第1alt.章 γ 路地にて
第1alt.章 γ
路地にて
なんで隷人種が物を買うには、主人の許可証ないし証明書がいるんだろうな。
ま、理由はシンプルか。その権利がないから。この一言に尽きる。クソ程に笑えねえ周知の事実。
店主は無愛想なんてもんじゃねえ。他人の所有物だから暴力を振るったりはしてこねえが、それでも対応は最悪だ。
隷人種が触れたもんは商品にならねえ。だから触れるは勿論、当たったものすら買わなきゃならねえ。
余分な物を買ってくればそれは自我の発露と看做され、糾弾され罰せられる。隷人種は自我を持つことすら許されねんだからな。
「きゃっ!! 何——!?」
「こいつ隷人種か——!?」
「ッ痛えな!! 殺すぞ!!」
投げられた釣りを拾っていると、背後から怒りと驚きの混じった声が右から左に、連続して聞こえた。窃盗か冤罪か、それとも何か別の罪か。共通しているのは袋叩きにされるということだけ。
こんなとこに屈んでいたらいつ蹴り上げられるか分かったもんじゃねえ。全部無視して、早々に立ち去るか。
目を背けるつもりはない。背けた先にだって悲劇は広がってんだ。なもんで、どっちを見てたって変わらないんだからな。
畢竟、関わんねえのが一番だ。
奴隷の身同士団結しようぜ、協力しようぜ、なんて絵空事を吐く奴は一人としていねえ。
当然だ、奴隷が徒党を組めば殺される。疑わしきは罰せよってやつだ。
裁判では推定無罪の原則とやらがあるらしいが、俺達の場合はその逆。推定有罪の原則。無罪を即座に示す証拠がない? なら有罪だ。罰として死ね。
これがオレ達隷人種にとっての日常茶飯事。
「世の中には、どうしようもない屑や悪人がいる」
周知の事実たるこれの後に、社会が求むる接続詞は順接ではなく逆接だ。
何故って、オレ達がいるからな。
オレ達はある種必要悪としても機能している。
遠くの政府より近くの汚物ってやつだ。実態が分からず実感も湧かねえ。紙面上でしか見たことのねえ政府より、毎日毎日見る隷人種の方が憎悪と不満の受け皿にして捌け口になりやすい。
ヘイトがオレ達隷人種に向いてる以上、政府は安心安全だ。
明確な下が存在することで、相対的に自分の地位や暮らしが良く見える。
オレ達を階級社会の外に弾き出すことで、世論は階級社会の外に傾注し、結果的に階級社会は存在しないと錯覚させられる。
おまけに優越感も気軽に摂取できる。
詰まる所、オレ達は革命を抑止する役割も担ってるってわけだ。
「世の中には、どうしようもない屑や悪人がいる。けど、それ以下も存在する。見てみろ。あれらこそが絶対的悪だ。逆にあれら以外は皆、相対的悪に過ぎない」
連中は嬉々としてそう語る。なら悪は悪らしくしてようじゃねえか。他人をまるで顧みねえ屑。お前らが求めてんのはそれなんだろ? この性悪説信者共が。
……だが正直、それには賛成だ。この世に、善性しか持たねえ奴なんて存在しねえ。皆等しく悪性を持つ。
これが唯一、人類に於いて普遍の平等性だ。
「………肉は——」
顔を左右させ、どっちの店で買うか考える。
