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怠惰な教師と爛漫生徒

作者: 霜田大輔

あぁ、やべぇ…面倒臭さが限界突破してきた。


自身が担当する授業が終わり、職員室でノートパソコンで書類作業をすること一時間。自分が学生だったときは、教師がこんなに大変だとは思わなかった。大学で取れるからと言って教員免許を取ったのが間違っていたのか。いや、取っていなかったら卒業後無職のプー太郎生活だ。間違ってはいなかったはず。


現在、時刻は十六時過ぎ。学生たちにとっては授業から解放され自由を謳歌し始める時間。つまり放課後である。ただ、教師である俺にはまったくと持って関係がない。目の前を占有しているのはノートパソコンに映る自作の稚拙な学習指導案。終わらない…全然終わらない。誰か助けてくれ。


「失礼しまーす!」


ガラガラと職員室の戸を勢いよく滑らし一人の女子生徒が入ってきた。その声を聞いて俺は嫌な予感がした。もうそれはビンビンである。


隣席に座る年配の男性教師が少しだけ不機嫌となるのが感じ取れた。真面目な先生なので入室する様子を見て、気になったのだと思われる。そして、やはりというか予想通り男性教師は女子生徒に対して注意をし始めた。


「周防美咲。元気なのはいいが職員室に入るときはもう少し静かに入ってきなさい」

「はーい」

「語尾を伸ばさない」

「はい!」

「もう少しお淑やかにできないのかね」


注意をどこ吹く風。件の女子生徒は教師からのお小言を軽く受け流しながら言葉を続けていた。一方、俺は彼女の声が聞こえてからというもの身を屈め見つからないようにしていた。


「松田先生いますかー」

「…っ」


ほら見ろ嫌な予感が的中した。あー駄目です駄目です。松田豊はこの職員室にはいませーん。そんな人間はこの世のどこにもおりません。なので速やかにご帰宅をお願いします。だが、俺のピュアで清らかな願いは届かなかった。


「松田先生、お呼びですよ」

「……はい」


隣の席から聞こえる無常な宣告。日本の悪しき風習、年功序列。俺は教師じゃなくて、政治家になるべきだったのかもしれん。




職員室から出て件の女子生徒、周防美咲と並んで廊下を歩いていく。窓の外に広がるグラウンドでは野球部、陸上部が青春を謳歌している。うむ、楽しみたまえ。社会人になってからは虚無生活しか待ってないぞ。


そんな感じで…頭の中で現実逃避をしていたが、そろそろ現実と向き合わなければなるまい。仕方なしに周防美咲に声をかける。


「それで周防さん、職員室から連れ出して何があったんですか」

「うわ、その口調相変わらずキモいねー。豊ちゃん」


凡そ、生徒が教師に話す口調でなない。だが、俺は気にせず要件を促す。


「周防さん、要件があって先生を連れだしているんですよね」

「そだよー」

「これは何処へ向かっているんですか」

「ふふふ、それはねー」


上機嫌に歩きながらこちらを振り返る。


「図書室」


周防美咲…いや、ニッコニコの笑顔を向けながら、我が義妹はこう言った。


「付箋に刻まれし謎を解き明かしに行くんだよ」




放課後の図書室。引き戸を開けると冷気が体を包む。利用者は図書委員以外にはおらず閑散としている。それが今はとても有難い。歩を進めると入口近くに新着図書コーナーが設けられており「百人一首大全集」やら「文系のための化学」等の本がラックに並べられている。そのすぐ横には受付があり図書委員であろう眼鏡をかけた女子生徒が座っている。一瞬此方に視線を向けるがすぐに手元に視線を戻した。ちらっと見えた感じ文庫本を読んでいるようだ。紙のカバーがついているため何を読んでいるのかは分からないが。


あまり見すぎてもよくないか、じっと見つめていたのを誤魔化すため少し首横にを振る。そこには大きめのコルクボードが壁にかかっており、更紙のプリントや、広報誌やが張り付けられていた。なんとなく眺めてみる。


