第一章 Ⅰ 血臭香るプロローグ
人類暦1800年12月7日
超大型ビジョンが映し出される超高層ビル、それらが四方、幾層にも渡って立ち並ぶスクランブル交差点。
その物質文明の全盛を体現したかのような光景に、どうしてか絢爛さはなかった。
超大型ビジョンに映るオンライン世界のアイドル歌手達のソング、都市全体を包む環境音と化した駆動音や機械音のみが、その都市には響いていた。
人々の喧騒が失われた大都市は社会としての色合いを失い、まさにドールハウスの如き様相を呈している。
人々が外出する必要性は科学力の発展に伴い失われて行った。そして1788年、十二賢人によって開発された至高のネットワーク《YHWH》が賢人会議にて発表された。
そのネットワークは国全体の情報を包括的に保存及び管理する。そして人々は、脳に埋め込まれたマイクロチップを仲介に《YHWH》内に保存されたパーソナルデータにアクセスし、仮想空間に於ける肉体を獲得した。
人間もやはり動物である。欲に欲がつくという言葉もある通り、どれだけ文明が発展し過程が簡略化されようと、人間はより楽で幸せな方を求める。合理や効率を求める理由と然程の違いはないだろう。
仮想空間の自在性と中毒性、解放感と万能感は人々を魅了し其処に拘束した。
人々の生活空間、即ち現実は、仮想空間へとシフトして行ったのだ。彼らは地上を捨て、現実をも捨てようとしていた——
「にしてもスクールの外ってほんとつまんねえよなあ。人っ子一人いやしねえんだもん」
「そ・ん・な・こ・と・よ・り! まだ歩くの〜? 舞優もう疲れた〜! 足が棒になる〜!」
通称《聖域》と称されるエデンの園中枢区域を、子ども達は列を成し愚痴を零しながら歩いていた。
彼らが向かう先は楽園の中心にして中枢。
末梢に至るまで楽園の全てを統べる政府中枢機関が結集する、円形の聖域。その中心に聳えるは楽園の心臓、《バベル》と呼ばれる政府機関の置かれたビル群だ。
その見栄えからも、まさに総本山という言葉が相応しいだろう。
人の気配がまるでなく、豪華絢爛だというのに何処か侘しい、聖域というよりは禁域の雰囲気に近しいストリートを、先生の先導の下、ぶーたれながら歩く。
——光と影の絶対値は常に等しい。
煌びやかな大通りから一度路地に入れば、そこには眩い光に見合った影が沈殿している。
日常の影に潜む闇、まさに掃き溜めのような空間。
社会から弾かれた孤児がボロ雑巾のように横たわっているのだ。
汚い布切れのような孤児が纏うは、同じく破れたボロボロの布切れ。
血肉や反吐、垢やカビが付着し酷い臭いを放つ「それ」は、肉付きが悪く骨と皮ばかりの動物の足を、食らっていた。
先程まで隣にいたヒトの肉を、くちゃくちゃと咀嚼していた——
「———……」
その光景に、少年は絶句した。押し寄せる不快感と吐き気に、思わず口を手で覆う。
「葵。見ちゃダメよ。あれは人間じゃないんだから」
隣を歩く檜皮色の長髪が特長の少女、明莉が手の甲を突っついて注意した。
明莉の言葉は倫理的には大きく間違っているが、社会的には何一つ間違っていない。
孤児は不老不死手術を拒んだ者や犯罪者、浮浪者の置いて行った子ども、言わば負の遺産である。
そこで政府は発達段階によって回収する孤児を定め、残された孤児には無干渉を貫くことを決定した。
乳幼児期の孤児達は回収し、学童期以降の孤児は路頭に放置し、無関心・無干渉を続けていた。
まともな教育を受けておらず言語能力が発達していない学童期以降の孤児の教育に費用や時間、人員などのリソースを割くなど、愚の骨頂に等しかったからだ。
詰まる所、列を成し寂寞たるアベニューを歩く彼ら彼女らは、乳幼児期に政府によって回収された《OLTESC》又は《聖書の子ら》と呼称される子ども達なのだ。
そして現在彼ら彼女らは、青年期中期を迎えている。
「ぇ……けど———」
スクールで習ったことと辻褄が合わない、と少年は思った。
孤児の外見年齢は明らかに自分達より下。
残された孤児達が新たに子どもを産んだ? いいや、それもあり得ない。
超管理社会をとうに通過し、仮想空間こそが人々の現実となった現代。
科学力の進歩に伴いウィンドウショッピングは廃れ、市場はオンライン世界へと移行した。
ショッピングは通信販売で事足りるようになり、娯楽の一部としてカテゴライズされるようになったのだ。
しかし今や、大型ショッピングモールや大型百貨店などの商業施設もとい娯楽施設も消滅した。