左は少し歩かなきゃならねえ。おまけに屋敷から離れる。対して右に行けばすぐ肉屋がある。肉の質が少しでも落ちれば罰を食らうし、屋敷までの距離と時間も考慮に入れれば、迷う余地はねえ。
だが——
「たまには、こっちで買うか」
屋敷の中も外も掃き溜めだが、まだ外の方がマシだ。
早く帰ってもメリットはゼロ。麗しのクソご主人様は帰りが遅けりゃ愚鈍だのノロマだの何かに託けて罰を下してくださりやがる。
5分くらい伸びたって結果は変わらねえ。あれは奴隷が苦しむのに愉悦を感じてるだけだ。
なら、問題は先延ばしにしたくなんのが、人の心理だろうよ。
「……ついでに、騒ぎ起こした同胞さんの様子も見に行くか」
少し歩くと、通りの真ん中にドワーフが倒れていた。
周囲の様子からして状態異常魔法が当たったらしい。
ドワーフは魔法耐性が亜人の中でも低いからな。エルフから軽視され蔑視される理由の一つだ。
しかしどうやら、騒ぎを起こしたのは隷人種じゃなく亜人種らしい。隷人種は魔法が使えねえ。たとえ亜人種とのハーフやクォーターであろうとだ。
まぁ例外的に使える個体も存在するが、大抵は微弱で非力なあってもなくても変わらねえ汎用性皆無のもん。
何より、隷人種からは積極性だの自主性だのは失われてる。ンな騒ぎを起こすとも思えねえのは自明だった。
——だが、もし。もし仮に、さっきの騒ぎも今日の物騒さも戦略軍がでしゃばって来たのもそいつが原因で、そいつが隷人種だったのなら———
この世界が掃き溜めである事実は揺るがねえだろう。誰がどうしようと、この世は永劫糞の塊だ。それこそ、神でも殺さねえ限り。
だがそれでも、見てみてえ。心の隅に湧いたその欲求が、少しずつオレの心を侵していた。
「……面倒臭え」
人の波を避けながら通路の端を通り、そいつが向かったと思しき方向に進む。
その哀れなドワーフ以降に、倒れている奴は見かけなかった。
少なくとも愉快犯や道楽で人を殺す殺人鬼ではないらしい。
血も見えなかった。だが状態異常じゃ確実性がない。つまりあのドワーフ個人を殺す目的で狙ったわけじゃない。あいつは単に被弾しただけ。
且つ騒動を起こそうとしたとも考えにくい。それならもっとデケぇのを起こす筈だ。ドワーフ一人倒れた程度じゃ弱過ぎる。
国境侵犯? 首都に向かっている? いいやそれこそ辻褄が合わねえ。こんな辺境で問題を起こす理由がない。
不注意だとしたら純粋に馬鹿過ぎる。意図的だとしても単純に阿呆過ぎる。
だからそいつは首都陥落や破壊工作を狙っているとも考えにくい。
——此処は三国の国境に位置する交易都市だ。そしてさっき見た国境部隊の様子。
……多分そいつは亡命者か何かで、追われてだんだろうな。ドワーフに魔法ぶち込んだのは追手か?
思考に沈むまま足元を見下ろして、刻み足になってんのに気が付いた。
……何やってんだ、オレは。
急ぐ理由なんてねえ。オレを急かすもんなんて何もねえ筈だ。
ならなんでオレは早足になってんだ。
そいつがどんな奴なのか、どんな顔してんのか気になったから? 何が起きてんのか、騒ぎの原因が何なのか知りたかったから? 屋敷に帰りたくなかったから? 殺されたいから?