『図書室からのお知らせ 2024.7.18(金)』

司書教諭の雨村です。最近、図書室に忘れ物が目立ちます。多くが机の上に置きっぱなしとなっています。帰る際には、忘れ物がないか今一度確認をしましょう。図書室の忘れ物については図書委員でお預かりしていますので、何かあれば司書教諭か図書委員までお声がけください。


『市立三浦高校図書広報  春号』

木々の緑が色濃くなる時期となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

春号を担当させていただく霧島です。今年は夏に近づくにつれ気温が高くなってきています。今年は冷房を早めに付けておりますので、これを機に図書室で過ごしてみてはいかがでしょうか。

また、今月は新着図書が届いています。興味がある方は入口近くの新着図書コーナーをご確認ください。


□新着図書

 ・文系のための化学

 ・百人一首大全集

 ・紫式部の生き方

 ・災害に備えるために

 ・高校生に読んでほしい30冊


□今月の豆知識

突然ですが、以下の文字列を見て何か分かる方はいますでしょうか。


一般論文集.一般講演集、財政、畜産業、社会科学"、政治、数学、自然科学、法律、経済、東洋思想、社会科学、歴史、図書館.図書館情報学


一見規則性のない単語に見えますが、これらは日本の図書をテーマごとに分類する日本十進分類法と呼ばれるものです。図書室の本の背表紙にも印字されているため、本を借りるときに気にしてみると面白いかもしれません。




新着の図書が入る度に広報誌に載せているのか。真面目だ…当時の俺なら色々理由を付けて他の人に押し付けていることだ。文章なんぞ一文字でも書かないほうが人生が豊かになる。尚、これを言うと大体怒られる。何故だ。


物思いふけっていると横にいたはずの美咲がいなくなっていた。周りをキョロキョロと見回すと図書室の奥にある席へ、何かを置きながら座るところだった。仕事を妨害する悪しき元凶に向かって歩いていく。


「で、その付箋のなんちゃらは何なんだ」


俺は溜息をつきながら着席し話しかける。


「ちーがーう、付箋に刻まれし謎だよ。…というかあの気持ち悪い口調やめてもいいの?」

「見たところ図書委員しかいないっぽいしな。奥の席に座ってるしバレないだろう」

「別に誰も気にしないと思うけどなー。義妹だからって言えば、皆納得すると思うけど」

「義妹とは言え、他人から見たら生徒と教師。平等に接しないと色々煩いんだよ。教育委員会やら親御さんやら色々な」

「はーなるほどねー」


絶対分かってないなコイツ。美咲の義理の兄になってから五年。表情で何を考えているか分かるようになってきた。ちなみに今は、”豊ちゃんの言ったこと全然分からないけど、突っ込むと面倒くさいからとちあえず肯定しておこう”…である。


って違う違う、何で俺はこんなところに呼ばれたんだ。


「美咲、付箋の謎」

「あ、いけね。そうだった。えとね…」


それから美咲の話を要約すると、最近になって図書室に忘れ物が多発しているのだという。それだけ聞くとこの学校の生徒にうっかりさんが多いだけだ。


最初に気付いたのは読書感想文を書くために本を借りた女子生徒。本を読もうと机に座ったとき隣の席に文房具とそれに張り付いた付箋を見つけたのだという。忘れ物かと思い図書委員に告げ、女子生徒はそのままを立ち去った。この後、同様の出来事が数週間おきに三回も続いたのだという。


あまり緊急性はないと判断した司書顧問は、念のためクラス担当の教員にこのことを生徒に伝えるようお願いし、入口近くのコルクボードにお知らせ用のプリントを掲載したのだという。


