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デュアル・ワールド=ファンタジア  作者: 遠野夜空
第一章 愛欲に濡れたプレリュード
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第一章 Ⅸ 大好きなあなたのために

           第一章   Ⅸ

         大好きなあなたのために



 初めて人を撃った感覚。それは自己嫌悪と罪悪感で染まり切っていて、最早原型を留めていなかった。

 だからだろう。きっとそのせいだろう。本来ならもっと正しい感情を抱ける筈なんだ。

 きっと。きっとそうだ。じゃないと、おかしい。だって俺の心は、他でもない安堵感で満ちているんだから——

 本当に、気色が悪い。死んでしまいたい、殺してしまいたいと、そう思う。

 けど俺の中には、そう思えばきっとこの業も許される、罰を与えようとはしないだろう、なんて救いようのない下衆な考えをする俺がいた。更にその俺を糾弾し嫌悪して、また赦しを得ようとする自分がいて、その終わりの見えない迷宮をぐるぐるぐるぐる回っている。


 嫌悪感を発散するように、ビルの壁に背中を打ち付ける。

 脱力する体にも、安堵感は表れていた。

 ジンジンと痛みを訴える背中を断罪するべく、腕を振り上げる。

 けど腕を振り下ろす体力も、それを維持する気力もなくて、どさっと無造作に下ろした。


 視界の上左端の数字は「0/2」のまま変わっていない。

 あの人は死ななかったか、或いは別の人に殺されたか、それとも死因ではなくちゃんと撃ち殺さないと判定には含まれないのか。

 どれにしても、俺があの人を撃ったという事実は揺るがない。

 あの瞬間に何が起こったのか……誰かに撃たされたのか、それとも自分の意思で引き金を引いたのか、これすら怪しい俺に分かる事実といえば、本当にそれくらいだ。


「ッ——……」


 涙を零したくない。自分の惨めさを認めたくないから。

 そういう時は天を仰ぐと良い。きっと空が曇って見える。だから、雨だと誤魔化せる。

 ……と、誰かが教えてくれた。

 けどそんなものは子供騙しなんだと、こうして痛感した。

 ビルとビルで切り取られた青空は確かに霞んで見えるけど、俺にはどうしても曇っているようには見えない。

 きっとその人は辛くて悲しいからこそ上を向けと、そう言いたかったんだろう。

 けど俺に、その資格はない。それに、ぼろぼろと自分の目から零れる生温い液体が地面に染みてくのを眺めていた方が、時間も現実も忘れられる。



 ——それから、どれだけの時間が過ぎたのか。視界の隅で数字が変動して行くのを呆然と眺め、時間を無意味に消費していると、忙しない足音が近付いて来た。


 今度こそ死期を悟る、それよりも先に、足音の主は俺に抱きついて来た。


「葵——!!」


 鼻腔をくすぐる柑橘系の香り。鼻先に触れるサラサラとした檜皮色の長髪。ずっと隣にいてくれた優しい温もり。ずっと聞いていたいと思う澄んだ声質。

 ……間違いない。間違えるはずがない。俺を強く抱きしめるこの子は——


「あか、り——?」

「あおい。葵……。葵。葵。葵。……った。良かった。良かったぁ……生きててくれてありがとう。ありがとう、葵……」


 ぎゅっと抱きしめ、心から安堵するように頬擦りをして来る明莉。

 その声を聞き、その温もりに包まれて、俺は真に心の底から安心した。俺も少しだけ、顔を動かす。

 本当は、その温かくて優しい背中を抱きしめたいけど、きっと俺にその資格はない。だから明莉にはバレないよう、そっと手を下ろした。


「なん、で——?」


 嗚咽のせいで上手く呂律が回らない。

 けどそれを差し引いても、もっと別の言葉があっただろう。抱きしめ返せないのなら、せめて言葉で伝える努力をするべきなのに———


「大丈夫。大丈夫だから。私は大丈夫。葵も、きっと大丈夫……」


 俺の背中を優しくトントンとしながら、明莉は「大丈夫」と安心させるように何度も繰り返した。

 それはきっと、自分に向けた言葉でもあるんだと、聞いている内に思った。

 もしかすれば明莉は、ずっと俺を探してくれていたのかもしれない。何処にいるか分からない、既に他の参加者に殺されているか、或いは殺している可能性の方が、ずっと高かったはずなのに。

