第一章 Ⅹ 幕間
第一章 Ⅹ
幕間
「割と、条件クリアでの通過者は少なかったな。ま、割と当たり前っちゃ当たり前だが」
「割と」という副詞を特に意味もなく会話の節々に入れる男は、座ったまま伸びをした。
「3000を超えただけでも上々でしょう。寧ろ着目すべきは予想よりも大幅に短縮されている試験時間です。
参加者の初期地点が局地に集中していたとはいえ、2時間弱での終了はあまりに早い。《聖書の子ら》の心理状態だけでなく、何か別の要因が絡んでいることは明白です」
「先刻光臨なされた神がそうさせたと?」
「はい。その蓋然性が高いものと思われます」
「なるほど。だとすれば、神は気まぐれと言うがあれは間違っているらしい。
神が抱くあの少年への執着、そのベクトルが果たして正なのか負なのか、目下の命題だね。
是非とも今すぐに解を導き出さしめたいところだが、それは性急か」
主は画面に映る廃人を眺めながら言った。
頭に突き付けた拳銃はどれだけ引き金を引こうと自分を殺してはくれない。
拳銃を落としたその少年は、震える手を地面に叩き付け、世界の理不尽さと無情さに打ちひしがられた。
想い人の形見たる拳銃をそっと片手に乗せたまま呆然と俯くその少年は、さながら死に損ないだった。
廃人、死に損ない、死に体、少年を形容する言葉は無数にある。
その視界にはアナウンスが表示されている。
第一次使徒選定試験《AWSE α》の終了並びに通過を知らせる福音だ。
男は確かに言った。参加者2名の殺害が自らの手で生存権を獲得する唯一の手段であると。
しかし、《AWSE α》の通過条件の内一つである、とも言った筈だ。
つまり生き残る道は参加者2人の殺害以外にも存在していた。
合格者含む生存者の総数が5000にまで減った瞬間に、試験は強制終了となる。
生存者は合格と見做され、条件を満たした生徒同様に現実への生還が確約されるのだ。葵もまたその一人である。
彼は自害もできぬまま、現実へと送還される。
彼がこの試験で為したこと、それは親友の死を目撃したこと、そして想い人を撃ち殺したことのみ。本当に、ただそれだけである。
そんな彼にできることがあるとすれば、声を漏らし大粒の涙を零すくらいである。
ジャージの男、名をゼルエルは、ケッと顔を背け、ワインを一気に飲み干した。情けなく愚かしい彼に、相当の苛立ちを覚えている様子である。
その隣で出現した神への考察を巡らす男は、判断材料を増やすべく第一ビジョンを見上げたが、そこに映る少年にこれと言った唯一性も見出せず、険しげに眉根を寄せた。
「全員揃った時にしても良いのだが、君達には予め訊いておこう。《β》は7日後の同時刻を予定している。何か異論はあるかな?」
「いえ。ございません」
「何で7日も空けんだ? 今すぐやれとは流石に思わねえが、7日ってのも割と空け過ぎじゃないか?」
「ハハハ。それもそうだね。
確かに私は彼ら彼女らに絶望を突き付け、受難を強いている。精神は擦り減り、深い心的外傷を負った子も多いだろう。中には廃人に堕ちる子や自殺に走る子が現れることも当然予想されているし、現に実例が何件も挙げられている。
しかし我々はね、何もあの子達を壊したいわけじゃないんだ。確かに機構と称したがしかし、相応の代価も約束している。カウンセリングやメンタルヘルスケアを行うつもりは断じてないが、せめて《β》に備えて休養の時間くらいは差し上げないとね」
「……大戦期の地上、ですか」
「あぁ。
有史以来、地表が最も赤黒く染まったとされる血みどろの時代。殺戮の応酬、その最盛期。
……と語られるが、人間種の敗亡という幕引きからも察せられる通り、実の所は一方的な虐殺と蹂躙だったわけだがね。
国家体系は崩壊し、代表機関も存在せず、実情は降伏宣言を声明することも叶わなかったそうだ」
「蛆虫の最盛期ってやつか」
「文語的誇張表現ではあるでしょうが、血潮が地表と水表の比率をも変えたと語られる、戦血の時代。そこに彼ら《聖書の子ら》を投下するわけですか」
「思うに、人が最も力を発揮する場面とは、愛する者の為に戦う時でも正義の為に立ち上がる時でもない。自己の存続が脅かされる、その瞬間だよ。
これを持って視座に立てば、何故親が我が子を愛で、命に代えて守ろうとするのかも説明できる」
「此処からは受け売りだけどね、」と主は僅かに間を置き、また語った。
「罪悪の象徴たる戦争と競争はその実、種の成長期だ。姿を変えた刹那的且つ人為的カンブリア爆発だ。過渡期にある《聖書の子ら》が新約へと到達するが為の受難。それこそ使徒選定試験の第一義だからね」
「約束の時が来たれば、廃人も狂人も常人も等しく千尋の幽谷へと叩き落とそう———」と主は言い括った。