「どう?豊ちゃん?」

「豊ちゃんやめろ」

「不思議じゃない?」

「これ、なんか問題あるのか?」

「いやいや、大問題でしょ。忘れ物がいっぱい出て、そのたびに付箋が張られていたんだよ!」

「まさかと思うがこれのために俺を呼んだのか?」

「せやで」

「急な関西弁もやめろ」


嘘だろ。こんなことのために俺の貴重な時間を浪費したというのか。


「俺は職員室に帰るぞ…」

「えぇー!なんで!!」

「声のボリューム落とせ。美咲もこんなことしてないでさっさと帰れ」

「………良いんだね…ふふふ…」


義妹がついに壊れた。帰りに義母さんと親父に連絡しておこう。貴女の愛する天使が壊れましたよと。少し苛立ちながら席を立つ。さっさと職員室に帰って仕事しよう。


「…豊ちゃん。そんなこと言っていいのかな」

「うるせぇ。じゃあな」

「Dドライブの”旅行フォルダ”のさらに奥、”草津温泉”フォルダ」

「っ!!」


身体がビクンと硬直する。錆だらけの金属を無理やり動かすようにギギギと後ろを振り向く。おい、何でそれを知っている。


「いやー豊ちゃんも男なんだね」

「お…おい。…何を言っている」

「さぁ?なんだろうね?私びっくりしちゃったよ。大きい方が好きなんだね」


美咲は自身の胸を両手で触りつつニタニタ笑みを浮かべている。義母さん、親父。貴方達の天使はもういません。これは悪魔です。幼気な成人男性を脅す魑魅魍魎です。


「くっ、殺せ…」

「豊ちゃんが助かる道はただ一つ…付箋の謎を解くことだよ」

「…分からないかもしれないだろ。しかも何で俺なんだ」

「だって」


愛しの義妹は先ほどまでのニヤケ顔ではなく、純粋な混じりっ気のない笑顔を浮かべ答える。


「豊ちゃんとこういうことやるの楽しいんだよね」


俺はその笑顔を見て昔のことを思い出していた。


親父と義母さんの再婚が決まったのは俺が大学の頃。初めて美咲と会ったときの第一印象はあまり笑わない子。冷静にこちらを見据え決して心を開かぬという意思を感じた。離婚した父親があまり人間的によろしくなく、それが離婚の原因であり、当時の美咲がそうなっていた理由だと聞いた。


俺が小学生の時はアホ全開で常に笑っていた。だから俯き無表情な美咲を何とか笑顔にさせたかった。


最初は大学の図書館で借りてきたなぞなぞの本だった。なぞなぞを考えるときは心の仮面が外れるらしく、ムムムと悩むときの困った顔、解けたときの嬉しそうな顔が嬉しかったのを覚えている。それからは同様の本やボードゲームなどを買い与え続けていった。


中学生になる頃には、逆に色々連れ出されるパターンが増えた。連れ出された道中でいくつかの珍事に遭遇してしまい、一緒に謎解き擬きを行っていった。情報収集は美咲、俺は謎解き。いつの間にかそういう担当割りとなっており、その過程で美咲はコミュニケーション能力を爆上げしていった。生まれたのが謎解き大好き天真爛漫娘である。恨むぞ昔の俺よ。


「…分かった」

「本当!?豊ちゃん」

「ただ、今日の十八時までに分からなかったら手を引く。仕事があるからな。それでいいか?」

「うん。ありがとねー豊ちゃん」

「うるせぇ。そうと決まれば、その付箋の現物なり写真なりを見せてくれ」

「ありません」


おい、情報収集担当?それはお前の仕事だろう???


「ごめーん。今から借りるからちょっと待ってて」

「…不安だから俺もついていくわ」


えへへと言いながら美咲は席を立ち、受付の方へ駆けていく。俺も黙ってそちらへ付いていく。


「図書室では走らないようにお願いします」

「あ、はい。すみません…」


俺が受付に着くと受付に座っていた図書委員であろう女子生徒に怒られていた。そりゃそうだろう。まぁ、ここで長々説教されていたら時間がいくらあっても足りない。先手を打っておくか。


「そうですよ。周防さん、もう高校二年生なんですから落ち着きを覚えましょうね」

「…???」


先生から指摘が入れば生徒側からはそれ以上追及しづらいと思い、教師モードで美咲の声をかける。しかし、義妹の頭にはクエスチョンマークが浮かんでいる。こら、察しろ。その様子を見た図書委員の女の子は俺の存在に気付いたようで声をかけてきた。


