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 サクラはどちらかといえば寝起きは悪い方ではない。

 目覚めたと思ったら、起き上がり、さっさと着替えて執務室に向かうキキョウほど良くはないが、起きて1時間はまともに動かないアオイほど悪くもない。

 その点でも、オードル家の次女は極めて普通だった。

 この日の朝も、目を覚ましたサクラは、窓から差し込む日の高さを確認しようと、肘をついて体を起こした。

 ここまではいつものとおり。

「?」

 何か、いつもと違わない?

 例えば、日差しの注ぎ方とか。

 例えば、シーツの香りとか。

 例えば、体に巻きついた慣れない温もり…とか?

「え!?」

 勢いよく身を起こし、周りを見回しギョッとする。

 何か違わない?とか、のんきに思っている場合ではない。

 知らない部屋。

 知らないベッド。

 そして……呆然と見下ろすその先には。

 知らない男。

「何……コレ」

 窓に霜が降りようかというこの時期にさえ、温もりを感じるはずだ。

 サクラは男に包まれるが如く、抱かれて寝ていたのだから。

「どういうこと?……」

 泣きたい気持ちを抑えて、じりじりと男から離れてベッドの端まで行き……そのベッドの広さに心で文句の一つも呟きながら、そっとベッドから降りようとする。

 と。

「どこに行く?」

 いきなり声をかけられて、反射的に振り返った。

 寝ていると思っていた男の瞳が開かれている。

 サクラは状況を忘れて、その男の瞳に見入った。

 オッドアイ!

 初めて見る彩りだった。

 男の瞳は、右が金で左が黒のように見える。

 明らかなに左右の色が異なっている。

 その瞳が眇められ、男はゆっくりと肘の分だけ身を起こす。

 優雅で、だけど隙のない身のこなしはサクラが昔一度だけ目にしたことのある野生の竜を思い出させた。

 が、男が身を起こしたことで、瞳に気をとられていた思考が、勢いよく巡り、パニックに陥る。

 男はどうやら、裸らしかった。

 いや上半身が裸なのは、気がつきたくはなかったが、気がついていた。

 しかし、身を起こして滑り落ちたシーツは、かなりきわどいところで、かろうじて留まっているに過ぎず、考えたくはないが男が全裸である可能性を高い確率で示唆していた。

 茫然自失。

 ベッドから降りる気力もなく、サクラはそのままへたり込んだ。

「昨夜のことは覚えているか?」

 少しの間を置いて、男がのんびりと尋ねてくる。

 あんまり、のんびりと尋ねられたので、しかも、その声が低くてとても心地よかったので、なんだか、こちらも少し落ち着いたようだ。

 サクラは昨夜のことを少し考えてみた。

 アオイのお披露目、白い魔獣、放たれた剣、貫かれた体。

「えーと……ここは天国、ではないのでしょうか?」

 逆に尋ねると、男は少し笑った。

 まったく無表情にも見えた男が、笑ったことに少し感動。

 だが、身を起こそうする男には動揺。

「え、ちょっと待って! 起きないで」

 サクラが止めると男は気がついたように、動きを止めて、扉に声をかける。

「マアサ」

 すぐに扉が開いて、中年の女性が入ってきた。

「この娘を着替えさせて、俺の部屋へ連れて来い」

 女性は膝を折って、とても正しい礼をする。

「承知しました」

 それだけで、サクラは、この男が何らかの身分で、躾の行き届いた使用人を雇う立場にあることを知ることができた。

「こちらへ」

 女性に促されて立ち上がると、サクラは手を引かれて部屋を出た。

 出る寸前に少し振り返って男を見ると、男もあのオッドアイでサクラを見ていた。



「さ、どうぞお入り下さい」

 女性に通されたのは、今しがたまでいた部屋と、一枚の扉で繋がった部屋だった。

 こちらも寝室らしく、部屋には隣の部屋ほどではないものの大きなベッドが置かれている。

 マアサと男が呼んだ女性は、そのベッドを通り過ぎて、サクラを部屋の奥へと導いた。

「急なことでしたので、あまりドレスもご用意できなかったのですが、どれかお好みのものがございましたら」

 マアサが示した先には、クローゼット。

 明らかに高級品と分かる衣類がずらりと並んでいた。

 あまり、ですか?

