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とある狸による昔語

 

 昔々、この世がまだ人間の世ではなかった頃――この世には人間だけでなく、同じくらい鬼も住んでいたのだ。


 鬼は人を喰らうから、人間は鬼を恐れ、鬼から身を隠し生きていた。人間は爪や牙を持たず、力では鬼に敵わぬ。月のない暗闇の晩など、人間は外に出ることすら怖がったそうだ。そうして人間が鬼を恐れれば恐れるほど、鬼の力は増していった。鬼の力の源は、人間の恐怖心なのだ。


 人間と鬼とは対極に位置している。人間が好むものを鬼は嫌い、鬼が好むものを人間は嫌う。鬼が喜べば人間は嘆き、人間が苦しめば鬼は笑う。つまり人間が鬼に恐れという負の感情を抱くことは、そのまま鬼の正の力となり、恐怖を与える力となるのである。


 しかし年を経るごとに、人間は知恵というものをつけ始めた。知恵によって、さまざまに鬼に抗う術を身につけていったのだ。爪や牙に代わる武具を拵え力の差を埋め、鬼を倒すべく研鑽を積んだ。


 鬼に知恵はあらず、また鬼にとって人間など取るに足らない存在であったから、人間たちが力を身につけていっていることに気がつかなかったのだろう。

 鬼がその力にあぐらをかいている間に、人間たちは鬼を殺める力を手に入れていった。はじめは喰われてばかりだった人間が、あの手この手で少しずつ鬼に抗い始める。


 そんな人間と鬼の争いはしばらく続いたが、ある時を境に鬼は人間に敵わなくなっていき、その数とともに大きく力を減らした。


 事の起こりは、今から千年も昔のことである。


 一際強い鬼がいた。その名を、酒吞童子という。大の酒好きであったから、こんな名がついたのだ。この酒吞童子は鬼の中でも特別で、めっぽう強い力を持っていた。なぜなら酒吞童子という鬼は、元は人間だったからだ。人間が鬼になるということは、昔はよくあることであった。その逆は聞いたことがないがね。つまり、酒吞童子は鬼の力と、人間の知恵の両方を併せ持っていたのだ。


 往年の酒吞童子はそれはもう強大で、多くの鬼を従えて、好きなだけ人間を喰らっていた。そして人間から奪った金銀財宝で立派な御殿を建てて、西の方の山に住みついていたらしい。あまりに暴れるので、いつ喰われるやもしれぬと、人間たちは大層恐れた。


 そこで立ち上がったのが、源頼光という人間だ。源頼光は人間にしては腕力もさることながら、鬼をも恐れぬ豪胆さを持っていた。そして何より、その魂が類のないほど強かったのだ。なにものにも染まらぬほど気高く、どこまでも輝きを失わず、それはあまりに眩いほどだった。


 源頼光は供を引き連れ、酒吞童子討伐に向かった。源頼光たちは人間らしい悪知恵を働いて、酒吞童子征伐に来たということを隠し、さも友好的に鬼の牙城を訪れた。そして酒吞童子の好む酒を手土産に、うまく鬼たちの懐に潜りこんだのだ。鬼たちはすぐに騙されて、己らの敵を易々と御殿に迎え入れることになった。


 さすがに酒吞童子は怪しんだそうだが、源頼光のほうが一枚上手だった。人間の血肉を肴に鬼が踊る――普通の人間なら一目散に逃げだしてしまうような恐ろしい鬼たちの饗宴を、源頼光は顔色一つ変えずに楽しむ素振りを見せたのだ。疑り深い酒吞童子も、その様子にすっかり騙され心許してしまったのである。


 そして勧められるがままに源頼光に酒をたらふく飲まされて、酔うたあまりに深い眠りについてしまった。すると源頼光たちはその隙に、酒吞童子の手足をがんじがらめに縛りつけた。さしもの酒吞童子も、手脚の自由がなければ敵わなかったのだろう。反撃する間もなく、あっという間にその首を刎ねられることとなった。


 大手柄を挙げた源頼光はその武功を大層讃えられ、鬼退治の旗頭となった。そして酒吞童子はというと、その後再び器を得てよみがえることのないように、首や躰を散り散りに分けられ、人間たちの手で封じこめられたそうだ。


 元々鬼たちに仲間意識などなく、深くものを考える頭もない。欲望のままに生きていて、同士討ちもよくしていた。そんな有象無象の荒くれ鬼たちをまとめていたのが、強大な力を持ちつつ知恵も兼ね備えた酒吞童子だったのだ。その酒吞童子が討たれてしまったのだから、鬼たちの牙城は一気に崩壊し、酒吞童子の元に集っていた鬼たちは四散した。


 加えて酒吞童子という鬼の長を源頼光が倒したという話が人間の間に広まると、人間は鬼をあまり恐れなくなった。源頼光という存在が、人間たちに安堵を与えたのだ。そうして鬼に対する人間の恐れが薄まると、鬼はどんどん力を失っていった。長を失い、力をも失い、散り散りになった鬼たちを殺めることはたやすい。徐々に住む場を追い立てられ、今ではもうこの世に鬼の居場所はなくなった。