「…松田先生…ですよね。数学の授業を担当している」

「そうですよ。キミは…僕の担当クラスではないですよね?担当の子たちは大体顔は覚えているのですが…」

「二年四組の霧島です。確かに先生の担当ではないですね」

「ありがとう。霧島さんですね。覚えておきます」


会話が終わり、これ以上沈黙が続くと気まずくなる一歩手前。その絶妙な間に美咲が切り込む。


「あの、霧島さん。例の付箋が付いた文房具って誰か取りに来た?」

「付箋?…あぁ、あれですか。いえ、誰も取りに来ていませんよ」

「良かった。…ちょっと相談なんだけど、少しの間借りることってできるかな?」

「あれをですか?なんのために?その口ぶりだと文房具の持ち主…というわけではないんですよね」


霧島さんが至極当然な質問をする。


「ちょっと気になることがあって、できれば借りたいんだよね。無理かな?」

「…」

「今日中には返すから。お願い!!」

「…分かりました。何かあったらいけないので図書室からは持ち出さないでくださいね」

「本当!?ありがとー」

「持ってくるので少し待っていてください」


そう言って霧島さんは受付の奥に消えていった。俺は小声で美咲に話しかける。


「よく借りれたな」

「ふふん、これぞ私のコミュ力の成せる技よ」

「そうか?」


単純にお前の気迫に押されただけな気がするが。そうこう話している間に霧島さんが戻ってきた。その手にはお茶菓子などを載せるであろう御盆を持っている。よく見るとお盆には文房具と付箋が見える。それを受付の机に置き視線をこちらに向けてきた。


「これが付箋の忘れ物達です。先生たちから見て左から右にかけてが時系列順となっています」

「わーありがとー!じゃあ、ちょっと借りるね!!」

「返す時は私に言ってください」

「わかったー」


返事をしながら美咲はお盆を手に取り、元居た席へ走っていった。アイツさっき怒られたこともう忘れてやがる。まぁ、いいや。俺も戻ろう。


「あの先生」


受付に背を向け歩き出そうとした瞬間、霧島さんに声をかけられた。


「先生もあの忘れものが気になるんですか?」

「いえ全く」

「では何故?」


そんなもの決まっている。


「じゃんけんでチョキがグーに勝てると思いますか?」

「…いいえ。あのそれが何か?」


あの笑顔に俺は勝てない。


「まぁ、そういうことです。では失礼します」

「はぁ…」


嬉しいときの表情は昔と変わらないんだよ。そんで、謎を解けた瞬間の顔はもっと良いんだ。これが続く限り俺はあいつの願いを聞き続けてしまうんだろう。


ポカンとした顔の切れ長クール系美少女を置いて奥の席に歩みを進める。さぁ、頭を切り替えよう。


俺が席に戻ると美咲は四枚の付箋と文房具を机の上に並べていた。


「あ、やっと来た。何か話してたの?」

「ちょいと世間話をな」

「ふーん。あ、忘れ物机に並べておいたよ。左から時系列順に一番目、二番目…ってなってる」

「…どれどれ」


□一枚目の付箋(下敷き)

 技術.工学

 写真

 哲学各論

 法律"

 ヨーロッパ史.西洋史


□二枚目の付箋(下敷き)

 図書.書誌学

 経済

 東洋思想

 経済"

 西洋哲学

 地球科学.地学


 三番目の零は省くこと


□三枚目の付箋(下敷き)

 文学

 哲学

 法律

 経済

 写真


 三番目の零は省くこと

 技術.工学音


□四枚目の付箋(下敷き)

 林業

 百科事典

 図書.書誌学

 図書.書誌学



四枚の付箋には黒のボールペンで単語がひたすら羅列してある。重複している単語もあるみたいだが、これは法則性があるということだろうか。それに各付箋が付いていたという下敷きが四つ。全下敷きの色は薄い水色で、パッと見た感じ特殊なものではなく至って普通の下敷きだ。