 その言葉が本気か謙遜かは分かりかねたが、目の前に並ぶドレスの量は半端ではなかった。

 数えるまでもなく、現在、サクラが持っている数を上回っているだろう。

「お嬢さま? どれになさいますか?」

 ドレスを選べと促される。

 選んで良いものなのか。

 サクラは困っていた。

 女性を見つめ、それを正直に口にする。

「すいません。私、自分の状況が掴めていないのですが」

 言うと、マアサは、少しだけサクラに同情の目を向けた。

「申し訳ありませんが、私も詳しいことは存じあげないのです。詳しいことはカイ様にお聞きくださいませ」

 カイ様……というのが、先ほどの男性の名前なのだろう。

 サクラは、小さくため息をついて、壁の一角に掲げられた大きな鏡に映った自分を見た。

 覚えのない白い夜着を身にまとっている凡庸な娘。

 どう考えても、並ぶ美しいドレスを選べる身ではない。

 だからといって、夜着のまま、ここに篭っている訳にもいかないだろうから。

「私、こういうものには疎いのでお任せしても良いですか?」

 マアサに言う。

 彼女は驚いたようだったが、にっこり笑って一着のドレスを手に取った。



 ドレスを着終わってから、マアサが随分苦労して長い髪を結ってくれた。

 身なりを整えて隣の部屋へ戻り、今度は反対側の壁にある扉をマアサはノックした。

 返事がないのを気にする風もなく、マアサは扉を開けると、サクラの背を軽く押すようにして、中へと促す。

 そこにいた男は、一応衣服を身に付けていた。

 羽織った上衣の前ボタンは留めれておらず相変わらず逞しい肌を晒していたし、本来は締めるべき腰紐も解かれている。

 長い手足を持て余すように、ゆったりとソファに腰掛けて、何やら書類に目を通していた。

 サクラがマアサにまたもや、背を押されるようにして、前に立つと書類から視線を上げる。

 しばし、サクラを眺め、続いて、見ていた書類をサクラに寄越した。

 見るともなく見てみると、そこにはサクラの経歴が……たいしたことは、書かれていないのは一目瞭然だったが、書かれている。

「オードル家の次女の話は聞かなかったな…まあ、話題にするほどでもないということか」

 随分な言われような気もするが、当たっている。

 だから、何も言わずに聞き流して、男がサクラにしたように眺めた。

 サクラと対照的に、男は実に話題にのぼりそうな容貌だった。

 印象的なオッドアイは先ほど思ったとおり、金と黒。

 男であることを誇示するような荒々しい輪郭は、それでも洗練されており、男の容姿が飛びぬけていることをサクラは認識した。

 男が立ち上がる。

 目の前に立たれて、彼がサクラの知る誰より長身であることも知った。

 だが、そのどれも彼が誰なのかを明かしてはくれない。

 男の手が不意にあがり、サクラに伸びる。

 サクラの体が後ずさるのを、男は気にした風もなく、手をサクラの背後に。

 何をされたか、分からなかった。

 ただ、男の手が髪に触れたのは分かった。

「カイ様!」

 マアサの咎める声。

 頬や首に触れる感触で、男が結い上げた髪を解いたのだと気がついた。

 まとめるのに苦労する艶やかな髪は、あっけなく形を崩しサクラの背を覆った。

「カイ様、このようなお戯れは困ります」

 苦労の結晶を呆気なく崩されて、マアサは大きく肩を落とした。

 それでも再度まとめようと、髪に手を触れれば、それを男が止めた。

「いい。そのままにしておけ」

「ですが」

 言い募ろうとするマアサをカイが遮る。

「それはここから出ない」

 男の意思は絶対。

 それは明らかなようで、マアサはすぐに折れ、サクラの髪を梳くだけに留めた。

