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デュアル・ワールド=ファンタジア  作者: 遠野夜空
第一章 愛欲に濡れたプレリュード
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第一章 Ⅱ 知恵と生命の樹

           第一章 Ⅱ

          知恵と生命の樹



 生体認証と脳に埋め込まれたパーソナルIDのスキャンなどを経て、《知恵と生命の樹》に足を踏み入れた。


 塔内に入ると一層自律型ロボットの数が増し、それらは主に運搬を行っている。

 だが例外的に人型ロボット、俗に言うヒューマノイドは案内役や受付役を担っている。

 尤も、これらが稼働する機会は稀であり、普段は装飾に等しい。

 加えて、オルテスクにも一般人同様に脳と手にマイクロチップが埋め込まれている。

 脳に埋め込まれたチップを介して《YHWH》にアクセスし、デバイスなしで情報交換が可能なのだ。

 故に《知恵と生命の樹》の超複雑的な内部構造は問題にならない。つまり、目的地に向かうことはそう難しくない。

 ではヒューマノイドの存在意義は一体何なのか。何故ヒューマノイドは存在するのか。答えはシンプルだ。

 ヒューマノイドの存在意義は案内に無いからだ。より正確に言うならば、存在にこそ意味があるからだ。

 詰まる所、《YHWH》を介してナビゲートされるより、ヒューマノイドに案内される方が、同じ味気なさでもまだマシだから、という理由だ。


 迷宮を思わせる複雑性。もう一度来た道を戻れと言われて戻れる自信は葵にはなかった。

 静寂が支配する無機質な廊下を靴音が反響する。

 葵の歩調に完全に合わせ少し前を歩くヒューマノイド。外見はまさに人間そのもの。外見だけならば、人間と機械の見分けはつかないだろう。

 しかしそれが動いたならば、話は変わって来る。

 隠し切れない違和感。どれだけ精巧に人間の動きを再現しようと、拭えぬ違和感を抱かせる。

 しかしヒューマノイドには人工知能が搭載されている。ならば模倣とも再現とも違う自然な動きを可能にできるはず。

 なのに実際は違う。それだけ稼働の機会が少なかったのか、それとも反乱や叛逆を危惧して何かしらの調整を施されているのか。その詳細は、葵には分からない。


 オルテスクとは《クロックスクール》に通う十四〜二十歳の生徒の総称である。

 葵達は十五歳であり試験開始より一時間半前にチェックインを済ませるよう定められている。

 そして案内役のヒューマノイド達が試験実施部屋への案内の元とするのが、オルテスク各人に割り振られたコードである。

 これは専用の試験実施部屋へのアクセス権としての役割も果たしており、《知恵と生命の樹》に於いて部屋を行き来する上では必要不可欠な権限である。

 故に、共有スペースを除きオルテスクに他室へのアクセス権は無い。

 生徒達が試験実施部屋を自由に、無規律に行き来した場合、それによりトラブルが引き起こされる可能性はグッと高まるからだ。

 つまりこれは、試験の妨げになり得る事象を除外する為の極めて正当的で合理的な処置である。

 画期的かつ先端的な本試験。予測される危険因子は可能な限り取り除く。

 一厘でも一毛でも、成功率が上がるのなら——


『コード00666様。当該のお部屋に到着致しました。

