1.45億年目の奮起
2025/4/11改稿
その日、王は死んだ。
そして神は、地を歩いた。
誰にも予想できなかった。いや、誰もが忘れていたのだ――この世界は、「神」のものであるということを。
神の名は、アースドラゴン。
◆◆◆
「……出立日和だあ」
銀の巨体が、濁った空を見上げて呟いた。
雷が尾を引きながら落ちるも、その鱗ひとつ動かない。
溶岩が地を割って沸き立とうが、その体の下で蒸気を上げるだけ。
彼はただ、のんびりと体を伸ばしていた。
「……出立日和だあ」
また言った。
口癖のように、誰に聞かせるでもなく。
「……出立日和だあ……」
何度目だろう。
何億回か?いや、何兆回か?
彼は、生まれて数年でこの地に飽きた。
数十年目には、周囲の地形を焦土へと変え、
数百年目には、気象さえも変質させた。
数千年を過ぎた頃には、世界中の生物を認識し、数億年を経て、初めて兄妹という存在を知った。
数十億年が流れ、世界そのものが狭すぎると感じ始めた。
さらに幾星霜。
本能のままに世界の端から飛翔したあの日。
魔力でしか知りえなかった生物たちを、その眼で認識したあの日。
茫洋とした世界の存在に気づいた。
だから、旅立つことが夢になった。
けれど、旅には出なかった。
出られなかったのではない。
体が重いわけでもない。
天気の悪さも妨げにはならない。
ましてや最強に、体調不良などない。
見えざる力が妨げているわけでもない。
ただ――ただ、億劫だった。
44億年、そうして生きてきた。
惰性の中で目覚め、惰性の中で寝そべる。
だが、今日。
ほんの少しだけ、風が違った。
ほんの少しだけ、雲の流れが気になった。
そして、ぽつりと。
「……出立日和だあ! 友だちを探すぞッ!」
初めて、そう言葉にした。
旅に出る理由。
それは単純。
友だちを探したかったのだ。
最強の名を冠する存在が、45億年目にしてようやく歩き出す。
それは世界の終わりの鐘か、あるいは始まりの歌か――。
どちらでもない。
「友だちを探すぞッ! おーッ!」
友だちを探す、ドラゴンの物語である。
◆◆◆
【ノース王国】王城。通称、竜舞城では、新王即位の儀が行われていた。
「ふっ、下民どもが騒がしいわ」
あのボケ王の声が、耳に刺さる。
耐えろ、耐えるんだ、ロホス。
正装の下で、グッと拳を握り、装った冷静で声をかけた。
「……陛下、準備はよろしいですか」
すると王は、眉尻と口の端を吊り上げて、悪意たっぷりに口を開いた。
「父上を誅した我こそ、正統な王であると下民どもに知らしめねばな」
「……はっ」
このボケは、隠す気もなくなったか。
前王の死は陰謀によるものである。
口に出さぬまでも、王城内では周知の事実ではあったのだ。
それを知ってか知らずか、自慢げに語るあたりが、やはりボケだ。
「不満そうだな、ロホス」
一応、こいつは王なので、一応、うやうやしく対応する。
「……いえそのようなことは」
そう言うと、またあの表情をみせた。
悪意たっぷりな表情を。
「お前を殺さずにいてやるのは、エリーゼのためだ」
エリーゼ?