 男は命令することに慣れていて、そして、従わせるだけの威厳を備えていた。

 男の指が、解いた髪を一房取る。

 緩やかに波打って流れる、優しげな茶色は、サクラが自分の中で、唯一美しい言えると思っているものだった。

 だが、年端もいかない子供ならともかく、年頃の娘が垂らし髪のままでいることは、憚られた。

 長く垂らした髪がだらし無く見えないかと、不安だった。

 美しくはなれなくとも、せめてきちんとしていたいのに。

 マアサを見ると、諦めたように微笑むだけ。

 サクラの不安をよそに、男は解いた髪を指に絡めては離す、を繰り返した。

「あの」

 サクラが意を決して口を開くと。

「カイだ」

 男が言う。

 名前だと気がついた。

「カイ・ラジル・リューネス」

 男が名乗ったフルネームを聞いて、ちょっと考える。

 どっかで聞いたような……リューネス?

「……あ、皇帝と同じ」

 と、間抜けにも口に出して言い。

「え? え?……ええ!?」

 皇帝と同じ名を名乗れる者など、限られているではないか。

 その妻と、継承権のある者のみ。

 あとは、たとえ血のつながりがあっても、その名は名乗れないのだ。

 ということは。

「カイ様は現皇帝の第2子であられます」

 マアサが親切にも教えてくれる。

 サクラは無礼にもマジマジと、目の前の男を見つめた。

 皇帝の第二子。

 身分があるとかいうレベルではない。

 その存在は、この国の権威そのものと言って過言ではない。

 今日、何度目か分からない恐慌状態に陥ったサクラに追い討ちをかけるような男……カイの一言。

「サクラ・オードル。お前は今日から、ラジルを名乗ることになる」

 このまま、気絶してしまいたい。

 それが正直なサクラの気持ちだった。



 カイは、その後、意外にも親切に、事と次第を話してくれた。

 低い声が語る話は、サクラの記憶にある風景と重なったり離れたりしながら、事実として認識されていく。

 白い魔獣。

 閃光を放つ剣。

 愚かにも、自らを盾にしたサクラ。

 そして、貫いた刃。

「剣は、今、ここにある」

 カイの手の平が、実に無造作にサクラの胸に触れた。

 カッと頬が熱を帯びたが、あまりにカイが気にしていない風なので、何も言えない。

 この人にしてみれば、犬猫に触れるようなものだろう、と言い聞かせてみる。

「剣は鞘にお前を選んだ」

 サクラはカイの手の平を眺めた。

「ここに、剣が…」

 実感はない。

 だが、刺さったはずの剣はなく、傷さえもない。

 何よりも、サクラは生きている。

 カイは頷く。

「俺の剣は、代々リューネスに伝わる破魔の剣だ。使い手を自ら選ぶ」

 使い手以外が触れても、魔を断つことも、人肉を断つことさえできない。

 ここ百年ほどは、剣は使い手を選ばず、ずっと皇家の宝物殿に飾られるだけの存在だった。

 十年と少し前、カイは元服した際に、剣に使い手として選ばれたのだ。

 以来、カイは片時も剣を手放すことなく、国家間の争いと魔獣狩に身を費やしてきた。

「この剣は使い手の元にある限り鞘がない」

 常に刃を晒しながら、魔を威嚇し、人を脅かせ、自らが破魔の剣の使い手であることを示すのだ。

「そして、剣は鞘も自ら選ぶ。剣はお前を選んだ」

 話はわかった。

 何故、サクラが選ばれたのか、とか疑問はあるが剣が選んだと使い手が言うのだから、そういうことなのだろう。

 だが。

「何故、私、ラジルになるんでしょう?」

 当然の疑問。

 そういう決まりごとでもあるのだろうか?

「それが、お前を側に置く方法として、一番簡単だからだ」

 カイはあっさり言った。

「年頃の娘を屋敷に留めるとなると、妻に迎えるのが一番手間がない」

 つま?