人的資源の必要数は科学の発展に伴い単調減少し、国民に労働の義務が課せられることはなくなった。
働かずとも衣食住が与えられ、不老不死手術により、年に二度のメンテナンスが少し億劫なだけで、体の健康状態は維持される。月に一度支給されるポイントも使い道がなく貯まる一方だ。
だが、孤児達に人権はない。つまり人間であることを認められていない。
支給はなく、窃盗など絶対に不可能。漁るゴミ箱もなく、飲料水は勿論、排水や下水から水分を得ることすらできない。
故に、孤児達の結末は確定している。
餓死や病死、或いは撲殺など、死以外の道はあり得ない。繁殖など絶対に不可能。
自分達より年下の孤児はおろか、浮浪者がいること自体おかしいのだ。
不快感と嫌悪感を含有した猜疑心に顔を染めると、二個後ろを歩く少年が、頭の後ろで組んだ手を解き、その幼い顔を覗かせて来た。
「散々スクールで聞かされて来たことだろ? 確かにちょっとグロいけど、まぁ社会の闇を垣間見たってことで割り切るしかねえだろー」
「俺達ガキにできることなんて、鼻くそほじって前の奴に付けることくらいだぜ」とふざけて言いながら、和眞は取れたニキビの芯を細身の眼鏡少年に付ける。
「なっ! 和眞お前、今鼻くそ付けただろ!」
「鼻くそは付けてません〜。ニキビの芯です〜!」
「似たようなもんだろ! 体液が固まった汚物であることに変わりはない!」
「ニキビは潰さない方が良いって、アキちゃん言ってたよ?」
ギャーギャー騒ぐ男子に辟易する少女の名は舞優。髪色は薄色、髪型はワンサイドアップ、細くて小柄な少女だ。
舞優は列から顔を出し、少し前にいる先生の背中に向かって「ねー? アキちゃん♪」と問いかけた。
「こら舞優さん。アキ『先生』でしょ」
「は〜い」
肩越しに振り返って優しく注意し、先生は正面を向いた。
先に和眞が「スクール」と口にしたが、これは生活空間と学習空間、医療機関及び研究機関を擁する計十二の機構、《クロックスクール》のことである。つまりはオルテスク養成施設だ。
これらは聖域の外縁に沿って一定間隔ごとに設置された。そしてバベルを中心に上から見た場合、スクールの位置関係は時計の数字のそれと一致する。
これが《クロックスクール》の名の由来である。
「てかなんで徒歩なの〜?」
和眞がぼやくと、生徒達は「「そうだそうだー」」と同調した。
「葵も言ってやれよ! 一発ガツンと!」
「ぇ? あぁ……うん。というか今どこに向かってるんですか?」
「えぇ!? 先生、出発前にあれだけ説明したでしょ!?」
「す、すみません……」
「確か、試験……だったよな?」
「試験〜? 一体何のさ?」
思い出すように言った眼鏡少年を、和眞は「詳細プリーズ!」と煽った。
「はいはいそこまで。今はまだ良いけど、建物内では頼むから大人しくしててよ? 今回の試験は、総勢15,000のオルテスクが初めて集結し、尚且つ一斉に行う重要な試験なんだから。大人が大人に怒られる光景なんて見たくないでしょ?」
ギャイギャイ言い合う二人を諭すと、今度は「「ちょっと見てみたいかも〜!」」と他の生徒達が騒ぎ出した。
「あなた達は見たくても! お偉いさんに怒られるのだけは! あれだけは……二度と御免よ」
「「O、Oh……」」
「と、兎も角!」と先生は切り替えるように項垂れた首を元の位置に戻した。
「あなた達オルテスクには、ASWのシステム及び安全性確認の為の協力をして欲しいの」
「ASWって、結局何なんですか?」
「私も詳しくは知らされていないけど、新たな仮想領域のことらしいわ。人間種の更なる繁栄に大きく貢献するものだそうよ。だから試験とは言っても、あなた達の能力を測るテストではなく、ASWの運用試験よ。そう気負う必要はないわ」
眼鏡少年もとい恭次からの質問に対する返答は、生徒達の片耳から入ってまた片耳から外へと放出された。
興味のなさのあまり耳くそをほじり始めた和眞をベシッと舞優が叩く。
「つまり、私達は被験体として呼ばれた、というわけですか?」
葵の隣を歩く明莉が、少し強張った声で訊くと、先生はピクリと肩を動かした。
「いやいや被験体って。ねぇ? いくらなんでも明莉さん、それはないでしょうよ」
「お前の彼女、ひん曲がり過ぎじゃねえの?」と耳打ちして来る和眞。
葵は肯定とも否定とも取れる曖昧な母音を零した後、「って、彼女じゃないし……」と否定した。
生徒達に動揺の波が広がる前に、先生はくるっと振り返り、笑顔を浮かべた。
「大丈夫よ。危険はないはずだもの。YHWHの信頼性は、あなた達も知ってるでしょ?
