プロローグ
アルコール、大音量のビート、むせ返るように甘いタバコの煙、よく知らない女の肌。
一時しのぎの刺激さえあれば、どんな夜もやり過ごせる安い人間だっていうのに、それさえ手に入らない日がある。
呑んだくれたとある冬の晩、繁華街からほど近いリナちゃんちに転がり込もうとしたところで、ガタイのいい男に殴られた。
丁寧な自己紹介がなくてもわかる、彼氏だ。そういえば、最近「来る前に連絡して」としつこく言われていたんだった。
俺は2階の階段から飛び降りるなり、大通り目指して走り出し、空車の表示を出しているタクシーに無理やり乗り込んだ。
ドアを閉めるのと、後ろから「クソ野郎が」と怒鳴り声がしたのは同時だった。
もつれる舌で住んでいるアパートの住所を告げ、「こういうの困りますよ、お客さん」とドラマみたいな台詞を聞きながら、さっきの怒声を思い出してにやりとする。
クソ野郎か、よくわかっていやがる。
ありとあらゆる女に粉をかけておき、いくら好きになっていただいてもかまいませんよという顔をするくせに、のらりくらりとかわす。
安酒で酔ったときには気分次第で抱くが、相手の気持ちに責任は取らない。
翌日、女が出勤するのをベッドから見送り、昼過ぎまで寝て、テーブルに置いてある小遣いをポケットに詰めたら夕方には出ていく。 大学またサボっちまったな、なんて思いながら。
そういう男を、巷ではクソ野郎と呼ぶ。正解だ。
当たり前のことをいちいち大声で叫ぶあたりがマヌケでおもしろいだけで、なんの怒りも湧いてこない。
やがてタクシーが止まり、金はちゃんと払ったと思うが、再び「困りますよ……」という声を聞きながら寒空の下に引きずり出される。
合わない歯の根から白い息が漏れて、鉄骨の階段に触れている頬が冷たい。車が走り去る音を、遠くに聞きながら思った。
何なら埋めてくれる? くだらない日々を、意味のない人生を、それを歩いていくだけの空っぽの俺を。
まがいものでもいい、俺だって兄貴のまがいものだから。
何か、酒の酔いよりはもう少し長続きする何かが、柔らかいものが、温かいものが、俺にもほんの少しだけ手に入らないか。