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カイが何かを告げたのか。

それとも、長く仕える者は何かを感じ取ったのか。

この日、マアサはサクラの湯浴みに、ことのほか手をかけた。

自分のことは自分で、というサクラに譲歩してくれていたマアサが、頑として譲らず。

湯には、いつもより大目の花びらが浮かんでいたし、髪も念入りに洗われた。

あまりに、あからさま過ぎはしないか。

「何もご心配することはございませんよ」

マアサが髪を梳きながら諭すように言う。これを言うために、ここにいるのはホタルではないのだろう。

「全てカイ様の思し召しどおりになさいませ」

マアサの顔を見ることなく頷くと、組んだ指に震えを見つけた。

乾いた髪を背中で一つのみつあみにまとめる。

まるで、輿入れしたばかりのように純白の夜着を身に付けたサクラは、カイの寝室へと送り出された。

だが、カイはいなかった。

主のない部屋に、ぽつんと一人立ち…ほっと息をつきながらも、どうしたものかと部屋を見回す。

寝室だから、当然のようにベッド。

眠り慣れたベッドだ。

でも、今夜はそこに自ら上がる気には到底なれない。

よくカイが寛いでいる大きなソファに腰掛けて、膝を抱えた。

このまま寝てしまったら…見逃してくれるだろうか。

そんな風に考える往生際の悪さに、ちょっと呆れる。

でも、しょうがない。

あの時だったら。アルクリシュにいたあの時だったら、想いが通じた熱に浮かされたまま、すんなりと受け入れたかもしれない。

でも、ここに戻って、カイのいない時間を過ごして、サクラはちょっと冷静になってしまった。

何の取り柄もない普通の娘。

そんな自分を、思い出して。

カイがキリングシークの皇子であり、軍神であるということも。

今更、思い知る。

カイを受け入れることは…逃れる言い訳をなくすこと。

アイリが、怖かったという場所。

本来なら、大国の姫君こそが、相応しい地位。

何も持たないサクラが、過去には考えもしなかったそれが、今、目の前に現れている。

そんな場所に、どうして、易々と行けるだろうか。

オードル家の次女は、強くない。美しくもない。毅然ともしてないし、可憐でもない。

極めて、凡庸な娘なのだから。

サクラは自らの腕で、自らを抱きしめた。

どうしよう。

どうすれば良い?

ほら、怖がっている。

逃げたがっている。

所詮、私などこの程度の者だ。

背後で扉の開く音がする。

近づいてくる人を見る勇気はない。

俯いて、膝に顔を埋める。

「サクラ?」

カイの手が、髪に触れたのが感じられた。

「自分でベッドに行くか…それとも、俺に抱かれていくか?」

どちらも嫌。

だって。

きっと、サクラが思い出したように、カイも気がついてしまう。

カイの望むような娘ではない。

何の取り柄もない凡庸な娘だと。

「怖じけづいたか」

見透かす呟き。

「そんな思いをさせるなら…無理にでも抱いておくんだったな」

情けない思いが、なおさら強まり、サクラは体をますます縮めた。

「サクラ…俺も余裕がない」

そう聞こえたと思った途端、強引に顔を上げられた。

目の前にサクラと同じ布地で作られた夜着を、いつものように前を開けて羽織っているカイがいた。

覗く胸元には、包帯を外した傷痕。

もちろん血は止まっている。だが、完全に癒えているとは言えない、まだ痛みを覚えそうな生々しい傷痕だ。

サクラの鼓動が大きく跳ねた。

背筋が慄く。

この人は…帰ってきたのだ。

あの殺伐とした場所から。

魔獣たちが牙を剥き、爪を立てる。

剣が振るわれ…血肉が飛び散るあのおぞましい場所から。

なのに、何を考えているだろう。

この人は、言ってくれたではないか。

サクラが、穏やかな時間に導くと。

サクラだけだと。

それだけで。

「ごめんなさい」

縮めていた体を緩めてカイに腕を伸ばす。

「サクラ?」

屈む男の首を抱く。

響く声。温かい体。刻む鼓動。

今は、カイが戻ってきたことだけで。

その言葉を信じるだけで良い。

「すべて…貴方のお望みのとおりに」

なんとか、それだけを呟いた。

カイの腕が強くサクラを抱き寄せて、ソファから抱き上げる。

ベッドに降ろされ、重なってくるカイに見下ろされた。

怖いと何度と感じた瞳が、いつもよりも色を濃くして、サクラを見つめる。

「煽るな」

苦笑いと呟きで、自分が言った言葉がどんな意味を男に伝えたのかに気づく。

「…もう…何も言いません」

目を閉じた。カイを抱く手に、ほんの少し力を込めた。

「言いたくても…無理だ」

カイの唇が最初に触れたのは、サクラの唇。

確かに覚えていられたのは、それだけだった。



瞬く間に、サクラのすべてをカイは暴いていく。

狂人のように魔獣をなぎ倒す日々では思い出さなかった…あえて、思い出さないようにしていた肌の温もりを全身で感じ取ろうと、自分自身でさえ驚く貪欲さで求める。

サクラは従順だった。

強張る体。震える肌。

だが、その唇は一度として否とは零さなかったし、その手が一瞬でもカイを拒むことはなかった。

それでも。

未知の訪れに、華奢な体は怯えて逃げる。

それを易々と抑え。

「逃げるな」

命じた。

刃向かいようのない力で身を進めながら。

己の行為が、サクラに与える意味を、重く受け止めていた。

サクラの怯えを。

サクラの迷いを。

分かっていながら。

取り除くことなどできない。

「サクラ」

名を呼ぶと、細い腕が縋る。

深い繋がりの、さらなる奥を求め。

「俺を受け入れろ」

なお、命じるのか。

受け入れるのは、カイ自身。

そして。

「誓う…お前が俺を受け入れることで、背負うもの縛るもの…全てから護ろう」

かつての誓いは鞘の娘に。

この誓いは、誰より愛しいただ一人の女に。

「だから」

口から零れたのは。

「逃げないでくれ」

初めての願い。

護る。

この命に変えても。

だから、逃げないで欲しい。

娘を愛する男が皇子であり、軍神であるが故の宿命に。

共に向かって欲しい。

「…カイ…」

サクラの腕がカイを抱き寄せる。

「俺を受け入れてくれ」

願う。

サクラは頷いた。

「…サクラ…」

手放せないから。

譲れないから。

だから、もはや、願うしかないのだ。

「…愛してる…」

サクラはカイを抱いた。そして、頷く。

幾度も。幾度も。

カイが命じる数。

願う数だけ。

確かに頷いた。

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