「哲学、ヨーロッパ史、西洋史…学問に関係している単語が目立つな。写真、百科事典とかの関係なさそうな単語もあるが」

「一枚目の法律、二枚目の経済とかの後ろに小さい点々がついてるね。同じ単語なのについていないのもある」


それに一枚目の付箋に書いてある技術とヨーロッパ史の後ろには小さい点が付いている。これはピリオドだろうか。これも何か意味があるのか。


「下敷きなのは何か理由があるのかな」

「今のところは何も分からん。思いつくのは単語を暗記するときに使う赤いペンとシートみたいに、一部の文字を消すとかだな。」

「んー何も消えないね」

「付箋に書かれた文字も黒のボールペンで書かれたものだから、消えるわけないか」


気になるのは二,三枚目だ。文章が足されている。


「”三番目の零は省くこと”…ってどういう意味だろう。三番目の単語は東洋思想だけど、零なんか含まれていないし」

「零は違う意味として使うのかもしれない。漢字を分解して”雨”、”令”として考えるとか?」

「でも、”雨”、”令”も東洋思想には含まれてないよ。もう単純に数字の0として見るとかじゃないかなぁ」

「四枚目の"技術.工学音"。技術は分かるが、工学音なんてものは聞いたことがないな」

「もう帰っていい?」

「おい、お前が始めたことだぞ」


追加されていた文章と工学音とやらの謎の単語が四枚目には消えている。これに意味はあるのだろうか。


「何で四枚目からは文章を消したんだろうね」

「書くの面倒臭くさくなったんだろう」

「豊ちゃんじゃあるまいし。面倒臭いなら二,三枚目に文章を追加しないでしょ」

「…それもそうか」


二人であーだこーだ話してはみたものの、付箋の内容については完全にお手上げ状態だった。これらが何を意味しているのか全然分からない。


「とりあえず、付箋の内容については一旦置いておこう。現状さっぱり分からん。だから、視点を変える」

「というと?」

「この付箋を書いた人は何がしたかったのかだ」


美咲はクエスチョンマークを頭に浮かべたまま不思議な顔でこちらを見つめている。俺は気にせず続けた。


「まずこれらの品々は忘れ物とあるが、定期的に計四回も図書室に忘れ去れている。ここまで来ると故意的と考えていいと思う。つまり、付箋を書いた人物…面倒くさいから今後はAとしよう。Aは何かしらの意図を持って図書室に付箋が付いた下敷きを置いていっている」

「…」

「付箋の内容は現状分からないが、明らかな法則性を持ったものだ。大多数の人間には分からず、一部の人間に分かるもの…これは暗号と分類していいいだろう。そして古来より暗号の使用用途は特定の人物にメッセージを伝えることだ」


美咲が緊迫した様子で唾をゴクリと鳴らす音が聞こえた気がした。


「犯人はこの付箋を通して何かを伝えたかったんじゃないか」

「豊ちゃん」

「あぁ」

「…Aさんは…何を伝えたかったの?」


「分からん」

「えぇー」


不満爆発といった様子で美咲は抗議の声を上げる。


「さっきも言ったじゃないか、付箋の内容については何も分からんと。お手上げ状態だよ」

「じゃあ、現状できることってこれで終わりなの?」

「できることとしたら、鍵を見つけることだと思う」


右手の人差し指をピンと立て美咲に目線を向ける。


「鍵って…何?」


少し飽きてきたのか美咲は右手をモンスターの口のように親指、それ以外の四指で分けて俺の人差し指をガブガブし始める。俺は溜息をつきながらそれを軽く払いのける。


「ちゃんと聞きなさい。さっきはこの付箋を暗号に例えたが、特定の人物…これはBにするか。何故Bにのみメッセージが伝わるのか。それはBが暗号を解く鍵となる情報を持っているからだ。暗号と鍵をかけ合わせることで初めて意味が伝わる内容になる」

「じゃあ、その鍵を探せばいいんだね!!」

「ただ、鍵がBしか知らない内容だったら本当にお手上げだ。例えばBの好きな食べ物とかな。俺らに知る由もない」

「終わった。もう無理だよ」

「まぁ、ここまでだな」

「うぇー」


俺は席を立ち、無意識に腕まくりをしていたワイシャツの袖を元に戻す。後ろからは抗議の声が聞こえているが無視だ無視。何だかんだ俺も熱中してしまっていたようだ。


「じゃあ、俺は職員室に戻るからな」

「…私はもう少し考える」

「頑張れよ」


悩む義妹を置いて入口まで歩みを進める。自身の両側には大きな本棚にいくつも配置されて少し圧迫感を感じる。。歩きながら本棚に並んだ分厚い本を目で追っていると、ふと気になる本があったので一冊手に取ってみる。