それにちょっと汚い話ではあるけど、政府が一体どれだけあなた達の教育に時間と労力を注ぎ込んで来たと思ってるの?
ただの被験体としてなら、それこそあそこの孤z——
……いえ。兎も角プレッシャーをかけるわけじゃないけれど、大人はあなた達が優秀な研究者や科学者となることを期待しているの。
だから今日は、そう。課外活動のようなものよ」
先生は生徒に向けて少し早口で言い募った。前々からあった一抹の不安が少しずつ少しずつ堆積していることから、目を背けながら。
だから一部の生徒の目には、それはどこか自分を安心させる為の行為として映った。
訝しげな表情で俯いていると、葵の手を温もりが包んだ。
不意に手を握られバッと顔を上げると、明莉が耳を赤くしていた。
「ヒューヒュー♪ お二人さん熱——っ痛てぇ! 何すんだよ舞友!」
「あんた空気読めなさ過ぎ。あんたクッキー好き過ぎ。万死に値するわ」
そう言って、ベシッと和眞の頭を叩いた。
「痛て」
「二個目の全く関係なくないか……?」
恭次のツッコミをよそに、舞優はペシペシと和眞のアホ毛を叩いている。
恭次は全く……と言わんばかりに肩を竦め正面に目を向けると、葵の案じ顔が目に留まった。
緊張か、或いは不安か、それとも両方か、判断しかねた恭次は葵の憂いを晴らすべくその肩に手を乗せた。
「にしても。この光景、やっぱ痺れるよな。楽園の中枢バベル。叡智の結晶たる科学の総本山。その言葉通り、まさしくビルの山だ」
「ぇ……? あぁ、うん。だな」
なぁ? と同調を求める恭次の意図を汲み、口元に笑顔を作って頷いた。
「そしてバベル中心に聳える、人間種の叡智と歴史、その象徴にして頂点、天さえも穿たんとする聖なる塔。その名を《知恵と生命の樹》。俺達の目的地ってわけだ!」
説明口調で語る恭次に苦笑い混じりの相槌を返していると、明莉の言葉が葵の耳朶を打った。
「そして。原罪の象徴———」
ピクッ……と二人の肩が揺れた。
正の側面があるならば負の側面も同時に存在する。
恭次の語っていたことは前者のみ。そして明莉が口にしたのは後者。恭次の弾幕を展開するかの如き称賛に対し、明莉の言及はただ一言。その総和を以てしても、その一言の重みには到底敵わなかった。
恭次は脱力するように葵の肩から手を離し、苦笑いを浮かべた。
「はは……だな、」
前の三人の間に訪れた静寂、それを違和感として察知した舞優は、場の空気を換気した。
「でもでも! 同世代の人達が一斉に集まるんでしょ? 新しい出会いとかあるかなぁ!? 年上のイケメンとお近づきになれたりして〜!」
「んだよ、浮かれやがって。遊びに行くんでも合コンに行くんでもねえんだぞ?」
「なに和眞。嫉妬? もしかして嫉妬した? 大好きな舞優ちゃんが新しい出会い求めてる。それってつまり俺に気がないってこと〜!? とか思ってんの?」
「はぁ……!? んなんじゃねえし。俺は単に、浮かれてんなよって言いたいだけであって」
「はいはい。それ以上口数増やすのやめな〜? 言い訳にしか聞こえなくなってくるから♪」
「てかお前、出発前というか昨日の夜から散々浮かれてただろ」
「は!? や、ぅ、浮かれてねえし……!」
「ちょっと恭次。その話、詳細プリーズ」
「お前が騒ぎ散らかして中々寝れねえし、挙句はしゃぎ疲れて自分は勝手に寝ちまうし。あの後も俺と葵がお前をベッドに運んで、結局目が冴えて眠れなかったん——」
段々と詳細より愚痴を語るのにシフトして来ているのを察し、慌てて強引に話を遮る。
「そ、それは試験への意気込みを高める為の奮起であってだな、こいつみたいに不純な理由じゃねんだよ!」
「ぷーくすくす。本当はあたしとスクールの外に出れるのが楽しみだったくせ——」
「大体なぁ! 俺のせいだって言うお前だってノリノリだったじゃねえか! スクールの外に出られるって! 自業自得、いいや自業自損だね! 俺に全部の責任擦りつけようとしやがって、この自業自損野郎!」
