第一章 Ⅻ 誰そ彼の記憶
第一章 Ⅻ
誰そ彼の記憶
———また夢を見た。廊下ですれ違った少女の方にチラッと振り返る夢を。
———同じ夢を見た。踠けば踠くほど、憧れた少女と自分の違いを痛感させられて女々しく泣く夢を。
———嬉しい夢を見た。ずっと想っていた人が、ほんの少しだけ自分を認めてくれる夢を。
———温かい夢を見た。好きな女の子が、自分の隣を選んでくれる夢を。
———堪らなく辛い夢を見た。初恋の人のお腹が、真っ赤に染まる夢を。
———どうしようもなく苦しい夢を見た。幸せにしたいと願った人の体が、偽りの空に回収される夢を。
———自分が本当に嫌いになった。こんな自分の幸せを願ってくれた人を殺し、挙句その人の名前も顔も思い出せない自分が。
———けどそれでも、生きると約束したのだから、幸せになって欲しいと願われたのだから、俺は是が非でもそれを果たさなければならない。使命でも責務でも義理でもなく、それが大好きな人との約束だから。
「——……」
真っ暗だった世界の中央にぼんやりとした光が映る。
光は段々と広がって行き、それに比例して解像度も上がって行く。
「——ぁ、れ………お、れ———」
体を動かすと刹那の浮遊感に襲われ、直後に背面を強打した。
見上げるは天井。真っ白いパレットには一筋の光の線が描かれている。
どうやら、というか考えるまでもなく、俺はベッドから落ちたらしい。
「ッ——……痛てて」
腰を押さえながら上体を起こし、部屋を見渡す。
白一色の部屋には、二つの二段ベッドとその間に置かれたローテーブルだけがあった。
壁に表示された時計は5と9を指している。
「ん……? 何、だ——?」
「また花梨がベッドから落ちたらしい」
「いつものことだ……」と言い、ルームメイトの内一人は寝返りを打った。
「なんだまたか……」ともう一人も呟き、また寝息を立て始めた。
何というか、頭がぼーっとする。寝起きだからだろ、と言われれば確かにその通りな気もするが、寝起きのそれとは少し感じが違う気もした。
上手く言語化できる自信がないが、何というか、長い長い夢を見ていたような、変な感覚だ。
どう頑張っても夢の内容は思い出せないが、思い出さなければいけないという衝動があって、更に言えばまるで心と体が乖離しているような感じもある。
……寝ている間に幽体離脱でもしてたんだろうか、なんて馬鹿な考えを欠伸と一緒に吐き出し、またベッドに戻った。
……徒然なるままに考えてみる。
此処は「学校」と呼ばれる施設の一部。
「学校」には俺達人間の孤児以外にも、亜人と人間の混血も収容されている。
亜人と人間のハーフやクォーターである孤児達は、両方の社会から弾かれる異端、或いは汚物とされる。
人類の君主を自称する人間は、保護という名目の下、そんな俺達を厳重に管理し、成人と共に社会へ排出している。
これは純血の亜人種にも言えることだが、彼らは俺達と比較にならない程慎重かつ厳重に管理されているという。
「学校」の役割は大きく二つだ。
一つは単純に教育機関としての役割。そしてもう一つは反乱を抑える役割。
「学校」は政府や国、つまりは人間に向けられる憎悪や不満の身代わりとなる最重要的役割を果たしている。
階級社会における溝が顕在しないよう、不可視化させているとも言い換えられるだろう。
平等及び自由の同義語は自己責任である、とは誰の言だったか、人間は平等を保障することで、自己責任を突き付けている。
つまり、「お前の失敗も不満も堕落も、全ては自業自得だ。周りを見てみろ。お前と同じ環境で生きた彼ら彼女らが、お前と同じ状況に陥っているか? 全てはお前の不徳の致すところだ」と黙らせられるわけだ。
そしてそれは暗黙の了解として、ひいては自明の理として社会に定着する。
こうすることで、失敗の責任転嫁や不満のベクトルが人間に行かず、自己完結する。反乱因子の出現や民意の膨張を最小限に留められる。
だから「学校」とは極めて政治的機構なんだ、と今なきルームメイトはそう語っていた。
彼曰く、「しかしこの閉鎖空間の真価はそこじゃない。階級社会の闇とは違う、もっと大きな『何か』を僕達から秘匿するべく、内と外を断絶する役割を担っているんだ」とのことだったが、その『何か』とやらが一体何なのかは彼にも、当然俺達にも分からなかった。
俺達に入って来る情報は政府により徹底統制されている。だから仮にその『何か』が実在するとして、人間の断固秘匿したがるそれが、俺達のもとに届くことなんて絶対にない。
不正アクセス罪は反逆罪に匹敵する禁忌。それを犯してでも彼は『何か』の正体を知りたかったのだ。
「……何か、か——」
上段の底板に向けて伸ばした腕には多くのアプリケーションが詰め込まれた腕時計が嵌められている。
自分が腕を伸ばしたという事実を客観視する、そんな意味の分からない感覚に強い違和感を覚える。
……我思う故に我あり、という言葉に則るならば、俺は俺であり、俺を疑うことはできない。
だがどういうわけか、俺が俺であるという確証がなかった。心と体が乖離している、とは我ながら実に言い得ているように思う。正直これ以外に形容のしようがない。