完訳ファーブル昆虫記 第一巻上 ジャン=アンリ・ファーブル 奥本大三郎 訳 集英社 [496 カ 1]


「…っと意外と重いな」


パラパラめくると色とりどりの昆虫たちが紹介されており、幼少期の記憶が溢れてくる。祖父の家に何故か全巻揃っており遊びに行く度に、カブトムシとクワガタムシのページをよく見ていていたっけな。


だが、そろそろ戻らないといけない。仕事のことを思い出してしまったため、心地よかった郷愁は段々と霧散していく。俺は仕方なく昆虫記を本棚に戻し背表紙を眺める。


「ん?」


何か引っかかった。身体が石のように固まり、頭にすべての意識の集中していくのが分かる。そのまま俺はずっと考えていた。


先程までいた奥の席に戻ると。美咲は頭を抱えうんうん唸っていた。まだ諦めていなかったか。


「まだ考えてるのか」

「えぁ?豊ちゃん?」


顔をガバッと上げ心底驚いた表情でこちらを見つめてくる。


「…何で戻ってきたの」

「いや、別に。何か分かったか?」

「全然分からない。付箋を透かしてみたり、下敷きに仕掛けがないか調べてたけど何もなかった」

「だろうな」

「やっぱ鍵がないと分からないのかなぁ。でも、そんなもの分からない。あれ………”だろうな?”」


自分でも口角が上がるのが分かる。


「おう、分かったぞ」

「え?え!?」

「声のボリューム」

「ご、ごめん。なにで、分かったの?鍵ってちゃんとあったの?」

「落ち着け。ちゃんと説明するから。はい着席」

「わ…分かった」


席に座った俺は、ワクワクした様子でこちらを見ている義妹に向けて話し始めた。


「まず、下敷きはこの暗号には関係がない。図書室に付箋だけ放置されていたら捨てられる可能性があるからそれを防止するためだろう」

「………」

「暗号は少し面倒くさかった。鍵さえ分かれば、分かる人間はいるだろう」

「で?その鍵って何だったの」

「えっとな、日本十進分類法っていうらしい」


スマホを眺めながら見慣れない正式名称を告げる。対面の席に座る美咲はなんなのか分からず困惑の表情を浮かべている。そりゃそうだろうな。普通はしらんよこの単語。


「こういう図書室とか図書館はたくさんの本があるだろう。それをテーマごとに0~9の数字で分類していくんだ。ちなみにファーブル昆虫記は486の昆虫類に分類される」

「あ、じゃああの哲学とか付箋に書いてあった単語も」

「あぁ、全部その分類に含まれている」


一枚目の付箋に記載された単語を数字に置換したものを、美咲が持っていたノートに書き記していく。


□一枚目の付箋

 500 技術.工学

 740 写真

 110 哲学各論

 320 法律"

 230 ヨーロッパ史.西洋史


「法律の点々はどうするの?」

「それは後で使うからとりあえず、置いておく。ここで次に重要なのが数字の三桁目だ。全部0になっているだろう」

「本当だ。じゃあ、二枚目の”三番目の零は省くこと”っているのは…」

「そのまま三桁目の0を省くって意味だな」


三桁目の0に斜線を入れ除外したとみなしていく。そのまま言葉を続ける。


□一枚目の付箋

 50 技術.工学

 74 写真

 11 哲学各論

 32 法律"

 23 ヨーロッパ史.西洋史


「そして、次のヒントは三枚目の付箋に書かれた”技術.工学音”だ。”技術.工学音”という分類はない。だが、”技術.工学”は日本十進分類法だと500に分類されている。これにも”三番目の零は省くこと”を適用する。そして、残った”音”と組み合わせると”50音”という単語となる」

「…それが?」

「小学校で習うだろ。”あいうえお”だよ」

「あぁー、それかー」

「そう、五十音の子音は”アカサタナハマヤラワ”で十個、母音が”アイウエオ”で五個。これをさっきの日本十進分類法と組み合わせる。あの分類法は、000から始まるからア行を0として考えていくんだ」