「そ、れは……それを言うなら葵もだ!」
「ぇ……!?」
まさかの自分に飛び火し、思案を中断されたのもあって素っ頓狂な声を上げる。
「そうだそうだお前もだ! 本なんか読みやがって! お前がいっつも夜遅くまで照明付けんの眩しいんだよ! それも紙媒体の本とか何時代だと思ってんだボケ! タコ! あんぽんたん! ナス! ブロッコリーはキャベツの品種改良!」
「へぇ、知らなかった……」と学びを得た葵に、隣から明莉がジト目を向ける。
「葵。夜更かししてるの?」
「ぇ、ぁ、や、本、当に時々、です。毎日とか、そんな、はは、は………」
「本当に?」
有無を言わさぬ声音、嘘を許さぬ瞳に「すみません……」と屈服する。
「最近ニキビよくできてるなぁって気になってたのよね。
けど毎日ちゃんと寝てるって言うから、杞憂なんだろうなぁって、要らないお節介なんだろうなぁって、そう思ってたけど、やっぱり違ったのね。嘘、だったのね。
私には嘘つかないでってずっと伝えてきたのに。先生にも友達にもついても良い、他の誰にもついて良いから私にだけはつかないでって、指切りしたのに。
あれも嘘、だったのね……」
葵の脳を走馬灯が駆け巡る。
助けを求めるべく振り返ると、後ろの二人は「悪い!」とジェスチャーするばかりだった。
「ご、ごめん、なさい。ほぼ毎晩夜更かししたり和眞と恭次とで抜け出したりしてました……」
「て、馬鹿野郎! 近寄るんじゃねえ! 俺達を巻き込むんじゃねえ!」と下衆発言をする和眞に、しかし明莉は目もくれない。
それはそれで悲しいのか、和眞は密かにシュンとした。
「ううん。その件に関しては怒ってないの。
だから謝らないで。咎めたりするつもりはないの。ただ、訊かせて?
どうして葵は、私に嘘吐いたの?」
声音や口調に変化はない。普段通りの優しくて温かなそれらである。
だが、その微笑みには仄かな怒りが添えられていた。
千分の一倍近くまで希釈されたそれが葵を戦慄させているのである。
命の危機を感じ、今度こそ助けて!? と二人に助けを求めると、後ろは後ろで何やら揉めているらしかった。
「ちょっと! なにあたしのこと無視してんのよ! 和眞あんたいいわけ? あたしが他の男子に靡いちゃっても良いわけ?」
「別に関係ないね。お前にとって俺がなんでもないように、俺にとってお前もなんでもないし」
「へ〜そうなんだ。へぇ〜そうなんだっ! じゃああたしが恭次か葵……葵はやっぱりちょっと諸事情で遠慮したいけど、兎も角誰かと付き合っても関係ないわけね? その後あたしと彼氏がどんなことしようと、あんたには関係ないのね?」
和眞の頭を変な妄想が駆け巡り、カァァ……と耳まで熱くなる。
相手に気取られまいとすぐにブンブンと顔を振るい、平静を装う。
「あぁ勝手にしろよ。別にお前がどんな如何わしいことしようと関係ないし。そもそも俺達オルテスクがそういうことすんの禁止されてるし?」
「はぁ〜そう! そうなんだ! 紹介遅れたけど、あたしこの人と付き合ってるから!」
斜め後ろを歩く男子の腕を掴み、彼氏として紹介する。
とばっちりを食らった男子は、頓狂な声をストリートに響かせた。
その様は現行犯逮捕で警察に突き出される犯罪者さながらであ
り、そして葵は恭次が掴まれそうになった瞬間、脊髄反射で回避したのを見逃さなかった。
「んなわけあるか!」
「嘘じゃないし。一生添い遂げるつもりだし」
「ッ……ならそいつの好きな食べ物言ってみろ!」
「…………ステーキ、とか?」
「いや疑問形の時点でおかしいだろ」というツッコミを恭次は飲み込んだ。
「いえ。僕的にはオムラ——ぃ、いえ申し訳ありゃせん!」
巻き込まれた側の完全被害者がつま先を強く踏まれるという酷い仕打ちを受けているのだ。これには黙るしかあるまい。
