第107話 怒り
……時は少し戻り。
俺達はカズの部屋にある巨大水槽の中で、ウミガメと一緒に泳ぐモササウルスのアクアや、美しい魚達の群れ、そして綺麗な珊瑚礁やサメ達を眺めながらくつろいでいた。
そこでは珍しくカズがギターを弾き、美羽が歌う。そして時折そんな2人がハモりながら歌を歌っている。
曲はSTINGの名曲、[Shape Of My Heart]。
映画「レオン」のエンディング曲として使用された名曲であり。カズが人生の一曲にしている。
その2人の歌が心地よくて、俺達は聴き入っていた。
「久しぶりに2人が歌うShape Of My Heartを聴いたな……。美羽の曲も良いけど、俺は2人が歌うこの曲が1番好きだな……」
そう言うと、2人がなんか嬉しそうな顔になった。
「ふふっ、カズと私でちょっとだけアレンジをしてるけどね。実はこの曲をカバー曲として出そうと思ってるんだけど。皆んなはどう思う?」
だから俺達は、それ良いじゃんと言って賛成する。
「普通に出しなよ。絶対出した方が良いって」
沙耶的に、美羽だけじゃなくカズにも歌ってもらい、それで出した方がいいと絶賛していると。
「でも美羽。その曲はカズが人生の一曲にしている曲だからなんでしょ?」
ヤッさんがちょっと意地悪そうな顔で言い、美羽は赤面するけど否定しない。
「だって……、カズが人生の一曲にしている曲なんだし。皆んなが賛成してくれるなら本気で歌って出したいなって思ったからさ……」
「そんな言い訳は良いよ美羽。出したらカズが喜んでくれると思ったんだろ? だったらそれで良いじゃねえか。そうだよな? カズ」
俺がそう聞くと、カズは微笑んだ。
するとそこで組員の人達数人が大慌てで走って来ると、戦場にマーセル・リヒリムって男が現れたと告げた。
「マーセル……だと?」
その名を聴いた瞬間、今までなんとか抑えていた怒りが溢れ出しそうな表情へと急に変わった。
俺はカズの表情を見て、そのマーセルと何があったのか気になったけど、なんか聞けるような雰囲気じゃねえから聞くのをやめた。
「はい、間違い無くマーセル・リヒリム本人で間違いありません」
「生きていやがったのか……」
報告を聞いた俺達は急いで戦場へと足を向けたけど。
この時、俺は嫌な予感を強く感じながらもカズの後について行くことにした。
ゲートを潜り、異世界に入るとその日は雨が降っていた。
それでも俺達は傘をささず、戦場に向けて走る。
行くと、戦場の真ん中で2人の男が睨み合っている。
親父さんと、マーセルって言う男の2人だ。
「随分と久しぶりだなマーセル」
「そうですね。アナタは相変わらずと言ったところでしょうか?」
「言ってろこの裏切り者が」
マーセル・リヒリム。髪は金髪で長髪、歳は20代後半か30代前半。身長は親父さんよりやや低く、細い体型をしていて、美形の男だった。
「まさかテメーがバルメイアの団長をしてるなんて、正直驚いたよマーセル」
「あの時……、カズヤから受けた傷で死にかけていたところを運良くバルメイア軍に拾われましてね。必死に頑張って今の地位に僅か数年でたどり着く事が出来ましたよ」
そう言ってマーセルは軽く微笑むけど、目は全く笑っていねえ。
「あの時ちゃんと俺が殺しておけば良かったと後悔してるよ」
親父さんもそう言って微笑むけど、こちらも目が全く笑ってねえ。
そこで、俺達が到着している事に気がついた親父さんは、引っ込んでいろと言い放ってきた。
けど。
「親父こそ後ろに下がれよ。そいつは俺が殺す」
「やぁカズヤ。元気そうでなによりだよ」
マーセルのその言葉に、カズの怒りは臨界点を軽く超えて目は完全に据わり、殺意が剥き出しになった。
もう、今のカズは触れるな危険を通り越して、触れるな死ぬと書かれたボードが宙に浮かんでるのが目に浮かぶ。
「なんであの時ミラママを殺した? いや、そもそもなんでアメリカを裏切った?」
その質問にマーセルは鼻で笑い、「愚問だね」と答えた。
「今更そんな事を聞く必要があるのかな?」
「……死ねよテメェ」
「ちょっと待ってくれカズ!」
でもそこで俺はカズの左肩を掴んだ。
「カズ頼む。行かないでくれ」
「……あ゛? 何言ってんだテメェ?」
ッ………!
