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デュアル・ワールド=ファンタジア  作者: 遠野夜空
第一章 愛欲に濡れたプレリュード
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第一章 Ⅲ 白衣の男

           第一章  Ⅲ

            白衣の男



  四階 通路


 鮮やかな金色の瞳が、階下の大食堂を見下ろしている。


 ストレートに伸びた艶やかな黄金の長髪と透き通るように白い肌は、見る者に天使を彷彿とさせる。

 どこか無機的で冷たい双眸は、まるで違う世界を眺めているかのような、全てを他人事と片付けてしまうような、そんな空虚さがあった。


「……誰か、気になる人物でもいたのかね?」


 まるで福音を告げるかのような、清らかで澄んだ声音が、少女の左方から聞こえた。

 だが少女は男に見向きもせず、無気力且つ無関心な瞳のまま、大食堂を眺めていた。

 研究者然とした格好の男は、やれやれと言わんばかりに表情を崩し、少女へと歩み寄った。


「君に気になる人物ができたのだとすれば、すぐにでもその子を採用したいものだが……」


 男は言葉を切り、少女から1メートルほど離れた場所で足を止め、少女の視線の先を辿った。


「やはり、それは厳しそうだね」


 少女の視線の先には誰もいない。

 分かり切ってはいたことだが、と言うかのように男は軽く肩を竦め、口元に微笑を浮かべる。

 隣の少女はまたぞろ反応せず、一点を見つめていた。


 腰まで伸びたやや癖っ毛のあるブルーグレーの長髪、チャコールグレーのスーツ、その上に羽織った白衣、そして現世のものとは思えぬ神聖さ。

 男の様子を一言で形容するならば「常世の住人」である。

 何より、左眼に刻まれた円環から成る神聖幾何学模様と右眼に描かれたセフィロトの樹が、それを強めていた。


 男は大食堂を一瞥した。

 大浴場を満喫し火照った顔の生徒達やジンジャーエールで謎の祝杯を上げる生徒達、交流会を開催する生徒達、フランス料理フルコースを堪能する生徒達、マリトッツォを頬張る女子、大食い競争をする男子達、ベンチに座り上階を見上げる生徒達など、過ごし方はまさに十人十色だ。