だが。段々とクラス全体に伝播しつつあったその騒ぎは、先生が注意するより早く、別の物に注意が移ったことで鎮静された。
そして忽ち歓声や感嘆の声が上がり始めた。
彼らは遂に、科学的且つ荘厳な超巨大ゲートを通過し、楽園の中枢へと踏み込んだのだ。
見上げれば仰反る程の超高層ビル群、頭上に張り巡らされた無数の透明通路、足元の歩く歩道、絶えず稼働する自律型ロボット達、そして正面に高く聳える《知恵と生命の樹》。
「すっげぇえ〜! 語彙力溶けるくらい凄えぇ〜!」
「これがバベルか……! やっぱスクリーンで見るのと実際に来るのじゃまるで違うな!」
子どものように無邪気にはしゃぐ和眞と恭次に葵も強く同意する。
「立体感は再現できても、やっぱり五感で体験してみないとな」
「けどなんというか、少し侘しいというか、思ってたより綺麗じゃな〜い……」
少し拍子抜け、と肩を落とす舞優に小首を傾げ問う。
「どうしてだよ?」
「だって、もう少し歓迎というか、明るく出迎えてくれても良くない? その、上手く言葉にできないけど」
舞優の言葉に納得できないのか、和眞は更に首を捻った。
賛同こそしてくれないものの、理解しようとする姿勢を見せてくれたのが嬉しかったのか、舞優は密かに微笑んだ。
和眞や舞優達以外でも、バベルへの感想は大きく三つに分かれた。
一つは「凄い! 語彙力崩壊!」。
二つは「何かガッカリ……」。
三つは「何か違和感……」。
この三つが、クラスを三分した。和眞と恭次が一つ目、舞優が二つ目、葵は舞優の言葉を聞き三つ目に区分された。
「人気が全く無くて、科学的というより無機質だからあまり楽しいと感じられない。これじゃバベルもバベルの外も変わらない、そう言いたいんじゃないの?」
「そう! 明莉の言う通りだよ!」
自分の言葉を言語化してくれた明莉に強く、強く舞優は同意した。
そして葵も違和感の正体に気付いた。
仮にも楽園を謳う《エデン》の中枢。
たとえ科学の恩恵が凄まじいものであろうと、こうも人気はないものだろうか。
国の中心であるにも拘らず人っ子一人いないなど、あり得るのだろうか。
仮にあり得たとして、それはあって良いのだろうか。
人々は皆、ビル内に閉じこもっているのだろうか。
不老不死を獲得したことで、人々から他者への関心は失われてしまったのかと、葵は思った。
「先生〜! 歓迎会とかパレードとか、そういうのないんですか〜?」
後ろの方で女子が疑問という形で不満を呈した。
「確かに寂寥感は否めないけど、あなた達は、私達は、招待されたわけじゃない。試験への協力を命じられたのよ。つまりは召集されたの。私達を歓迎する義理と道理は、どこにもありはしないのよ」
「「……………」」
いつもと違う先生の声音に、生徒達は黙る他なかった。
納得も理解もできずとも、社会とは、世界とはこういうものなのだと、了解して行くしかない。
皆の言う大人とは、その分別ができる人間を指す。
社会に出たという事実は、必要条件であって十分条件ではない、というわけだ。
「……でもさ、やっぱ三人一部屋ってのは結構な待遇じゃねえか? 一万五千を三で割るから……五千部屋も必要になんだぜ!?」
沈んだ空気を改めるべく、和眞が明るい話題を持ち出す。
「それが全部《知恵と生命の樹》に収まってんだろ? なのに全体の一割程度しか占めてねんだから、ほんと異次元だよ」
関心を通り越して呆れるように恭次は言った。
「食堂や大浴場、その他共有スペースも沢山あるわよ」
子どもにすべきではない暗い話をしてしまったことを反省しつつ、生徒達に笑顔を向けた。
「それに俺達、仮想空間体験するの初めてだもんな」
初めて訪れる《知恵と生命の樹》、初めて体験する仮想空間、初めて出会う他スクールのオルテスク達、それらに思いを馳せているうちに、彼らの体はゲートに到着した—————