 ……いいや。もしかすればじゃない。明莉は間違いなく、ずっと俺を探してくれていた。自分の命を擲って、こんなにも傷だらけになって、ひたすらに俺を探してくれていたんだ。

 なのに……なのに、俺は——————


「ッ……ごめ、ッ、あか、り……ごめん……。おれ、は、何も……ごめん、ごめん明莉……」

「ううん。葵は悪くない。

 ごめんね。もっと早く見つけてあげられなくて。こんなに傷だらけになって、痛かったね。苦しかったね。辛かったね。ずっと独りで……頑張ったね」

「ち、が……ぁ、かり……おれ、俺は——」

「だいじょうぶ。大丈夫だよ。ちゃんと分かってる。葵の言いたいこと、全部。だから泣かないで」


 優しく、優しく、明莉は俺の頭を撫でた。そのリズムに沿って、ゆっくりと呼吸を落ち着かせる。



 ——それから幾許かの時間が経過した。

 その間、明莉は何も言わずに、ずっと俺の背中をトントンと優しく叩いてくれていた。

 ゆっくりとその手が止まると、堰き止められていた現実の波が押し寄せて来る心地を覚えた。


「葵は、誰か……ううん。ごめんね。なんでもない」

「……明莉は——?」

「……………一人だけ」

「そ、か……」


 「うん」と口の中で呟き、明莉はまた背中に置いた手を動かし始めた。


「………葵。あの約束、此処で使うね——」


 背中をさすりながら、明莉は意を決するように口を開いた。

 あの約束とは、《知恵と生命の樹》までの道中、俺が明莉に嘘を吐いたことに対してのほんの細やかなペナルティとして結ばれた約束だろう。

 その約束の内容は、何でも明莉の言うことを聞くこと。

 それなら普段と何も変わらないだろう、そう思って交わした他愛のない約束。

 だが命を奪い差し出し合うこの狂った状況がその認識を歪めた。その約束を真っ赤に染めた。


「生きて。そしてきっと幸せになって。大切な人と結ばれて、その人と子どもを作って、優しい家庭を築いて。誰もが羨むものじゃなくていいから、あなたの思う最高の家庭を築いて。大切な人を、きっと幸せにして。

 それが私のたった一つのお願い———」

「明、莉———」


 駄目だ。それにだけは頷けない。他の願いは何でも聞く。叶えてみせる。けどそれだけは、その願いだけは、叶えられない。叶えたくない。

 俺には優しさなんて微塵もない。明莉が側にいてくれたから、優しくなりたいと願った。明莉が隣を歩いてくれるから、俺の人生は彩りに満ちていた。

 俺の大切な人は、君なんだ。そんな他人事みたいに、言わないでくれ。俺に君を幸せにする資格をくれ。お願いだからそう願ってくれ。

 そうすれば、きっと俺は——


 明莉は、拳銃を握った俺の手を包み込み、そっと持ち上げた。

 腕に走る激痛を温もりが中和する。


「明莉……。それだ、は……それだけは嫌だ……。叶えられない。明莉、明莉……俺はずっと、ずっと明莉のことが——」


 告白せんとする口が柔らかな何かで塞がれた。

 柔らかくて、ほんのり濡れていて、仄かに震えていて、なによりも温かい。

 磨耗した心を優しく癒やすその温もりは、永らく凍っていた大地を解かす木の芽時の麗かな陽射しを思わせた。


「ダメ。揺らいじゃう。だからそれ以上は言っちゃダメ。葵。私はね……あなたと一緒には行けないの」

「なん、で——……」


 君がそんな顔をするんだ。なんで、君がそんなことを言うんだ。


「ずっと一緒にいたかった。叶うのなら、あなたと添い遂げたかった。あなたの隣で、あなただけを見ていたかった。あなたの冷えているのに柔らかくて優しい手をずっと握っていたかった。