 サクラはその単語の意味を、掴み損ねた。

「幸いなことにお前は家柄も年齢も、なんの問題もない。ああ、もし恋人がいるなら…」

「妻?」

 カイの言葉を遮る。

「妻って、妻!? 冗談ですよね!?」

 カイは眉を潜めた。

 無作法だったと反省しつつ、声音を落として訴える。

「侍女とか、他に方法が…」

「侍女を寝室に伴うのは、周りがうるさい。特にマアサは許さんだろうな」

 カイが言い捨てる。

 再び聞き逃せない言葉。

「し、寝室?」

「俺は可能な限り、剣を身近に置いておく。当然眠る時もだ」

 ああ、それで今朝も一つのベッドに寝ていたのか。

「分かったな」

 分かりたくなかった。

 分かりたくなかったが頷いた。

 相手は、皇子で破魔の剣の使い手だ。

 サクラの主張が通るはずもない。

 カイにとってこの話が大したことではないのが分かる何気なさで、あっさりと話題が変わる。

「ところで、あの魔獣は、お前の使い魔か? 使い魔をかばう主など、聞いたことがないが」

 サクラは、諦めに近い脱力感を感じながら答えた。

「勝手に体が動いてしまったんです…ご迷惑をおかけし申し訳ありません」

 カイの指が、うつむき加減だったサクラの顎をつかみ、顔を上げさせる。

「詫びはいらない……で?」

顎の手が動き、無骨な指が再び髪を取るのを眺めながら、続ける。

「あれは私の使い魔ではありません。あの子の主はサラという方です。亡くなったらしいですけど」

 髪を弄んでいた指先がピタリと止まる。

「あれは、サラの使い魔か」

 呟き。

 その反応に、サクラはふと気がついた。

「あ、あの時の二人連れ?……ですか?」

 カイも気が付いたようだ。

「あの時、木の上にいたのはお前とサラの使い魔か」

 やはり、あの時、男は樹の上の存在に気が付いていたのだ。

 だが、それよりもサクラを慌てさせたのは。

「ご所望はアオイですよね? 重ね重ね申し訳ありません」

 どっぷりと落ち込む。

 しかも、これは、両親の期待も裏切ったことになるではないだろうか。

 両親が迎え入れることに躍起になっていた『普通なら訪れることのない高貴な方』というのは、このカイのことに違いない。

 両親はアオイこそ、カイに輿入れさせたかっただろう。

 さらに。

 あの、騒ぎの後、あの祝宴はどうなったのか。

 考えれば考えるほど、気分が暗くなっていく。

「おい」

 黙ったサクラの髪をカイが引っ張る。

「俺は妻など静かでおとなしければ、誰でもかまわん」

 確かにそう言っていた。

 だが、サクラは静かでおとなしくはない。

「おとなしく静かにするよう努力します」

 本気で誓った。

 ここで、カイの不興を買おうものなら、どんなことになるのか。

 もはや、想像さえできない。

「あ!」

 急に思い出した。

「確かに、静かではないな」

 カイがため息をつくのに、もう一度詫びて口を閉じた。

 少しの沈黙の後。

「で、なんだ?」

 カイが聞いてくれる。

 さっきから思っていたのだが、この人は。

 身分ゆえの不遜さと、その人ゆえの圧倒的な威圧感の中に、とても穏やかで優しいものを感じさせる。

「私の使い魔はどうなったのでしょう?」

 小さな灰色の使い魔。

 カイは、ふと表情を消した。

「あれは、消えた。あの小さい魔獣では、剣の気にさえ耐えられない。サラの使い魔は逃げ延びたがな」

「そう……ですか」

 消えてしまったのか。

 サクラは呟いて黙った。

 何か言うと涙が零れそうだったから。

 この場で、泣くべきではないことは承知している。

「分かりました」

 少し沈黙が流れ、扉の向こうからマアサの声が、カイを呼ぶ。

 カイは、サクラを置いて、部屋を出て行った。


 1人になった部屋で、サクラは肩の力を抜いた。

 ぐったりと、体が疲れていて、どれだけ自分が緊張していたのかと少し笑えた。

 どうすれば良いのか分からない、と思いかけて。

 ただ、ここにいれば良いのだと……それしかできないのだと気が付いた。

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[一言] サクラ·····(இωஇ`。)
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