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最初に異変に気づいたのは、やはりホタルだった。

嫌な…でも、つい最近聞いたことのあるような、それは唸り声と息遣い。

もはや程近い、確実にこちらへと近づいてくる足音。

誰に知らせるべきかを迷っている時間はなかった。

夜着にショールを羽織り、髪も結わずに部屋を飛び出す。

ホタルは無礼を承知で、カイの寝室の扉をノックした。

眠りが浅いという主は、すぐに姿を見せた。さすがに、寛いだ姿をしてはいたが、眠たげな様子もない。

「どうした?」

静かな空間に響く声は、ざわめくホタルの心にいくらかの落ち着きをもたらした。だが、焦る思いは止められず「嫌な音がするのです」

無礼を詫びることも忘れ、早口に告げる。

「…分かった」

カイは何をと問うことなく、一旦部屋へと姿を消した。すぐさま現れたカイの手には、剣が握られていた。

「どんな音だ?」

速足で歩きながら尋ねてくる。

その足は、迷わずサクラの部屋に向かっている。

「…唸り声…呼吸…足音…とてもたくさんです」

聞こえるものを口にしながら、ホタルは足が震えてきた。それでも必死にカイの後を追う。

「どのくらい近い?」

近いのだ。

それはとても近く、そして、いったいどれほどいるのか。

「かなり近いのです。申し訳ありません。魔獣は音を消すのが上手なので…」

歩みを止めることなく「詫びる必要はない。シキに知らせに行けるか?」

命令ではない問い掛け。

この怯えを、主は気が付いているのだとホタルは気づき、しっかりと答えた。

「はい」

カイが少し微笑む。

その笑みが、ホタルを力付けた。

「寝てるだろうが、たたき起こせ」

その物言いに、不謹慎とは思いながら笑いを浮かべ、ホタルはシキの部屋へと走り出す。

ホタルの言う嫌な音が、カイの肌を突き刺す気配に変わった。

カイもまた走り出す。

気配が色濃くなっていくのを感じて、気持が逸る。

サクラの部屋の前に辿り着き、ドアに手をかけた。

ドアを開けようとノブを捻ったまさにその瞬間、ガラスが割れる激しい音が、扉の向こうから聞こえた。

カイは剣を抜きながら、ドアを開けた。

「サクラ」

闇に近い暗がりの中、サクラはベッドの中で、身を起こしていた。

「カイ…様」

名を呼ぶ声が、震えている。

サクラの周りには小さな光が溢れていた。

だが、その光に救いはない。

無数にあるそれは瞳だった。様々な彩りが狂気を湛えながら、サクラを取り巻くように揺れている。

おぞましい光景だった。何にも代え難い娘が、大小様々な魔獣に取り囲まれている。

カイは、自分に言い聞かせた。

大丈夫だ。

サクラの中には、剣がある。

そして。

「随分と賢しいことをする」

傍らにある大きな影に呟いた。



それは巨大な魔獣だった。つい先ごろ見た魔獣でさえ、その大きさに慄いたのに。

なお、大きな姿はおぞましい。

いったい、この世にはどれほどの獣が存在するのか。

カイの背丈を遥かに越える体は、漆黒の軍神よりなお黒い。

小さな光が飛び回る中、一際大きく光るのは、瞳のないどす黒い紅。全く感情らしきものが見えない眼球が現れた男を見下ろしている。顎を超えて伸びる長い牙は、今にもカイの首筋に触れそうな程近い。

サクラは、体を巡る悪寒に震えた。

「カイ様」

呼びかけると、名の主ではなく、名もなき獣達が叫んで返す。

そのけたたましさに、サクラは耳を塞いだ。

これは、いったい何?

何が起きているの?

「サクラ」

カイが名を呼ぶ。

砕け散りそうな正気が持ちこたえる。

「大丈夫だ…お前にはどいつも近づけん」

その言葉に、サクラははっとする。

剣が私を護るから?

サクラは首を振った。

それでは、カイは?

