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いつものように、ホタルの手を借りながらドレスを身につけた。

髪は相変わらず結わずに背中に垂らし、それをホタルが丁寧に梳いてくれる。オードル家を出て以来、揃える程度にしかハサミを入れていないため、気が付けば腰を超えて膝に届きそうな程も長い。「少し切りたい」と言うと、ホタルも同意してはくれたが、実現はキリングシークに戻ってからになりそうだ。

薄く化粧も施して、朝の準備は…できてしまった。

「サクラ様。準備できましたよ」

言われなくても、分かっている。

「カイ様のお部屋に行かれるのでしょう?」

あっさりと言ってくれるホタルを、ちょっとむくれて睨んだ。

「簡単に言わないで…心の準備がいるの」

とてもではないが、身なりを整えている時間では築けない心の準備が。

ホタルは眉を寄せた。

「心の準備、ですか?」

サクラは頷いて、干し草を丁寧に編みこんだ良い香りのするラグの上に座り込んだ。

床まで広がる髪をまとめて、手元で遊びながら「こんな状況、想像したことないもの」呟く。

カイの元へ行けば、待っているのは当たり前のような口づけや抱き寄せる腕。

愛しい。大事。失いたくない。

声になった想いを、そのまま迷いもなく伝えてくるカイの指先には、一滴の迷いもないようだ。

だけど、サクラにとって、それはあまりに急激な変化。戸惑わずにはいられない。

「どうしたら良いのか分からないの」

「私だって、どうしたらいいか分かりません」

ホタルはきっぱりはっきりと、自慢にもならない答えを返した。

アイリの無作法のおかげで、あの日を境にカイとサクラの関係に変化が生じたことは、ホタルも承知している。こうも変わるものかと、ホタルが驚きを禁じ得ないほど、カイのサクラへの愛情は惜しみない。

それが、サクラを悩ませていることも、よく分かってはいる。

分かってはいても「相談相手には到底なれません」

年かさのいった知識や経験のある者ならば…例えばマアサのような者ならば、何か言えるのかもしれないが、しかしながら、ホタルにはなんともしようがない。

「頑張って心の準備をして下さい」

言えるのは、それだけ。

言われたサクラも分かっている。

人から見たらとても贅沢な悩みなのだろう。想う人に想われて、どう受け入れていいのか分からないなんて。

でも、つい数日前まで、名ばかりの妻になろうと頑張っていたのだ。

鞘として、カイの傍らにあろうと言い聞かせていた。

想いは叶うはずがないと思っていたから。

それを、いきなり妻のように扱われ、求められても、心も体もついて来ない。

「サクラ様、そろそろ行かれた方が…」

言いかけたホタルにタイミングを合わせたように、扉がノックされる。ホタルが言葉を止めて、そちらに答えると、慌ただしくシキが部屋に入ってくる。

「奥方様、そろそろカイ様の所に行って下さい」

どうやらお迎えが来てしまったようだ。

サクラは、なんとなくホタルを見た。ホタルは困ったように、肩を竦めてみせた。

「何か不都合でも?」

シキが、サクラではなくホタルに尋ねる。

ホタルはチラリとサクラを見て「…何もないと思います」答えた。

ホタル、冷たい。

サクラは思ったが、ホタルがどうにかできるはずもない。

「じゃあ、カイ様のところにどうぞ」

サクラは立ち上がらずに、シキを見上げた。

シキの顔に、苦笑いのような、子供をあやすような笑みが浮かぶ。

「…まあ、奥方様の戸惑いも分からなくはありませんが」

何か、助言でも頂けるのか。

じっと見ていると独り言のように「カイ様も花を眺めて愛でる方ではないので…しかも、それが咲き誇って、触れられるのを待っているかのようでは堪えろと言う方が酷でしょう」

言われたことの意味に、サクラの顔が熱くなる。シキから、目を逸らして俯いた。

まるで、サクラの方がカイを誘っているようではないか?

「まして、貴方は妃な訳ですから…本来なら、誰に咎められることなく、好きにしていい筈ですし」

好きにする?

とても際どいことを言われている気がする。

いよいよサクラは俯いた。耳までが熱くて、多分、顔は赤いだろう。

「…医者の言うことはもっともかもしれませんが…我慢させ過ぎるのもどうかと思いませんか?」

そんなこと、どう答えろというのか。

恥ずかしくて、顔が上げられない。こんなことなら、さっさと言うことを聞いてカイのところに行けば良かったとさえ、思えてくる。

「シキ様」

見かねたホタルが、シキを呼ぶ。シキは、赤くなって睨んでいるホタルをチラリと見たが、更に続けた。

「怪我なら大丈夫ですよ。あの程度なら、あの方にとってはどうってことないですから。何も気にせずカイ様に任せてしまえば、あとは…」

もう、いいです。

サクラが思ったのと、「シキ様!」ホタルの咎める声が重なった。

きつい声にそっとホタルを見ると、真っ赤になって涙目になっている。

サクラの気分そのままの表情だ。

シキが肩を竦めた。

「ま、逃げ場はありません。諦めて下さい」

そして、最後はありがたくない言葉と、なぜか爽やかな笑顔で締め括った。

「…という訳で、カイ様の所にどうぞ」

今の話の後では、かえって行きづらいものがあったりする。

ますます、どうしたら良いのか分からないではないか。

「分かりました」

しかし、行かない訳にもいかない。

サクラは、シキに従うしかないと立ち上がった。

心の準備は完璧ではないが、グズグしていても仕方ない。

「ホタル、行ってくるわ」

泣きそうな瞳でシキを睨んでいるホタルに声をかける。

すぐに、近寄ってきて、たいして乱れていない髪とドレスの裾を直してくれた。

「行ってらっしゃいませ」

涙目ながら微笑んで言ってくれる。サクラはちょっと笑って、頷いた。

扉から出ようとすると、シキがついてきながら「あまり焦らすと、ご自身に返りますよ」と呟く。からかわれているのかと見上げると、思いの外優しい視線が見下ろしていた。

どうやら…この会話は、シキにとっては敬愛の現れらしい。

そう気がつけば、サクラの方も少しだけ、気分と口が軽くなる。

「…焦らしてなんていません」

歩みを進めながら、ちょっと拗ねたような口調で呟いた。

そんな駆け引きができないからこその、心の準備ではないか。

「おや…自覚がおありにならない?」

シキは一歩後を歩き、笑いを零しながら答えた。

「そんなの…分かりません」

正直に言う。

サクラの何がカイを誘うのか。何が焦らしていることになるのか。

「無意識の誘惑ほど、そそられたりするので要注意ですよ」

サクラは足を止めて、振り返った。シキも距離を保ったまま止まる。

「ご経験がおありな訳ですか?」

尋ねると驚いたように、眉が上がった。

「焦らされている方ですか?無意識の誘惑の方ですか?」

さらに尋ねると、シキは噴き出した。

そして「そうやって、カイ様にもお話になれば良いんですよ」と微笑んだ。

「戸惑いがあるなら、そうお話すれば良いんです」

シキが歩き始めた。サクラもその後に続き、カイの部屋の前で「シキ様」と声をかけた。

「はい?」と返事をくれる側近に「…いろいろとお話下さって、ありがとうございます」

微笑みながら礼を述べた。

シキは困ったような笑みを浮かべた。

「気をつけて下さい。そういうお顔が男には誘惑だったりするんですよ」

そして、カイの部屋をノックしながら、片目を閉じた。

「先ほどの会話は、カイ様にはご内密に…嫉妬されるのはタキで懲り懲りなんです」

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