「????」

「例えば、技術.工学は1桁目が5なので6番目の子音であるハ行、2桁目が0なので1番目の母音であるアとなる。これを付箋すべてに適用すると…」


□一枚目の付箋

は 50 技術.工学

よ 74 写真

き 11 哲学各論

づ 32 法律"

け 23 ヨーロッパ史.西洋史


「はよ気付け…?あ、単語の後ろにあった点々は濁点なんだ」

「他の付箋も変換していくぞ」


□二枚目の付箋

い 01 図書.書誌学

つ 32 経済

き 11 東洋思想

づ 32 経済"

く 12 西洋哲学

の 44 地球科学.地学


 三番目の零は省くこと


□三枚目の付箋

わ 90 文学

か 20 哲学

っ 32 法律

て 33 経済

よ 74 写真


 三番目の零は省くこと

 50音


□四枚目の付箋

も 林業

う 百科事典

い 図書.書誌学

い 図書.書誌学


「この人は何かに気付いてほしかったのかな」

「だろうな。こうして付箋の内容が分かれば”三番目の零は省くこと”、”技術.工学音”が足された理由も推測できる。Aはメッセージを出していた。しかし、それに気づかれなかったため催促のため付箋を図書室に置いていった。しかし、それでも誰も応えてくれなかった。だから、ヒントとして文章をつけ足していったんだろう」

「でも、四枚目にはその文章が消えている。もういいって…諦めちゃったんだ…」

「美咲。これが付箋に刻まれし謎の答えだよ」


図書館が沈黙に包まれる。クーラーが鳴り響かせる重低音、本のページを捲る音のみがこの場を支配していた。先に沈黙を壊したのは美咲だっだ。


「Aさんは何を言いたかっただろう」

「…同情か?」

「そんなこと言わないでよ。ただ、こんなに難しい暗号考えてアピールして、でも誰も応えてくれなかったっていうのが…すごく悲しくて」


しっかり同情しているじゃないか。仕方ない、アフターフォローもしていおいてやるか。


「美咲、新しい友達欲しいか?」

「はぇ?…友達は…良い子であれば仲良くなりたいけど…」

「じゃあ、一つアドバイスだ。この付箋と文房具を返す時に、あの図書委員にこう言ってやるといい」


そして美咲に耳打ちして伝えるべき内容を伝える。内容を言われても美咲は全然ピンと来ていなかったが「良く分かんないけど分かった」と言い、片付ける準備をし始めた。俺は仕事のために席を立ち職員室へ戻ると告げる。


「ありがとうね豊ちゃん」

「次は、忙しくないときにしてくれ」


俺は図書室の入口まで歩いていく。すぐ近くにあるコルクボードに貼ってある図書委員の広報誌を見る。そこには日本十進分類法について記載してあり、その上には例として分類が羅列してある。これを先ほどの暗号解読に当てはめると…


お 04 一般論文集.一般講演集

と 34 財政

も 64 畜産業

だ 30 社会科学"

ち 31 政治

に 41 数学

な 40 自然科学

つ 32 法律

て 33 経済

く 12 東洋思想

だ 30 社会科学

さ 20 歴史

い 01 図書館.図書館情報学


この暗号では濁点の表現として分類名称の横に点々を付けている。そして広報誌の”社会科学”にも濁点がついている。こんな暗号を作る人間はそうそういないだろう。広報誌を作った人間と付箋を忘れていった人間は同じだろう。


窓の外を見ると青々と広がる空にドデカい入道雲が鎮座していた。もうそろそろ夏休みだ。美咲の謎解きコールは今年も鳴りやまないだろう。教師は夏休み中も普通に仕事があることを忘れていないだろうかと心配になってくる。


「豊ちゃーん!!」


職員室に行くための角を曲がる直前、後ろを振り返ると美咲と少し照れくさそうにしている図書委員…霧島さんがぺこりと頭を下げていた。どうやら、上手く行ったらしい。


爛漫と咲いた夏の向日葵のように、満面の笑顔の義妹を見て、俺は今後も巻き込まれ続けるんだろうと思う。ただ、この笑顔が見れるのであれば、それも悪くないのだろう。俺は二人に軽く手を振り、職員室へ戻るため歩を進めていった。


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