 そう、この世を追われ、あの世の果てでしか生きることを許されなくなったのだ。


 今度は鬼が人間から身を隠して生きることとなり、鬼に喰われることのなくなった人間はひたすらに数を増やした。そして今日のように、この世は人間が統べることとなったのだ。


 もちろん鬼の中でも、運良く人間の目をかいくぐったものや、力を失わなかったものも少しばかりはいた。その鬼たちは、今もこの世のどこかに住み着いている。


 たとえば酒吞童子の腹心の右腕も、そのうちの一鬼だ。

 その鬼も元は人間であり、酒吞童子に次ぐ力と知恵を持っていて、時流が人間にあるとみるやいないや、すぐに身を隠し力を蓄えることにした。源頼光の寿命が尽き、人間たちが再び鬼を恐れる日を待ったのだ。


 その鬼の目論見通り、源頼光の死後人間は鬼の報復を恐れはじめた。だが源頼光が死ぬまでの間に、鬼たちはあまりに多くの力を失い過ぎていた。ここぞとばかりに人間を喰らおうとした鬼もいたようだが、もはや人間の敵ではなかったそうだ。人間はとにかく数が増えておったし、武具も更に磨きがかかっていた。ひとたび凋落したものが繁栄することは、至極難しいことなのだ。




 だが――この話にはまだ続きがある。




 酒吞童子はその器を失えど、その魂は滅びていなかった。これは器を失っても滅びぬほど酒吞童子の魂が強かったためでもあり、人間の落ち度でもある。そう、酒吞童子が討たれた後、人間たちはその躰を封じこめただけでなく、祀り上げたのだ。


 人間は度々このようなことをする。自らの手で討っておきながら、恨みによってよみがえり怨霊となることを恐れ、神として祀り上げるのだ。元々人間にとっては鬼も神も、理解しえぬ力を持った恐ろしいもの、ということに変わりはない。

 酒吞童子の魂が鬼から神へとなるまでに、そう時間はかからなかった。鬼でも人でも、崇め祀ることで神にしてしまえるほどに、人間の念は強いのだ。


 年月が経つにつれ人間は鬼への恐怖は忘れていったが、酒吞童子という名は忘れなかった。かつてその名を持つ強大な鬼がいたのだと、畏れを持って語り継がれ、その魂は神として祀り続けられているのである。


 魂が滅びていないのであれば、鬼としての器さえあれば、酒吞童子は再び鬼としてこの世によみがえることができる。

 そこで、酒吞童子の右腕は少しずつ時間をかけて、封じられていた酒吞童子の首やら腕やらを集めていった。所詮人間が封じたものであるから、時間をかければ解くことはたやすかったであろう。源頼光の死後も恐れていたほど鬼は暴れなかったため、人間たちは油断もしていた。


 酒吞童子の躰を取り戻したのならば、後はそこに人間たちの恐れを溜め、機が熟すのを待つばかりである。わずかばかりの恐れでも、人間の数は留まるところを知らぬから、寄り集まれば強大になる。

 鬼たちにとって、今は雌伏の時――かつてのように人間たちに牙をむく日を、何十年も、何百年も待っているのだ……――いや、動き出すのはもう間もなくかもしれぬ。

 とうとう、“貴き子”がこの世に生を受けたのだから。


 “貴き子”とは、源頼光の強き魂を受け継ぐもののことよ。人間の寿命は短いものだから、人間が死ぬとその魂は流転して、再びこの世に現れる。先に述べたように源頼光の魂は比類なきものであったから、その魂を受け継いで生まれるであろう子のことを、人間はそう呼び待ち望んでいた。


 だが源頼光の死後――人間たちがその存在を忘れてしまうほど久しく、その魂はこの世に現れなかった。

 しかしその“貴き子”が、何百年もの時を経て、ようやくこの世に生を受けたのだ。


 “貴き子”が生まれたのならば、人間の力はさらに強まり、人間にとって住みよい世になることだろう。強い魂を持つものは、自覚がなくとも存在するだけでその一帯に影響を与える。

 気づいておるか? 近頃貉や猩々がなりをひそめていることに。鬼の眷属として今もしばしば人間に害をなしていたようだが、あやつら小物は“貴き子”の発する強き気に耐えられぬ。全く“貴き子”の魂の強さがうかがい知れることよ。


 だが、鬼にとっても“貴き子”の誕生は喜ばしいことであろう。

 なぜならば、ようやく積年の恨みを晴らすことができるのだから。鬼たちが今のようにうらびれる原因を作った源頼光、その魂への恨みはどれほどのものであろうか。そしてその魂にこたびこそ打ち勝てば、次に来るのは鬼の天下よ。

 何十年、何百年と溜めこんだ力もようよう溜まったことであろうし、酒吞童子を長として、今にも動き出すやもしれぬ。



 さて、今度はどちらに軍配が上がるだろうか――いやいや、狸はどちらにもつきはしない。どちらにつこうとも我々に利はあらず、こうして大局を眺め、後の語り草にするのが一番であることよ。


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