 けど、私には優しいあなたの隣を歩けない。私の手は汚れちゃったから。きっと手だけじゃなくて、心までも赤く染まっちゃったから」

「違、う……。資格がないのは、俺なんだ……」


 明莉が俺を想って必死に探してくれている間も、俺はずっと自分のことだけを考えていた。


「優しいからなんかじゃ……ないんだ」


 俺は臆病で無力で下衆で、和眞が殺された時も、悲しむより先に逃げていた。和眞を危険察知の道具に使ってしまった。


「俺は、優しくなんかない……。明莉に憧れたから、優しくあろうとした。明莉が好きだったから、強くあろうとした。

 けど俺は結局、何も変わってなかった。だから俺の方が、ずっと汚れてるんだ——」


 君は覚えてないって言うけど、君と初めて出会った時、君は俺に見向きもしなかった。

 和眞、恭次と三人で馬鹿やって、毎日のように先生に叱られて、悪ふざけばっかしてたあの頃、君は心底から俺を嫌っていた。

 席が隣になっても目すら合わせてくれなくて、きっと眼中になかったんだろう。

 告白しても呆気なく振られて、だから俺は誓った。君に振り向いてもらえるくらいの人間になって、もう一度告白すると、そう誓った。

 けど結局、俺の本質は何一つ変わってなかった。付け焼き刃でしかなかったんだ。結局、今も俺は、君に嫌われていたあの頃の俺のままで、一歩も前に進んでないんだ——


 歯を噛み締め、腕を支配する激痛をねじ伏せて、明莉の握る手をそっと引いた。


「……ごめんなさい。あなたには嘘吐かないでって言っておきながら、実は私もね、一つだけ嘘吐いてたの。

 あなたと初めて出会った頃のこと、覚えてないって今まで言って来たけど、本当はね、嘘なの。

 今も鮮明に覚えてる。だって私、あの頃はあなたのこと大嫌いだったもの。人の迷惑も考えないで自分勝手な人だと、そう思ってたから」


 「けど、全然違った」と明莉は間を置いて言った。


「ううん。もしかしたらあの頃は本当にそうだったのかもしれない。

 けど私がフって以来、あなたはずーっと努力して来た。

 困っている人がいて、頑張って声をかけようとするあなたの姿が好きだった。その人が誰かに助けられるのを見ると、安堵と自責の表情を浮かべるあなたの姿に、私は惹かれたの。優しくなろうとしているあなたが、煌めいて見えたから。