……違う。違えんだ。オレは期待しちまってんだ。このクソったれな世界が何か少しでも変わることを。このふざけた理不尽な世界に変革が訪れることを。この腐臭と汚臭で満ちた世界に、新鮮な風が吹くことを。
ンなこと、あるわけねえ。たった一人で何が変えられる。たった一人でどうして立ち上がれる。少なくともオレに、そんな気概はねえ。
「………下らねえ」
何かに駆られるように、何かに焦がれるように前のめりになっていた自分に、心底吐き気を覚える。
「……気色悪りぃ」
吐き捨てるように言い踵を返すと、横手の路地裏からザザッ! と何かが勢いよく倒れるような音がした。
見るとそこには、投棄されたボロボロの毛布のように転がる死に体があった。
「ぃ、たい……」
……いいや。違うな。瀕死じゃねえ。表現としては満身創痍の方が言い得ている。
転んだらしいそのボロ雑巾は、肩を忙しなく上下させ、体を起こそうとしてまた倒れた。悲痛の声を漏らすその様は、あまりにも惨めで見窄らしい。
直感した。こいつだ。今日の騒動の中心にいたのは、間違いなくこいつだ。寸分の疑いもなく、オレは確信した。
面倒ごとには関わらねえのが一番。実理にして心理。
見なかったフリをしてしまえば良い。軍の連中に訊かれれば、そん時はこいつを売れば良い。
……なのに、勝手に口が動いていた。
全てを諦めたかのように、間違った悟り方をしちまったように、空を仰いだそいつの姿を見て、オレの中の何かが動かされた。
「……おいボロ雑巾。お前そこで何してんだ——?」
「ッ……ァ、クッ……ハッ、ゥ………」
聞き取れねえ声を漏らしながら、そいつは振り返って来た。
無意識的に体を起こそうとして、また倒れる。笑えるくらいに情けない。
こいつが亜人種なら助走つけて蹴り上げてたところだが、隷人種ないし人間っぽい容姿をしている。
そもそもの話、こんなに見窄らしいのは人類で隷人種くらいだろうさ。
———ドアは………あるな。
横手の壁に木製のドアがあるのを確認し、そいつに歩み寄る。
「…………て——」
「あ——?」
「……げて、だ、い——」
「……逃げろってか?」
オレの質問に、そいつは胸を押さえながら、こくりと頷いた。
「オマエ、何なんだ? 隷人種だろ、どうせ」
「れ、んしゅ——?」
生まれてこの方初めて聞いた、と言わんばかりにそいつは声音を疑問の色で染めた。
「は? オマエ、それ本気で言ってんのか?」
頭を横にも縦にも振らねえ。本気で知らねえ奴の反応だ。
隷人種は人類に隷属する。だからこれはこの連邦だけの話じゃない。程度の差こそあるが、帝国でも自由国でも酷使され迫害され使役されんのは変わらねえ。
義務教育前の亜人の餓鬼でも隷人種の扱いは心得ている。まして隷人種がそれを理解できない筈がない。
こいつ、隷人種じゃないのか? マジで何なんだ。
「なら訊くが、オマエは何なんだ?」
「ボク、は…………」
言ってみろ、と高圧的に問うと、そいつは言葉に詰まった。
……こいつ本当に何だ?
自分が何者かすら理解できてねえらしい。
だとしたらこいつを追う理由は何だ? こいつはほぼ間違いなく隷人種だ。だがこいつは十中八九渦中の奴だ。こいつに一体何がある。こいつの何に、国境を侵犯する程のリスクを負う価値がある。
「なら質問を変える。オマエ、何から逃げてた?」
「……にげ、て…いです」
「吐かせ。ならなんで通り走り回ってた。駆けっこでもしたのか? の割には随分とお友達くんは真剣だなぁ?」
「そ、は———……」
否定しねえか。ならやっぱりこいつが……。
「尤も、オマエらが異国の奴ならどの道国際犯罪者だ。魔法使ったなんざ余罪に過ぎねえ。追手振り切っても、オマエには退路も進路もねえぞ?」
「だから教えろ。オマエ、誰から逃げてた?」と詰め寄ると、そいつは怯えるように体を縮めた。
「わか、りません………」
「は——?」
「ごめ、、さい………」
「謝んな。ンなことより兎も角知ってること全部話せ」
語気を強めて問うと、そいつは萎縮し俯いた。