危険な目をしている。今のカズは、マジでヤバい。導火線に火をつけた瞬間、一瞬で死体の山を作りかねない。そんな目をしていやがった。
「なんか……、なんて言ったらいいか解んねえけど、なんか嫌な予感がするんだ……」
嫌な予感がするだけだと言うのに、その時の俺はどこか哀しみが溢れそうになっていた。
「何言ってんだ? 何が嫌な予感がするって? フンッ、俺が負けるとでも思ってんのかよ?」
「ちがっ……!」
軽く鼻で笑い、いつもの不敵な笑みになると、カズは俺が掴んでる手をはずす。
俺は不安な気持ちで一杯だった……。
この後、俺の不安は最悪な形で的中する事を、この時はまだ想像していなかった……。
カズは一瞬にしてマーセルとの距離を詰め、その顔に強烈な蹴りを叩き込もうとする。
でも、カズは何かを察知したのかその蹴りをなんとか止めると、瞬時に後ろへ後退。そしてその目に入ってきたのは5本の鎖と、それぞれの鎖に繋がった5本の長い剣がそこにあった。
「流石だね。どうだい? 美しい剣だろ?」
するとマーセルはマントを外す。そこには左手の膝から先が無く。代わりに鎖に繋がっている剣が直接繋がってるじゃねえか……。
「君に切り落とされた左手の代わりだよ」
カズに切り落とされたからそうなったのか……。
「直接魔力を注ぐ事で今じゃ自由自在に操る事が出来る。それにそのお陰で私は団長まで昇り詰める事が出来たんだ。全て君のお陰なのだから御礼を言わせて欲しい。ありがとう」
その表情は誰がどう見ても歪と言ってもおかしくない微笑みを、マーセルは見せた。
その言葉と微笑みは、十分、今のカズを挑発できる。
カズは左腰に鎖で垂れ下がる堕天竜を持つと、前へと倒れ込む。
瞬速の抜刀術、"堕悲懺悔"の構えだ。
「もう黙って死ね」
その瞬間、カズの姿が消えたかと思うと甲高い音が響き渡る。
「君の得意技は通用しないよ。私がなんの対策も無く出て来るわけがないじゃ無いか」
うっ……そだろ……?
マーセルはたった一本の剣でカズの技を簡単に防ぎ。防がれたカズは驚いて言葉を失っている。
「しかし君のその刀は実に美しい、それでいてその刀から得体の知れない、何かとても恐ろしい力を感じる」
マーセルはカズが抜き放った堕天竜を見て、惚れ惚れとした目で見つめる。
俺は逆に、初めて抜かれた堕天竜を見て恐怖していた。
カズが言ってたように、切っ先がドラゴンの羽みたいになっている。刃自体はまるでノコギリで、その刃一つ一つも、ドラゴンみたいな羽と言うか、鎌みたいな形状で、全体的に真っ黒だ。
あんなもんで斬られたら一溜りもねえぞ……。
「一度止める事が出来たくれえでいい気になるんじゃねえよ、ボケが」
カズはマーセルに対し、再び瞬速の斬撃を繰り出そうとした時だった。
「退がれ馬鹿者、その男の相手は私だぞ」
雨が降りしきる中。しかめっ面な顔で怒っているミラさんが、静かに現れた。
「守行でも朱莉でも誰でも良い。早くあの子を捕まえて下がらせろ」
その願いに応えたのは他の誰でも無い、俺だ。
「離せ」
俺がカズの肩に手を置いた時、カズは強烈な威圧感を解き放つ。
恐ろしい程の恐怖と、目眩と吐き気をなんとか堪え、それでもその手を離したくなかった。
「頼むカズ……」
そこへ美羽と沙耶、一樹にヤッさんもカズの周りに集まると、舌打ちをしながらカズは堕天竜を鞘に収め、後ろを振り返るとゆっくりとその場から離れてくれた。
その横をミラさんが通り抜けていく。そこでカズは歩みを止めた。
「負けんじゃねえぞ?」
不貞腐れた顔をしながらミラさんにそう言うと。
「誰に言ってる?」
カズの言葉にミラさんも足を止め、カズに対して強い口調で応えた。
「フンッ、"個人要塞"の力、存分に味合わせるんだな」