「おや……」


 その内、とある二人に目が留まった。

 3Dフードプリンターによって作られたミートソースパスタをクルクルとフォークに巻き取り、口に運ぶ。

 そんな少年の隣では、白色の少女がメロンソーダに浮かぶ氷を突っついている。

 少女は少年のパスタを指差して微笑み、少年は慌てるように仰け反った。

 少年は照れているのか、或いは逡巡しているのか、ぽりぽりと頭を掻き、スッ……とパスタの盛った皿をスライドさせる。

 しかし少女は首を振り、食べさせるようジェスチャー。

 少年はまたも初心な反応をし、またぞろ揶揄うように少女は笑った。


「彼処にいるのはラファエルだね。君の付き添いだからと外出を許可したというのに、君を置いて行くばかりか楽しく食事とは。

 まぁ、口実でしかないことも、こうなることも、分かり切ってはいた事実なのだが」


 「もう少し隣人を慈しんで欲しいものだ」と男は慣れた様子で笑った。

 相も変わらず、少女に口を開く様子はない。相槌は勿論、話を聞いている様子もない。全てが他人事で、無関心かつ無気力。

 男もそれに慣れているのか、気にする様子なく独り言つ。


「本人に戯れ以外の意図はないんだろうが、私の、或いは未来の彼の目には、酷く冷たく映る。

 無慈悲で非人間的で、温もりがない。そのあどけない笑みが、酷薄な笑みに見えて来る。

 尤も、かく言う私にも痛む心はないのだがね」


 男は自虐的に笑った後、黒縁眼鏡を外し、白衣で拭いた。


「しかし、うっかり試験や素性を零したりしないかだけは心配だね。彼女に限ってそんなことはあり得ない……とは言い切れないのだから、尚更不安だよ。

 いやはや、胃がキリキリしそうだね」


 言いながら、男は仰々しく上腹部をさすった。

 反応が無いのはもう慣れたとして、いい加減した後、眼鏡をかけ直しその手を白衣のポケットに戻す。


「思いの外、嬉しいものだね。《聖書の子ら》が、ああして笑顔で楽しんでくれているのを見ると。此処を造った甲斐があったというものだ。

 尤もその喜びも、同程度か或いはそれ以上の忍びなさが心の大半を占有している事実に、頑張って目を瞑れば……の話ではあるのだがね」


 男は、白衣のポケットから取り出したミント味のタブレットをシャカシャカと振りながら、再び口を開いた。

 しかし発せられた声は少しばかり低く、確かな強い意思を感じさせた。


「此処に至るまで多くの犠牲を払い、労力と時間を費やし、苦悩し懺悔し憎悪し恐怖し、それでも尚しゃにむに猛進して来た。

 不老不死技術、《聖書の子ら》、《YHWH》、君達《天使》。

 同胞、仇敵、倫理観、人道性、それら全てを焚べ、悠久と思われた永い永い秒読みは遂に、最終局面を迎えようとしている。

 約束の時は近い。幾星霜の受難を経て、人間はいよいよ、再興の狼煙を上げる——」


 掌に乗ったいくつかのタブレット、そしてその先にいる一階大食堂のオルテスク達を見据えながら、拳を強く握りしめ、口の中にタブレットを放り込んだ。

 そして男はボリボリとそれらを噛み砕き、ゴクリと音を鳴らし飲み込んだ。


「……君も要るかね?」


 少し間を置き、いつもの声音と表情で隣の少女に問いかける。


「………………」


 少女が遂に視線を動かした。

 受動的で無機的で、アクションと呼ぶには弱過ぎるが、少女が反応を示したのはそれが初めてだった。


「いいや。これは命令ではないよ。断るも頷くも、君の自由だ」


 少女は口で言うばかりか視線で問うこともしていない。したことと言えば瞳を微動させた程度。

 しかし男には少女の意図が分かるらしい。でなければ出て来ぬ発言だろう。

 だが少女は「命令ではない」という言葉を聞いた瞬間に、素気無い様子でまた正面を見据えた。

 虚無的とは違う。厭世的ともまた違う。機械的とも似て非なり。やはり無機的と形容する以外にない。


「ふむ。ならばいっそ、彼処の彼にでもあげてみようか」


 冗談と本心を半分ずつ含有した独り言。

 「彼」とは、ラファエルという名の少女に揶揄い倒されている少年を指す。

 そして男は、クスッと笑みを零した。

 その視線の先には、頭から飲み物を被り、へこへこと頭を下げる少年とそれを見て愉しげに笑う少女の姿があった。


 ずぶ濡れの頭、少年に頭を下げる生徒達……恐らくは乾杯をしていた生徒達のジンジャーエールが彼の頭に丸々かかったのだろう。

 だが、それにしては頭の位置が低い。彼は、謝る相手方よりも更に低く頭を下げている。

 謝罪を受け入れる側の典型文は「いえいえ、大丈夫ですよ」なのだが、とてもそんな様子ではない。

 まるで自分に過失があるかのようだが、相手も同様に深く頭を下げている。

 加害者としては被害者より頭の位置が高いのはよろしくない。故により深く詫びる。対する彼は申し訳ないのか、更に相手より低く頭を垂れる。

 結果、始まるは謝罪合戦である。もはやどちらが加害者でどちらが被害者なのかも分からない。

 謝意に負けん気が置換され、相手より深く、低く頭を下げようと躍起になる。その合戦は佳境を迎え、叩頭合戦に突入しようとしていた。

 叩頭、つまりは土・下・座である。


 オーディエンスが集まり、大食堂はショーの会場と化した。


「ははは、面白くて優しい子達だな。現実世界でああも人が集まっているのを見るのは、これが初めてだ。かつてはこれが当たり前の光景だったというのだから、未来とは分からないものだね。

 先人や彼らの急進的改革及び開発を否定するつもりはないし、その資格もない。何より、至上命題を達成する上で避けては通れぬ道だった。

 だがやはり、こういった光景は眩いものだね」


 そう言って男は少しだけ目を細めた。

 すると丁度、一階の少女と目が合う。

 少女は男の視線に気付き、含蓄のある笑みを向けた。


「なるほど。迎えに来いというわけか。

 全く。良く言えば天真爛漫、悪く言えば自由奔放だな。

 そこが彼女の長所にして魅力でもあるのだが、皆が許容しそれに惹かれるとは限らない。

 利害や環境、人間性や相性など、その他要素も多数あれど、対人関係には必ず運が絡む。円滑な関係を築けるか否かは博打に等しい。彼女のようなタイプであれば殊更だ。

 これが老婆心などではないと信じたいが、やはり心配してしまうね」


 言葉を紡ぎながら、男は一階の少女に向けて首肯した。


「いつもながら、私のつまらぬ話を聞いてくれて、どうもありがとう。

 改めて君に、感謝の気持ちを送らせて欲しい」


 男は隣の少女へと向き直り、恭しくお辞儀をした。

 対する少女は、まるで何も聞こえていない、何も見えていないかのような様子で、ぼんやりと一階を眺めていた。

 男は今度もやはり気にする様子はなく、特に言及したり咎めたりすることもせず、頭を上げた。


「では。お姫様がお呼びだ。そろそろ失礼させてもらうよ。十四時までには部屋に戻るんだよ」

「……はい——」


 一切の澱みも曇りもない最上の純度。琴の音を思わせる清らかで透き通った声。それを機械的に発する。


 何故、少女は返事をしたのか。

 別れ際だったから?

 いいや。それが命令ないし指示であったから答えた、単にそれだけの理由である。これ以外のものは一切存在しない。


 男は小さく頷きを返し、少女のもとを後にした———

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