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第3話

 異変に気付いたのは、小高い丘の頂きに差し掛かったときだった。いつもはマリアが火を残して待っているのに、その煙が見えないのだ。

 地を蹴る足に力を込める。あがる息を気にも留めず、木々の間をなるべく最短ルートで駆け抜けた。見えてきた家に灯りの無いことが、余計に胸をざわつかせる。

 開け放たれたままのドアからは不穏な空気が流れ出ていた。背負い具を脱ぎ捨て、恐るおそる中へ踏み入る。色濃く漂う血の臭いと、まだ微かに残る他人のニオイ。奥に進むにつれて室内の荒れは大きくなり、寝室にいたってはドアが壊されている。

 嘘であってくれという願いは、叶うはずも無かった。

 窓からの明かりが届かずとも分かる程の血の染み。壁に残る、どれだけの人数で撃ち込んだのか分からない程の弾痕。重なる罪の記憶と違うのは、そこに在る物が自分の愛した人であることと、産まれるはずだった命にさえ直接手が下されているという惨い事実だけだった。

『私の苦しみを味わえ』『同じ辛酸(しんさん)をなめて逝け』

『簡単に殺してなるものか』『死よりも重い罰を受けよ』『アンタから死を乞う日が楽しみだ』

『お前も苦しむがいい』

 ――うるさい。知るか。黙れ。

 心が急速に冷えていく。凍りついて涙も出ない。

 もつれそうな足取りで、壁にもたれ掛かっているマリアへと近付く。死を覚悟し、それでもなお守ろうとしたのだろう。墓標のように腹部に突き立てられた三叉の農具は、彼女の両腕を巻き込んでいた。

「すまない。私が……私さえ……!」

 居ればよかったのか、居なければよかったのか。どちらも不正解にしか思えなくて黙り込む。

 農具を抜き取り、血塗れの襟首を引いて床へと横たえ、両袖を引き寄せ腹の上に添える。今の姿で出来る(とむら)いなど、それが限界だった。抱きしめることさえできず、最後の口付けを残して寝室を後にする。

 侵入者のニオイが一番濃く残るダイニングに戻ると、注意深く空気を嗅いだ。薄れ具合から考えて、襲撃は昼ごろ。少なくとも5人以上の体臭がある。渦巻く強い恐怖心の残り香に、微かに(にご)りが混じっていた。

「あの小男めッ!」

 嗅ぎ覚えのあるニオイだと気付き、歯を剥いて唸り声をあげる。マリアの妊娠が分かった折に、麓の村への付き添いや買い出しを頼んでいた者のニオイだ。出入りする間に、私が人狼であることを知ったに違いない。

 ――他の奴らもろとも、この手で殺してくれる!

 怒りと殺意に満ちたとき、異変は起きた。狂い月を過ぎているのに獣人姿に変わったのだ。いつものそれとは違い、意識はしっかり残っている。

「狂いたければ好きに狂えということか、月よ! ならば期待に応えてやろう!」

 家を飛び出し、強く、強く遠吠える。どこかで呼応する声が上がったが、それが他の人狼のものか否かはどうでも良かった。


 四肢でもって村への道を駆け下りる。私の報復を恐れてか、方々に火が焚かれて村は明々(あかあか)としていた。先ほどの遠吠えも聞こえたのだろう、村の入り口では銃を手にした十人あまりの男たちがこちらを警戒しているのが見える。

 慌てふためく喧騒が耳に届いてすぐ進路を左右に振る。火花が次々に咲き、遅れて聞こえた発砲音は、そのことごとくが通り過ぎて後方で着弾音を響かせた。

「ハッ! 下手くそめ!」

 あっという間に距離を詰め、勢いを乗せて右の豪腕を振るう。急ごしらえの粗末なバリケードとともに何人かが吹き飛び、ぐしゃりと心地いい音を立てた。始まり広がる悲鳴と怒号をコーラスに、月へ向けて断末魔のメロディを奏で続ける。その間奏とばかりにかがり火をなぎ倒して回れば、家屋に燃え移って文字通り熱を増した。

 家に押し入った者のニオイを嗅ぎつけては生け捕りにしようとしたが、力加減が上手くいかずに一つ二つと(しかばね)が増える。何とか口をきける程度で済んだのは、六人目のことだった。胸ぐらを掴みあげてあの小男について聞けば、臆病風に吹かれて家にこもっているという。

「西側に一つだけある平屋がそうだ! 何なら案内もするから助けてくれッ! それに俺はあの女を撃ってな――」

 そのまま地に殴りつけると、肋骨の折れるパキリという軽い音とグチャリとした感触が手に残った。

 向かってくる者だけを捻り潰しながら進み、辿り着いた小男の家のドアを蹴破る。途端、流れ出てきた空気に片眉が上がる。導かれるよう辿った先で、窓から差し込む月明かりを受けながら奴はぶら下がっていた。

『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!』

 耳朶(じだ)に音が蘇る。何をして、誰に向けて繰り返しているのか。聞きたくなくて耳を(ふさ)いでも、自身に刻まれた過去(こえ)は余計鮮明に聞こえるだけだった。

『いやだ、僕はまだ死にたくない!』

 いつかの自分が出来なかったことを、後悔の末にやってのけ、物と化したであろう、ヒト。その影の足先に触れることすら(はばか)られて後退(あとずさ)る。壁に行き当たってからは、ただただ復讐の矛先を失ってしまった虚無感で立ち尽くした。

『私の』『同じ』『死ぬより』『後悔しながら』

 呪いの言葉が頭を埋め尽くす。そんなの私は知らない。いや、僕は知っている。でも俺は悪くない。私は、僕は俺は――誰だ?

『好きよ、■■■』『呪え』『許さない』『呪え』『皆殺しにしてやる』『その身に呪いを満たせ』『かあさんを殺した報いを』『足りなければ呪え』

()()()苦しむがいい』

 あの人狼の吐いた言葉がまた聞こえる。かけられた呪いは、人狼の身に堕ちることそのものではなかったということか。愛する者という生き甲斐を得ると奪い、あふれた憎悪を喰らって(ふく)らむ呪い。狂い月そのものだ。

 あの日、一思いに死を選べていたなら。愛する命を奪われることも、この手で葬りたかった命を先に捨てられることも無かったのに。

 肩が震える。喉からこぼれた声は徐々に大きさを増して(わら)うものへと変わり、ついには()(たけ)るような狂気を(はら)んだ。

 満たされ、行き場をなくした呪いが全てを黒に染めていく。どうにでもなればいい。この世界も、私自身も全て、全てどうでもいい。外へ飛び出し、目に付くものを手当たり次第に壊し赤く染め上げながら夜へと駆けた。

 満たされ始めたカラの月が「もっと狂え」と嗤う。そうして私は身も心もケモノと化した。救いなど、もう何処にもありはしない。


〔その月は満ちて(わら)う/了〕



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