図書室の女生徒たち
マドレーヌ、ザッハトルテ、ジンジャークッキーにパウンドケーキ。白磁に小花が散らされた皿に、可愛らしく洋菓子が盛られている。
そして側にある揃いのティーカップからは、アールグレイの香りが漂っていた。ティーポットには、もう何杯分かがサーブされている。
「このお菓子は何ていう名前だったっけ?」
カオルはザッハトルテをつまみ上げながら、サクラに問う。サクラは読んでいた本から顔を上げて、少し考えた。
「えーっと……ザット? ザック?」
「何だか聞き慣れない言葉だったのよね、忘れちゃった。最後の一個、食べてもいい?」
「どうぞ」
カオルはつまんだザッハトルテを、そのまま頬張った。
「うーん、やっぱりこれ美味しい。サクラはお菓子、食べないの?」
「食べるよ。でも本にお菓子の欠片がついたりしたら嫌だから、後で食べるの」
「サクラってば本ばかり読んで、つまんないの」
カオルはザッハトルテを食べ終えると、紅茶を飲み干して立ち上がった。
「ね。せっかく図書室まで来たんだから、一緒に遊ぼ」
「嫌よ。せっかく図書室に来たんだから、本読みたいもん。清光から聞いてはいたけど……こんなに本があるなんてびっくりした」
「今までは清光に貸してもらうしかなかったしね。蔵にある本はつまらないのばっかりだし」
「もっと早くに外へ出て、ここまで来てみれば良かった」
二人は図書室の中を見回した。
早瀬学院の図書室は小さな図書館と比べても遜色ない蔵書数を誇っており、その広さもなかなかだ。
校舎の三階部分の大半を占めており、中等部の生徒も高等部の生徒も共有で使用できる。閲覧スペースのほかに自習スペースも多く設置されていた。
「この本に囲まれた香りって、何となく心地良くって好き。古いものと新しいものと、たくさんのものがあるのは同じだけど、蔵の中の香りとはまた違って」
「ほんとね。なんだかアールグレイの香りとも似合ってる気がする。お茶会セット、蔵からはるばる持ってきた甲斐があったわ」
「そうだ、次はあの楠木の上でお茶会するのはどう? 晴れの日に楠木の頂上に登ったら、きっと気持ちが良いし」
「それは良い考えだけど、でも……」
カオルは机の上のティーセットに目をやった。
「あ、そっか……」
カオルの視線に気づいて、サクラも机上に目を止める。
「お菓子も茶葉も、これで最後なんだった」
「うん……きっともう、蔵へ持って来てはくれないから」
「そうだよね……誰も私たちのことを見えなくなって、誰からも忘れられちゃったら……私たちはどうなるんだろ」
「これまで通りか、もしくは……――」
カオルが何か言いかけたところで、こそこそと話す声とともに、図書室の扉が開けられる音がした。
「――鍵、開いてるみたい」
「ほんと? ラッキー!」
扉を開けたのは、中等部の女生徒だった。三人連れで、小声で喋りながらそのまま図書室へ入ってくる。
「あれ? 電気もついてないし、誰もいないみたい。準備室に教師もいなさそう」
「ということはもしかして?」
「さぼり放題の喋り放題?」
女生徒たちは、図書室内を見回してそう言った。そしてそのまま顔を見合せて、輪になってハイタッチをする。
「鍵の閉め忘れかな? 新しくきた図書室担当の先生、なんか頼りなさそうだったし」
「わかるわかる。かっこよくないし、授業もつまんなそう」
「えーそうかな? なんか学者って感じがしてよくなーい?」
「うわ、趣味悪い」
三人は喋りながらカオルとサクラの横を通って、入口から影になっている六人掛けの閲覧席へと腰かけた。その間も、カオルとサクラに一瞥もくれない。
カオルは立ったまま、サクラは座ったまま、そんな三人の様子を横目で眺めている。
「ねー、なんか良い匂いしない? 紅茶みたいな」
「なにそれ、もしかしておなか減った?」
「え、しない? 気のせいかなー」
「私お菓子持ってきたよ! 誰もいないし、ここで食べちゃおっか」
女生徒のうち一人が、机の上に菓子を並始める。
「すごーい。どこにこんなに隠し持ってたの? あ、これ新発売のやつじゃん」