どうして私の娘の名が出てくるのだ。
身振りで問いかけると、王は舌なめずりをして、一段違ったイヤらしさをみせた。
「エリーゼとの初夜が、慟哭で汚されてはたまらんからなあ。クハハハクハハハ!」
「……くっ」
握りしめた拳に爪が食いむ。
この国の宰相として、前王の右腕として、今すぐにボケナスの王を殺してしまいたい。
だがしかし、王は王なのだ。
だから私は、城下へと手を振る王の背を、眺めることしかできなかった。
「おおっ!」
「王様だ!」
「新たな時代だ!」
市民のボルテージが一気に加速し、まるで大きな咆哮のように歓声が沸き上がる。
「この愚民どもに、一つ演説でもしてやるか。拡声具を持て」
「はっ」
近衛騎士が持ち出したのは、拡声の魔道具。
竜の咆哮にも負けぬ音圧でおなじみの、有名な魔道具だ。
スタンドを調節し、ポンポンと拡声具を叩くと、民衆は静まり返りバルコニーへと意識が注がれる。
「準備が整いました陛下」
近衛騎士の最敬礼を、軽く手であしらった王は、城下の民衆をじっくりと見渡す。
「我がノース家は神に認められし血筋!」
「神とは何か! それは北域の神、アースドラゴンである!」
「すなわち、我の即位を神も祝福しておられるのだああああ!」
よくもまあ、あれだけ大言壮語を並べられるものだ。
私には、薄っぺらい戯言に思えてならないが、国民たちは違う。
「おおおっ!」
「うぉぉぉ!」
「ひゅー!」
「ぽーーっ!」
どれだけボケでも、彼らには王なのだ。
想定していた反応に王は、ニンマリと笑っている。
そして私の方へと振り返ると、お得意の表情になる。
「下民どもは面白いなあ。これから税金を上げまくってやるというのに。クハハハハ!」
前王は、清廉潔白で国民にも慕われ、武にも智にも秀でた王であったのに。
息子の教育だけは失敗したといわざるを得ない。
失敗作と対峙しているせいで、拳が震えっぱなしだ。
私が物言わぬことで、王は饒舌になる。
「ロホスよ我は気分がいいぞ。今すぐに貴様の娘を呼べッ! 王の剣で貫いてやるわ。クハハハ」
この色ボケクソ野郎が……。
こんな奴に、私の大事な娘を渡してたまるか。
前王を無能と罵り、用を足している無防備な瞬間に、魔法で強化した弓矢で射殺した卑怯な奴に。
短剣でグサリとか、剣でもみ合ってとかそんなんじゃなくて、遠いところから無防備な背後を狙って射殺した、勇ましさのかけらもない奴に。
優しく寛大で、厳しい世界で我が国が生き抜くよう、日々苦心しながら国民のために働き詰めだった前王は、痔だったのだぞッ!
忙しい合間を縫って、苦しみに悶えながら用を足していたというのに!
病人に対して、無慈悲さを叩きつけるような、クソ野郎ではないか。
娘を渡すわけにはいかん!
よくよく考えてみたら、コイツ終わってるな。
こんなんを王にさせてみろ。
民は貧困にあえぎ、国は道を見失い、我が娘は甘い春を失うであろう。
何もかも全部許せん!
しかし私が手を下しては、国が滅ぶ。
前王に忠実だった家臣たちは、ほぼ処刑。
政治を担う大臣連中や貴族は、アホの息のかかった者ばかり。
私が、私だけがこの国をまともにできる、唯一の良心なのだ。
耐えなければ。
娘には申し訳ないが、耐えなければ国が滅んでしまう。
いや待て、前王ならこんな時どうした。
辛く苦しいとき、あの方はどうした。
声を押し殺し、痛みに耐え、踏ん張っていたではないか。
いつか治ると信じて、希望を捨てはしなかったはずだ。
私も信じよう。
希望を、持ち続けよう。
願わくば、北域の神よ。大地を司るアースドラゴンよ。
かつて祝福されたノース王国を、お助けください。
この、クソボケゴミガス王を消してください。
私に、いやこの国に、希望をください。
「なにをしているのだロホス! 娘を連れてこい!」
黙りこくっていた私に、ボケ王はしびれを切らしたようだ。
小鼻を膨らませて近づいてくる。
カツカツとバルコニーからやってくる王の足音。
だが、その背後には、あるべきものがない。
国民たちの沸き立つ歓声が、いつの間にか消えている。
「……こ、これはまさか」
空が、闇に包まれていく。
朝が夜になったという、あの日の記録と同じだ。
建国の神話。
初代王が語った神の飛翔。
まさか、今。
「来てくださった……神が……ついに……!」
私の膝は、自然と崩れ落ちた。
信じていた希望が、こうも突然現れるなんて。
祈りを聞き届けてくださったのか。
それとも、こんなに終わってる王を、廃するために……。
理由は何でもいいから、このボケ王を。
「さっさとコイツをぉぉぉぉぉぉぉ!」
私は王の腰に飛びついた。
幸いにも騎士たちの目は天に奪われており、誰も動きそうにない。
この機を逃すまい。
さらに力を込めて、王のズボンを握りしめた。
「アースドラゴン様だ……!」
「神が……神が降りられた……」
皆が伏していく。貴族も、兵も、大臣も。
この国の誰もが、ただひとつの存在を仰いでいた。
夜が明けるように空が割れ、光がまっすぐにバルコニーへと差した。
その光が、空気に溶けていく。
そして残されたのは、一人の青年だった。
「こんにちは。この家の主に会いに来ました。ご在宅です?」
その声を、私は忘れないだろう。
魔力の奔流、言葉の重み、存在の異質さ――まごうことなき神だった。
「誰だ貴様! どうやって登ってきたのだ! 下民が我に口を利くなど……処刑してやるわッ! つーか離せよロホス!」
「あなたが主ですか? ちょっとお尋ねしたいことが……」
神もお困りのようだった。
無理もない。
神に処刑などと言ってのけた王は、この世に一人としていないはずだから。
最後までお読みいただき、ありがとうごさいます。
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