいあれこれしてあげたいんだけどさー、ぜーんぜん振り向いてくれないんだよな~」
ある程度は覚悟していたつもりだった。なのに、こんなにも胸がきしむ。
その明るい色の瞳の中にいる、「先輩」を思って嫉妬が募る。
「いい女? その先輩は」
つい、俺寝てないかな、と考えた。比較的お堅い子が多い薬学部だが、かわいい系から綺麗系まで両手くらいは関係を持ったことがある。
「あ、いや男の人なんだけどね。すっごくかわいいんだよ~、僕がいないとダメなんだ」
こいつ男イケんのか、かすかながらも朗報だ。
負け犬確定でも希望にすがらずにはいられない。こんなに誰かに執着するなんて初めてだった。
「かわいい人? それで?」
「え~~っとね、かわいい、そしてかわいい……」
「なんだそれ、あばたもえくぼって言うだろ。恋して馬鹿になっちまってるからそう思うだけじゃねーの」
また頬を膨らませるのかと思ったが、愛護は今度はうなりながら腕を組んだ。
「ん~と、かわいくて……明るくて……? 明るいかな? うん、明るいかも。で、人気があって……だってかわいいからね! そんな感じ」
「そんな感じ?」
いつも目で追っているはずの好きなやつのことを聞かれて出てくるのが、そんなあやふやな言葉なのか? 明るい感じ?
——これなら付け入る隙があるのでは。
そう思うと同時に、「明るくてかわいい先輩」への嫌悪が込み上げる。幼い頃から皆に愛されてきて、本当になんでも持っていた兄貴がそいつにオーバーラップした。
そういうやつらは、俺みたいなまがいものとは違う。
本当の本当になんでも持っているくせに、俺が欲しかった瞳も、手のひらも、全部当たり前みたいに掻っさらっていく。
「まあ、いいさ。今のところはな」
そう独り言ちた俺に、酔っ払いの愛護はきょとんとするだけだった。
***