「朝見つけたから買っちゃった! あとはねー――……」
三人は菓子を食べながら、あれこれと喋り続ける。
「――あの子たち、清光の同級生かな?」
しばらく三人を見ていた少女たちだったが、そこでようやくサクラが言葉を発した。
「スカーフが赤色だから、きっと中等部よ」
「あ、ほんとだ。まだ中等部なのに、もう……」
サクラは言葉を濁して、つまらなそうに本を閉じた。そしてぐっと伸びをすると、頬杖をついてマドレーヌを頬張る。
「……これイマイチ。志づ葉が焼いてくれたやつのが美味しかった」
「バターたっぷりのね。志づ葉も最近見かけないけど、元気にしてるかしら」
サクラが本を閉じたので、カオルも再び腰かけてマドレーヌに手を伸ばした。
「ほんとだ、イマイチ……あーあ、また志づ葉が焼いてくれたらいいのに」
カオルはマドレーヌを食べきると机に突っ伏して、顔だけ上げてティーポットを眺めた。
「紅茶も冷めてきちゃったし、そろそろ帰ろ? 私、もうここ飽きちゃった」
「飽き性なんだから。じゃ、紅茶だけ飲み切っちゃおう」
サクラは自分のティーカップに入っていた紅茶を飲み切ると、ティーポットを呼び寄せるように手招いた。するとティーポットはふわりと浮かび上がって、ゆっくりと二人の空いたカップに紅茶を注ぐ。そして均等に注ぎ終え中が空になると、また元あった場所に自然と戻った。
カオルは礼を言いながら、ジンジャークッキーをつまんでサクラの方へぽいっと投げた。きれいな放物線を描いてクッキーは飛んでいき、サクラの口元の手前で宙に留まる。サクラはそれを、ぱくりと一口で口に入れた。
それきり少女たちは無言になって、最後の紅茶を味わうようにティーカップを口に運んだ。
二人の周りが静かになると、三人の女生徒たちの声だけが図書室に響く。
「――あっそうだ、これも持ってきたんだった」
「なに?」
「これこれ、可愛かったから買っちゃった」
一人が取り出したのは、手のひらサイズの丸い瓶だった。赤青黄、おはじきのようにカラフルな飴玉が、ぎっしり詰まっている。
「ほんとだ、レトロで可愛い」
「でしょ、好きなの取って」
女生徒は瓶を振りながらカラカラと飴を鳴らし、蓋を開けようとした。しかし瓶の蓋は思いのほか固く、力を入れてもなかなか緩まない。
「固い! 全然開かないんだけど……」
女生徒は顔を赤くしながら蓋をひねるが、少しも緩まない。さらに力を込めて開けようと瓶を握ったところで、瓶はすべって手の中をすり抜けてしまった。
「あっ」
小瓶は勢いよく落ちていき、床とぶつかりそうになる。板敷の床にぶつかれば、薄いガラス製の小瓶は割れかねないだろう。
瓶の中で、飴玉が揺れる。
だがその瞬間、それに気がついたサクラが素早くすっと指を弾いた。ティーカップを持ったまま、器用な指の流れだった。
そうすると小瓶は床にぶつかる少し手前で一瞬ぴたりと止まり、勢いを失くしてからぽとりと床へ落っこちた。かたん、と音を立てて、小瓶は割れることなく床に転がる。
「び、びっくりしたあ」
女生徒が、慌ててそれを拾った。
「割れてない? 大丈夫?」
「そんなに蓋固かったの?」
「すごい固いんだよね、これ開けられるかなー―」
そうして女生徒がもう一度力んで小瓶の蓋を開けようとした時、次はカオルが、人差し指と親指を小さくこすり合わせた。
「あっ、開いた」
今度は、小瓶の蓋は難なく開いた。
「落ちた時に緩んだのかな? まあいいや、開いて良かった! 食べよ」
女生徒たちは思い思いの飴を選ぶと、それを舐めながらまた話し始めた。
「これ何味かわかんないけど美味しいねー」
「私もわかんない。小さいからすぐなくなっちゃいそう」
「そういえば新しいクラスのさ――」
カオルはその様子を見届けると、正面にいるサクラへ目をやった。サクラは両手でティーカップを持ちながら、つまらなそうに紅茶を揺らしている。
カオルはもう、紅茶を飲み干してしまっていた。
女生徒たちのお喋りは、しばらく終わりそうにない。