 試験開始時間は現時刻1220より1時間40分後1400となっております。

 試験開始20分前に専用の係員が向かいますので1330以降はお部屋内での待機をお願い致します。

 最寄りの御手洗いまでは表記に従ってお進みください。

 では、失礼致します』


 無機質な声で淡々と告げるヒューマノイドに、意味はないと知りながら葵はこくこくと相槌を打った。

 挙句、お辞儀を返してしまった程である。


 首の後ろを掻き、葵は壁に埋め込まれた認証機器に手を伸ばした。

 手に埋め込まれたマイクロチップによってロックが解除され壁の一部が長方形状に透過し、ドアがくり抜かれた。


 部屋には機械と結合した寝台が三つ、等間隔に置かれている。

 それらは歯科医院で見かけるユニット・チェアのような見た目をしていた。

 その他に目立った機材や機器はなく、部屋にもこれと言った装飾は施されていない。

 青白磁の光線が、壁に埋め込まれた回路を時々駆けるのみで、どうにも冷たい。

 このままこの空間に独りでいれば気が狂うような心地がして、葵は小さく頭を振るった。

 再度室内に誰もいないのを確認して、その部屋を後にする。



 恭次や明莉達クラスメイトとは階が異なる。

 通路を見回してもあるのは知らない顔ばかり。幼い顔立ちからやや大人びた顔立ちまで、年齢はバラバラ。

 それは、コードが年齢問わず無作為に割り振られたことを意味していた。

 《知恵と生命の樹》は中央が円柱の吹き抜けとなっており、二階より上はそれを通路が囲う構造となっている。そして現在、葵のいる階は六階である。


 トイレを済ませ、葵は通路から一階にある食堂を見下ろした。

 この塔には二十五階ごとにコミュニティフロアが設けられているのだが、食堂は一階の大食堂以外になく、おまけに大浴場まである。このため、一階はコミュニケーションの中心的な場になると思われる。

 現に一階の大食堂には多くのオルテスクが集まっていた。食事を摂り飲み物を口にしながら談笑したり、初めて出会った相手と立ち話をしたりと、大食堂は交流の場としての役割を十二分に果たしている。

 食事を支給でなく対面で摂る形にしたのはこれを目してのものと思われる。


(……でも結局《知恵と生命の樹》って、一体何の為に造られたんだ——?)


 大食堂や大浴場、コミュニティフロア……構造からしてこれらは設計段階からあったものと思われる。

 つまり《知恵と生命の樹》は少なくとも政府機関ではない、という結論に葵は至った。

 そして娯楽施設でもない。娯楽施設の割にはあまりにも無機質で美の要素が足りない。荘厳ではあるが絢爛さの欠片もない。

 故に《知恵と生命の樹》は研究機関であると予測される。

 そうなった場合、「試験」とは果たして「ASWの運用試験」だけを指す言葉なのだろうか。

 《知恵と生命の樹》は人間が不老不死を獲得するよりも前に建造された。その時点でこれらの設備は存在していたのだろう。

 であるならば、賢人達は一体何を目していた? 

 葵達オルテスクの心的及び身体的健康を維持すること? 

 いいや。答えは否であろう。

 仮にそうであったとしても楽園の中枢たるバベル、その更に中心に造る理由が全くないからだ。

 今日の試験にはそれだけの重要性、いや特別性がある。


 尤も、葵にこれらを言語化するだけの語彙力はなかった。だから代わりに、これらを違和感として知覚した。


(……何か、何かが、おかしい——)