こいつ………と苛立ちを浮かべると、そいつはまた「ごめ、ンなさい……」と嗚咽するように声を裏返らせ謝って来た。
「………なら最後の質問だ」
「さい、ご——?」
離れないで、行かないで、と言わんばかりにそいつは顔を上げ目で訴えて来た。
ンな顔するくらいなら始めから全部話せよ……。
「オマエは今、何を思ってんだ。
苦しいのか、辛いのか、幸せなのか、嬉しいのか、悲しいのか、怒ってんのか、憎んでんのか、どれだ。
喜怒哀楽……いや、悲しいのか嬉しいのか、どっちだ」
人の感情ってのは一言で表せる程整合性が取れちゃいねえ。語彙力云々もあるかもしれねえが、言葉にできねえ感情ってのはある。
自分がどう思っているのか分からない、そんな時も往々にしてある。現に、今のオレがそうだ。
だが嬉しいか悲しいかの二択を迫られれば、どっちに近いかくらいは分かるだろ。
「悲、し、です——……」
言って、そいつは儚く笑った。
感情と表情が矛盾している。それがこいつの異常性を端的に示していた。
「……そうか——」
……で、聞いてどうすんだよ。
オレは生まれながらに隷属が義務付けられた外れ人種だ。だから今だって、こうして買い出し命じられてんじゃねえか。
犯されて汚されて傷付けられて踏み付けられて、自分のことすら守れねえオレに、こいつの一体何を背負えるってんだ。
第一、意思力を失ったオレにはもう、決断する勇気がない。
今オレの置かれている環境は最悪だ。だからこれ以上悪化のしようがねえ。
けどオレには、好転や変化を望むという決断すら下せねえ。それくらいに腐っちまった。
望むことすらできないこんな愚図に、オレに、一体何が——
「ッッ——!!」
そいつがぐわっと顔を上げたかと思うと、唐突にオレを突き飛ばして来た。
思考を遮られ、鳩尾に衝撃を食らい、文句を言わんと瞼を開くと、そいつが発狂した。
「ヴ、ぅ、ぁあぁぁあぁああぁあぁあああああぁぁあああぁあぁあああ——————!!!!!」
地面を流れる赤黒い液体。
脳を揺らす発狂。
頭上から聞こえる舌打ちと口論。
思考が完全に停止した。
「だからあれ程麻痺にしろと——!!」
「相手はエルフの血が混じった奴だぞ!! そんな奴と、それも他国の領土内で相対すんのは無理だ!!」
「だがこうなる場合も予見されていた筈だ!! 悪魔が付いているのだぞ!!」
「悪魔が知らせんのは契約者の身に危険が迫った時だ!! エルフは関係ねえだろうが!!」
「それに状態異常は殺傷に比べて弾速も遅えし射程も短い! 勘付かれるリスクがあった! だから殺傷ぶち込むって決めたんだろうが!! 責任転嫁してんじゃねえぞ!!」
「……全員黙れ。我々の目的は契約者の回収だ。
分からないのなら何度でも繰り返す。
我々の標的はエルフではない、契約者だ。
幸い穴の位置に臓器はない。治癒魔法で治せる範疇だ」
発狂が響き渡る中、ローブで全身を覆ったリーダー格と思しき男は冷淡に、結界を張っておいて正解だったな、と腹の穴を見ながら言った。
「やはり連邦の戦略軍が周辺を巡回している。早々に立ち去るぞ」
鎮静、いや昏睡にしておくか、と呟きながら、オレ達を見下ろす。
「そのエルh……ってコイツ、ハーフエルフかよ」
このエルフ擬きは——? と部下の一人が顎でオレを指した。
「……隷人種か。持ち主には申し訳ないが、まぁ殺しても構わ——」
男の言葉を、粗野な声が遮った。
「おォい。てめえら何してんだ?」
「安っぽい結界だなぁ? おい」と嘲る声が靴音と共に近付いて来る。
隠密達は即座にローブで顔を覆い虚空に消えた。
その名前も知らねえボロ雑巾も一緒に。
「ハハ。おいおい。ま〜だ俺の質問に答えてねえだろ? なぁおい。そこんとこどうなんだ? 魔術主義者共!!」
獣の咆哮を思わせる怒号を残し、その獣人は強く地を蹴り、突風を残して消えた。
突風に抗う気力もなく、情けなく倒れる。
コンクリート製の家屋で切り抜かれた青空。クソ程澄んだ空の断片が、どうしてかぼやけた。