自分が腕を伸ばしたという事実を客観視する、そんな意味の分からない感覚、この違和感がその証左だ。
だが、俺が俺でない、というのもまたあり得ない話だった。現に、こうして記憶はある。何をすべきかも、何をしたいかも、自分が何者なのかも、ちゃんと理解できている。
——なんて考えている内に時計の長針は90度傾き、六時を迎えた。
真っ白い天井には、夜明けよろしくの速度で徐々に人工の空が浮かび、本物の暁光に見紛う光が網膜を刺激し始めた。
それに目を細めていると、向こうのベッドの下段で眠っていた敬仁がゆっくりと上体を起こした。
「おはよ」
「ん。あぁ、おはぁ〜〜ぅ」
敬仁が欠伸と一緒に挨拶を返して来たところで、ルーティーンを始めるとしよう。
「優聡起きろー。朝だぞー」
「朝食遅刻するぞー? さっさと起きろ〜? 起こすぞー? 殺すぞ〜?」
「今さり気なくルームメイトに殺すって言わなかった?」
「いや言ってねえよ。殺すぞ」
「あぁ無理だ。ヨクトサイズも信じられない」
「冗談だって。俺がそんなこと言うわけねえだろ? 俺ほどの紳士もそうそういない死ね☆」
「うわぁ怖い。常に懐(言葉の裏)に凶器潜ませてる」
枕元でとかく馴れ合っていると、優聡が不機嫌げにむくっと体を起こした。
「うるさい……」
「殺すぞ」
「えぇ凄い。清々しいまでに直接的だ」
とまれこうまれ、うとうと……と眠そうに目を擦る優聡をベッドから強引に引っ張り出して俺達は朝食に向かう準備を始めた。
揃って部屋の隅に向かい、壁に表示されたボタンを軽くタップする。チェストのシルエットを描く空色の光線が輝きを強め、静かに口を開いた。
敬仁から投げ渡された2人分のシャツとズボンをキャッチし、優聡に手渡す。
「ピャジャマも……」
「はいはい」
脱がせたパジャマを敬仁に投げ返し、受け取った敬仁は自分の分も纏めてチェストの中に押し込み、またボタンをタップした。
「急げよー? 半にはもう席着いとかねえと」
「あぁ。分かってる」
優聡の着替えを手伝いながら「もうすぐ終わる」と付け足す。
「また椿に笑われる……」
まだ眠そうに目を擦る優聡がうぅ……と項垂れた。
「おいおいそのまま寝るんじゃねえだろうな」
「何で遅刻前提になってんだよ」
「うぅ……辛辣」
俺達はこれと似たようなやり取りを飽きもせず毎朝繰り返している。
なにせ俺達の班は誉れ高くない遅刻常習班の一翼を担っているのだ。遅刻するか否か、どの班が一番最後に来るかで賭けが行われる程である。
当の俺達も廊下で邂逅した瞬間に壮絶なバトル(笑)を繰り広げるくらいには本気だったり。
——そして今まさに、デッドヒート(笑)を繰り広げている最中である。
「終わりダァァァ!!」
「イビルカウンター!!(訳:てめえの方こそ死ね!)」
「セイクリッドイージス!!(訳:何のこれしき!)」
俺の古傷を痛ませる壮絶(笑)な戦いを横目に見ながら、食堂へとダッシュ。
俺達を遅刻常習班たらしめる要因が一つこそ、この幼稚なお遊戯である。
正直気持ちは十二分に分かるが、これだけは言いたい。今じゃない。技名披露したいのは分かるけど断じて今じゃない。
自分が特別だと思ってしまう時期なのは理解できるけど決して今じゃない。
そして予言しよう。重度の厨二病を患った奴はその揺り返しとして重い後遺症にも罹る。これは痛ましき世の理である。
虚無主義的な感じで世界を悲観して見たり、自分と他人の差別化を図ったり、心の中で自分と違う世界に生きるクラスメイトを散々に批判したり、批判の対象が異性にも拡張されたりと、枚挙に遑がない。そしてこれらを一言で表す言葉がある。
もう嫌だ死にたい。
「花梨。頭大丈夫か?」
「あぁ、うん。大丈夫なんだけど、訊き方が大丈夫じゃないな」
かなり語弊があるね。というか語弊しかないね。なんか表情悪くない? 大丈夫? 的な感じで訊いたんだろうけど、頭大丈夫か? は人格否定レベルの悪口なんだよね。
「ぁ、えっと、じゃあ、顔大丈夫か?」
「うぅん確信犯かな? 寧ろ切れ味増したね。思春期特攻ワードやめような?」
人格ならまだしも顔面否定すんのは思春期三大禁忌が一つなんだよ。
一つ。ニキビを潰してはならない。
一つ。対面だとまともに話せないくせにチャットとかで饒舌になるのはおよしなさい。
一つ。容姿に触れてはならない。
一つ。一度優しくされたからって距離を詰めるのはやめろ。
一つ。女子の笑顔の99%(俺比)は愛想笑いである。「面白いね」は美辞麗句だ勘違いするな。
一つ。最近好きな子とよく目が合うな……とか期待するな。お前が見てるだけだ。
一つ。「優しい人が好き」と語っている女子の800%(俺調べ)は好きな相手か昔良いと思った男の特徴を語っているに過ぎない。そしてその裏には100%「イケメンである」という前提条件がある。だから急に優しくしようとするな。裏で笑われるぞ。
全然三大に収まってない気がするが、それは思春期三大七不思議ということで納得して欲しい。
「ダークネスカタストロフィ!!(訳:最後に勝つのは俺だ!)」
「ケイオスラグナロク!!(訳:いいや。貴様は此処で終わりだァァ!)」
というかマジでうるさいな。思春禁忌に「厨二病公に晒すべからず」って追加した方が良いなこれ。