 しかしその正体が分かるはずもなく、葵は小さく嘆息し大浴場にでも足を向けた。

 身体の向きを変え踏み込んだ矢先、誰かと衝突する。

 とて……と相手が倒れ、すぐに不注意を謝る。


「ぁ、すみま——」


 言葉の途中で、絹糸を思わせる艶やか且つ柔らかな黄金の長髪が、真横を通過した。


 後に残るは薬品の匂いと差し出された自身の手のみ。


 その透き通るようなイエローゴールドの瞳と視線が交わることはなく、まるで壁にでもぶつかったかのような無関心さで、少女は無感動に歩みを再開したのだ。


 葵はスッ…と手を下ろし、徐に振り返った。

 その絹糸が如き艶やかな髪は、その人形のように透き通るたおやかな背中に幕を下ろし、無感動な歩調に伴い、ただ律動的に揺れていた———


 すると不意に。

 頬をふわっとした風が撫で、耳元を柔らかな声音がくすぐった。


「ごめんなさいね〜」


 ビクッ! と肩を揺らし、反射的に振り返りよろける。


「ぅ、わ——!」

「あ、ちょっと〜。危ないわよ〜?」


 言いながら、声の主は転けかける葵を助けるべく手を引いた。

 と思いきや、またすぐに離した。


「ぇ、ちょ——」


 結局、どて! と強く尻餅をついた葵は、非難の意味も込めて痛そうに腰を押さえながら、その声の主を見上げた。


「大丈夫〜? 痛かったかしら〜?」


 語尾を伸ばす特徴的な口調と誇張気味な抑揚。その二つが合わさり、何とも言えない掴み所のなさを感じさせる。

 シアン色の双眸と雪のように真っ白な長髪、そして透き通るような肌。

 まるで人間でないかのような美しさに、葵は毒気を抜かれた。


「………。大丈夫じゃないけど大丈夫です、と言おうと思いましたが、まぁ大丈夫です」


 しかし。やはり何か言わなければと謎の使命感に駆られ、ちょっとした嫌味を口にした。


「それ、言ってるのと何も変わらないわよ〜?」

「語気は、弱めました」

「語気の問題じゃないと思うのだけれど〜?」


 ボソボソと口にする葵に対し、少女は軽快に言葉を紡ぐ。

 本来ならば「いえ。大丈夫です」で終わっていたはずの会話。しかし変に嫌味を口にしたせいで、彼は別れるタイミングを失った。

 彼のコミュニケーション能力は思春期男子相応のもの。見知らぬ女子と話すとなれば必然的に緊張感は高まり、心臓は早鐘を打ち始め、顔は紅く染まり、目を見て話せず結果的に相手の胸あたりを見る。

 胸ばかりを見ていると相手に勘違いされる典型的パターンである。


「ともかく、うちの子が失礼したわね〜。あの子、コミュニケーション能力云々の前に、対話する気がないのよね〜」

「は、はぁ……。そう、なんですか」

「あなたはどこに向かおうとしていたの〜? 御手洗い? それとも大食堂〜?」

「いや、大浴場にでも行こうかと」

「そう。なら私に付き合いなさ〜い?」

「ぇ——!?」

「食堂に行くわよ〜?」


 「ぁ、そっち……です、よね」という間違いだらけの言葉を飲み込み、代わりに首肯した。


「分かり、ました……」

「脳内真ピンクね〜。嫌いじゃないけれど〜、きっとガッカリするわよ?」

「——?」


 言葉の真意が分かりかねて、葵は首を傾げた。

 対する少女は、言及する代わりに名乗った。


「私の名前はラファエル。因みにさっきの子の名前はガブリエルよ〜。あなたのお名前は〜?」

「ぁ、葵です……」

「ではアオイ君。食堂にレッツゴーよ〜?」

「イントーネーション……」

「それが何か? アオイく〜ん?」

「いえ……何も——」

「名前とは個人を区別する為に存在する名詞よ〜? つまりはコミュニケーションを円滑に進める為にあるの〜。それが名前の存在意義なのだし、それ以外の要素、正確かどうかは然程の問題ではないのよ〜?

 だから私が呼び易くて、且つあなたが自分の名であると判断できるならば、問題は素粒子程度しかないの。四捨五入してゼロと言えるわ〜」


 理論武装というより単なるゴリ押し。有り体に言って自分勝手でしかないそれも、そう自信満々に言われては言い返すに言い返せない。

 だから葵は反論として慣用句をぽしょりと呟いた。


「名は体を表す………」

「何か言ったかしら〜? 聞こえなかったわ〜? もう一度言ってくれるとありがたいのだけれど〜」

「ひ、ぇ。な、なんでもございません」

「では何と言ったのかしら〜?」

「す、素敵なお名前ですね、と」

「……話題錯誤甚だしいけれど、果たしてその賛辞に私が礼を言うのは正しいのか分からないけれど、褒められて悪い気はしないし、素直にお礼を言っておくわ〜」


 その妙な言い回しに疑問を覚える。

 するとラファエルは、葵の顎のラインをツー……と撫でながら「ありがとう」と艶やかに言った。

 思考は強制的に中断され、カァァ……と顔に熱が昇り、ぐわっと振り返る。

 ラファエルは葵の気も知らず、エレベーターへと歩を進めていた。

 顔だけ振り返って来て、また嫣然とした微笑みを浮かべる。


「早く来なさ〜い? 時間なくなるわよ〜?」

「は、はい———」

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