 始めから優しさを持つ人も素敵だけど、それは才能に近しいものだと思うの。

 だから私は、私なんかの為に優しくなろうと必死に努力してくれるあなたが、誰よりも、なによりも好き」


 上手く例を挙げられないが、明莉が俺を傷付けないようにと思って嘘を吐いた、いや吐いてくれたことは何度かある。

 明莉は一つだけ嘘を吐いたと言ったが、それはきっと俺の為じゃなく自分の為に嘘を吐いたという意味なんだろう。

 ……確たる根拠はない。けどそれに近しいものはある。明莉の全身に付いた痛々しい傷と何も持ってない空いた両手。

 それらから察するは、明莉が俺の為に吐いた最後の嘘。

 一人だけ殺した、というあの言葉——


「明莉——っ」

「ごめんね。もうあんまり時間がない」


 俺の言葉を遮るように言った明莉は、ごめんね? と微笑み、言葉を織った。


「葵。弾数はあとどのくらい?」

「………3、発———」

「そっか。良かった。なら、きっと大丈夫———」


 言って、明莉は俺の手にまた触れ、片手はリングに伸ばした。

 その華奢な手に重い拳銃が乗ると、明莉はそれをそっと離した。


「ッ……!! 明莉——!!」


 拳銃を120秒離せば脱落となる。拳銃を奪われてもまた失格。だから拳銃は俺達の命に等しい。それを離す行為は、自分の命を投げ出す行為と全く同じなんだ。

 ……けど、俺にこの拳銃は触れられない。触れた瞬間に、明莉は失格……いや死ぬんだ。


 「明莉……!!」と名を呼んでも、明莉は微笑むばかりで拳銃を手に取ってはくれなかった。


 「葵。よく聞いて」と言い、明莉はコツンと額を合わせて来た。


「今の時点での通過者は大体3700人。そして下の数字は5100弱。きっともうあまり時間がない。それに、その傷じゃもう動けない。

 けどね、たった一つだけ、あなたが生き残る手段があるの。この試験の通過条件、覚えてる?」



 ———参加者二名ノ殺害。



「だけど、他の参加者の殺害とは明示されていないの。だからきっと——」



 ———アナタガ想イ人ヲ殺シテ、アナタ自身ヲモ殺セバ、キット試験ヲ突破デキル。



「電脳世界の死が現実の死に直結することはない。この世界で受けた傷も、現実に受け継がれることはない。あの人は確かにそう言ってた。きっと、きっと大丈夫」

「嫌、だ……。嫌だ、明莉……! 君がいない世界なんて、君を殺、……して生き延びたって、俺には———!!」

「ごめんね。葵の我が儘は聞けそうにないの。けど……自分勝手だって分かってるけど、最後に一つだけ、約束でもお願いでもなくて、私の我が儘を叶えて———」


 一度目よりも優しく明莉の唇が口に触れる。

 ゆっくりと熱が交換される。

 十数秒程だろうか。お互いの温度が同じくらいになったところで、明莉はそっと口を離した。

 仄かに頬を赤らめた明莉は涙を湛えた双眸を細め柔らかに微笑み、また俺の腕を持ち上げた。


「明、莉……」

「葵。きっと生きて、幸せになってね」



 ———アナタナラ、キット大丈夫。



    無理だ。絶対に無理だ。明莉を殺して、自分だけ幸せになるなんて、絶対に嫌だ。



 ———ウウン。無理ジャナイ。私ガ居ルモノ。



「きっと苦しいだろうから、私のことはあんまり思い出さないでね。

 けど、もし叶うなら、あなたの心の隅で良いから、私の居場所を頂戴?」


 忘れられるはずがない。忘れたいはずがない。たとえ戦場のど真ん中だろうと、たとえ心が磨耗し全てを忘れようと、俺がこの子を忘れる日は永劫訪れない。だって俺の走馬灯は、君の独壇場なんだから———


 なのに何で、俺の腕は持ち上がってるんだ。なんで俺は、彼女に銃口を向けているんだ。



 ———アナタニ、生キテ欲シイカラ。



    やめてくれ。お願いだ。これだけは、これだけはどうか———



「ありがとう。葵。私の為に泣いてくれて。大好きだよ。だから葵。私のお願い、どうか叶えてね。ずっと……ずっとずっと愛……祈ってるよ———」


 バァァン!! と重い銃声が手元から響いた。


 明莉の腹部が真っ赤に染まっていく—————


「え、へへ。だ、じょう、…よ。痛、…くない。あり、……う葵。私、…を好きになってくれて—————」


 切れ切れの言葉を、明莉は最後の気力で紡いだ。

 そして最後の力を以て、俺の手に明莉の拳銃を乗せた。


「————————————」


 倒れて来た明莉の体が俺に触れると、同時だった。

 明莉の体は偽りの天へと昇って行った———


「ぁかり——————……」


 おれ、は………………。


 手に持った拳銃が、機械的に頭へと向かった——————


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