「言われなくともそうするわ」
そしてミラさんは再びマーセルに向かって歩み始める。
マーセルもミラさんの様にゆっくりと歩み出すと、その距離がじわじわと縮まっていく。
「お久しぶりです、生きておられたのですか大尉?」
マーセルがニッコリとした顔でミラさんに挨拶すると。
「生きてなどいなかったさ。私はあの日、確かに死んだのだからな」
「死んでいたのならどうして今ここに立っておいでなのですか大尉? 私はあの日、大尉の両手両足を吹き飛ばしただけじゃなく、顔半分も吹き飛ばしました。それに心臓をこの手で引き摺り出したんですよ? それなのにこうしてまた私の前にいる。もしやゴーストですか?」
「そんな訳なかろう」
そして2人の距離が残り3メートルになると、お互いの足が止まった。
「今こうして私がいられるのは全てあの子のお陰だ」
「……成る程、大尉はカズヤから新たな命を頂いたのですね」
この時、俺は頭が混乱していた。
ミラさんは死んでいる? そのミラさんは、カズから新しい命を貰った事で今こうして立っている?
訳が解らなくなり、「どう言う事なんだ?」ってカズに説明を求めた。
「言葉通りの意味だ。ミラママは昔、あのマーセルって野郎に酷い殺され方をした。その時ちょうどその場に俺が居合わせたから野郎の左手をぶった斬り、腹を刺して川に蹴り落とした。俺はその時、野郎から流れ出る大量の血を見てその内出血多量で死ぬと思っていた。ましてやその川には獰猛なモンスター達が生息している。野郎がまだ生きてんのは俺が確実に仕留められなかったからだ。そのせいで多くの命を……あのクソヤローは……ッ」
そう言ってカズは悔しそうな顔になる。
俺は思った。恐らく今回の計画を企てたのはマーセルと言う男で間違い無いと。
そして、この男のせいでニアちゃんや多くの冒険者やハンター達の命はヘカトンケイルに使われてしまったんだと。
そう思うと、俺自身も、徐々に怒りが込み上がってきていた。
「それは違うぞ和也」
そこへ申し訳なさそうな顔をした親父さんが近付いてきた。
「あの時一緒にいたにも拘らず、俺は奴の死を確認するのを怠った。だから責任は俺にある。すまない、全ては俺のせいだ……」
親父さんは頭を下げると、カズに謝った。
「……何言ってんだよ親父、頭を上げろよ。別に親父が謝る事じゃねえだろ」
でもカズは親父さんに怒ってはいないかった。それでも、親父さんは謝らずにはいられなかったのか、まだ頭を下げていた……。
「親父が何を言いたいかだいたい想像が付く。だからこれ以上、なにも言わないでくれ……」
親父さんが謝りたかったのはたぶん、ニアちゃんの事なんだと俺は気づいた。
するとそこでマーセルは不敵に笑い出した。
「ふふふふふ、なんとも言えない美しい親子愛をありがとう。そう……あの時、君が私をちゃんと殺しておけばこんな事にはならずに済んだんだよカズヤ」
「お前はもう黙って死ねっ!」
マーセルの言葉にミラさんは怒りの余り、攻撃を仕掛けようとしたその時。マーセルがある人物の名を口にした瞬間にミラさんは止まり。同時にその場が凍りつく事となった。
「そう言えば……確かニアって言ったかな? あの子」
「!!」
マーセルの口からニアちゃんの名前が出た途端。その場にいる全員が目を見開いて動かなくなった。
いや、動かなくなったんじゃ無い……。動けなくなったんだ……。
「ニアが……、どうしたって?」
強い殺意が入り混じった圧倒的な威圧感を、カズは放ち始めた。
その威圧感はまるで、「動くな」、「息をするな」、「喋るな」、「それを破れば殺す」、「例外は無い」と言いたげな空気を全員が感じ取っていた。
だから、俺達は動けなくなったんだ……。