軍神は、また、剣を鞘へ封じるのか。

「カイ様…剣を…」

抜いて下さい。

サクラの言葉を遮るように、黒い魔獣が吠える。

それに呼応して、何頭かの獣がサクラへと飛び掛かる。

弱きものは霧散し、多少の力を持つものは弾かれて、悲鳴を上げる。

これは、脅しのなのか。

剣がサクラから放たれたその瞬間にも、柔らかな体は食いちぎられると言わんばかりに。

黒き獣が、笑ったように見えた。

この魔物は知っているのか。

鞘の娘を護るために、使い手が剣を持たないことを。

故に、ここに来たのか。

「カイ様」

カイは、魔獣を見据えていた。

悠然ともいえる姿で。

「お願い、カイ」

いやだった。

こんな護られ方はいや。

確かに何もできない。

無力だ。

だけど、こんなのは。

こんなことになるなら。

鞘である私が、どうして貴方を追いつめるのか。

「カイ!」

サクラはベッドから降りた。

小悪魔達が騒ぎ立てる。

どうしたら良いかなんて、分からない。

だけど、おとなしくなんてしていられない。

カイへと駆け寄ろうとするサクラに、獣は一瞬たじろいだ。

が、すぐに雄叫びを上げ、カイへと牙を振り上げる。

サクラがカイに辿りつく。カイが駆け込んだサクラを胸元へと抱きこみ。

破魔の気は、カイに向けられていた牙を、かろうじて弾き飛ばした。

「…こんな時は大人しくしていてもらって構わんのだがな」

サクラを抱きよせながら、カイは呆れたように呟いた。

だって。

サクラの言葉は声にならなかった。

獣は、破魔の剣の気に圧され、一時は退いたようにも見えたが、再び、カイへと飛びかかる間を計り始めた。

カイは剣を構えはしたが、破魔の剣でなければ、目の前の魔は討てないことを確信していた。

これは、強い。いくら、研ぎ澄まされた剣でも、討つことはできないだろう。

魔獣が、大きく口を開けてカイへと牙を剥く。

カイはサクラを背に庇いながら、剣を魔獣の口の中へと突き立てた。

獣は、耳障りな悲鳴を上げたが、牙を納めることなくカイへとふりかざす。

その刹那。

白い風が、部屋を走った。

何か。

疾風を視線が追う。

白い影となったそれは、カイに向かう黒い塊に当たり、弾けた。

黒い魔獣はよろめき、白い影は…獣の姿で、カイの前にすっと立った。

その姿を、サクラは知っている。

一度だけ血を与えた主のない美しい使い魔。

白い獣は、カイと体勢を立て直した魔獣の合間に立つ。

カイを護るように。

しかし、服従しているようではない。

黒い魔に牙をむくも、カイにもまた、威嚇するように瞳をぎらつかせる。

「…見かねたか?」

カイが呟き。

「サクラはお前に預ける」

そして、まるで剣を持っているかのごとく、腕を構えた。

サクラの周りを覚えのある風が渦巻く。

そして、静まった空間に剣が煌めく。

カイが剣を手にするのと同時に、白い獣はサクラへと駆け寄った。

立ちすくむサクラの傍らに立ち、剣の庇護を無くした獲物に飛びつこうとする悪童を恫喝する。

魔に囲まれている。

白い魔獣に護られている。

サクラには、何も分からなかった。

視界にあるのは、ただ、カイのみ。

破魔の剣を初めて見る。その使い手を見るのも、また初めてだ。

軍神だと。

荒ぶる神だと。

その意味を知る。

カイは、剣を獣に向けた。

剣は自ら光を放つ。

目覚めさせられた刃にあるのは、歓喜か憤怒か。

獣は、破魔の気に圧されたように後ずさった。

「やはり…賢しいな」

ただ、向かってくる輩ではないのだ。怯えを知っている。

カイは自ら近づき獣を追い詰める。

後ずさった獣は、やがて退路を立たれ、前脚を高々と上げて、カイへと飛び掛かった。

大きく開かれた口には牙と、カイが突き立てた剣がある。

破魔の光に映し出されたそれらが、消える。

光が闇に飲まれる。

カイの姿が獣に隠される。

魔獣の激しい叫びが響き渡った。

そして、闇の中から光が生まれる。

二つ身に倒れる魔獣の向こうに、カイと剣がいた。

黒い獣がビクビクとひきつり…やがて、動かなくなる。

まったく聞こえなかった小さな獣たちの耳障りな声が、一気に部屋を埋め尽くした。

いったい、どれほどいるのか。

カイは、さらに剣を構えた。

しかし、小さな魔獣らは、一斉に四方へと散り始める。

破られた窓から、一目散に次々と姿を消していく。

やがて、静かな夜が訪れた。

「サクラ」

呼ばれる。

サクラは迷わずカイの胸元へと、身を滑り込ませた。

「汚れる」

首を振る。

魔獣の血がなんだというのだ。

それが、カイを抱きしめない理由になろう筈がない。

「カイ様!」

ホタルを伴って、シキが現れる。

シキの手に握られた剣は、魔獣の血で塗れていた。

「遅い。もう終わった…ひとまず、だがな」

カイは、サクラを抱きしめた。

シキは倒れている巨大な骸に目をやりつつ、ホタルの腕を掴んだままカイに近づいた。

「無茶言わないで下さい。そこら中、魔獣だらけだったんですから。屋敷中、めちゃくちゃですよ」

ホタルは魔獣を見て、そして、カイに抱かれているサクラを見た。

サクラはカイの腕の中で、大丈夫だと頷いた。

「カイ様、屋敷内には魔獣は残っていないようです」

シキの背後から、タキが姿を見せる。

日頃の清廉とした姿とはかけ離れた、血塗れの戦にあるべき姿だった。

「…例の魔獣でしょうか。サラの…」

「…分からん…見知った者に確認させろ」そう告げると、タキはすぐに踵を返し、部屋を出て行った。続けて、シキに「このあたりの狩人に伝えろ」命じる。

「ここから去って行った奴らが、しばらくは暴れるだろう…根こそぎ討ち払え」

「了解です。俺も、このまま着替えて出ますよ…奥方様、準備にホタルをお借りしても?」

この状況では、どれだけ動ける侍女がいるかも分からないだろう。

サクラは頷き、ホタルを見た。

ホタルは、サクラがカイに護られていることを確認するように見つめてから、シキについて部屋を出て行った。

それを見送り、誰もいなくなった部屋で、サクラはカイの手に触れた。

いまだ、剣を握り続けている手。

まだ、終わらないのだ。

言葉もなく抱かれていると、アイリが蒼い顔で訪れた。

「…アイリ…悪かったな。やはり、俺はここに来るべきではなかった」

アイリは首を振った。そして「…別に、カイ様が魔獣を引き寄せた訳ではないでしょ」微笑んだ。

「貴方がいなかったら…もっと、多くの犠牲者が出たわ」

アイリが手に持っていた衣類を、カイに渡す。

「…タキが準備しろというから…本当はお渡しするのは嫌なんだけど」

それは、漆黒の軍衣。

カイはサクラを離した。剣をサクラに渡す。

サクラは初めて剣を手にした。ずっしりと重いそれを、カイは軽々と振るうのだ。

「…カイ様」

血に濡れた夜着を脱ぎ捨て、黒衣を身につける。

「行かれるのですか?」

カイは頷いた。

剣は爛々と輝き、サクラの元に戻る気配はない。

剣をカイへと手渡すと、サクラは黙ってカイの着替えに手を貸した。

血で汚れた体を清めることもなく。

「…行ってくる」

まだ、傷も癒えていないのに。

それでも、行くなとは言えないのだ。

この人は、眠りから目覚めた軍神なのだから。

「サクラ」

腕を伸ばし、カイの首へと回した。

「行ってらっしやいませ…お気をつけて」

ぐっと抱きしめられて、口づけを受ける。

「…怪我なんてしないで…」

離れた唇の隙間から、わがままにも似た願いを囁く。

「サクラ」

もう一度触れる口付け。

「…私を…妻にしてくれるのでしょう?」

カイは微笑んだ。

「戻ったら…今度は逃がさん」

名残惜しげにサクラを離し、カイは少し離れて座っている白い獣を呼んだ。

「タオ」

白い獣は視線をカイへと向けた。

「剣が俺の元にある間なら、サクラの側にいられるだろう」

驚いてサクラがカイを見上げた。

カイがサクラに「サラが付けた…あれの名はタオという」

そう教えた。

「お前が欲しいようだが譲ってはやれん」

カイはサクラの背中を押し、囁いた。

「俺がいない間だけだが…傍においてやれ」

そう言い残して、カイは部屋を出ていく。

サクラは背中を見送った。「…行ってらっしゃいませ」呟くと、慰めるようにタオが傍らに歩み寄り、ぺろりとサクラの手のひらをなめた。

「…タオ…というのね」

サクラは跪き、白い獣を抱きしめた。

「…カイ様を助けてくれてありがとう」

タオは不満げに鼻を鳴らす。

「私を護ってくれてありがとう」

微笑んで、その目元に口付けた。

白い獣は、もっと褒めてくれというように、サクラへと頭を押し付けた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 心が寄り添っていく·····(´˘`*) ·····タオ、格好良い上に可愛いなんて゜+.゜(´▽`人)゜+.゜
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