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三日もすると、サクラの体調は随分と落ち着いた。

やはり、あれは暑さのせいだったのだろうか。確かに、ここは皆が口を揃えて言うように、とても過ごしやすい気候の土地だから。

でも、多分、それだけではないのだ。

心がとても弱っていたから。カイへの想いから目を逸らして、感情を抑え込んで。閉じ込められた心が悲鳴を上げて、体がそれに引きずられたのだ。

そう思う。

今は、もう認めてしまったから。閉じ込めても、抑え込んでも、どうにもならないから。

カイが好き。

認めた。報われないのは承知の上。身の程知らずなことも、分かっている。

だけど、好き。

カイの側にいたい、という願い。カイに応えたい、という想い。

それを抱いて、その上で、自分のできることをやるのだ。そう決めたから。

少しだけ強くなった心に、体も応えてくれたのだと思う。

「おや…今日は随分顔色がよろしいですな」

アイリに伴われてきた医者が、サクラを見て嬉しそうに笑う。

「はい。今日はとても気分が良いのです」

サクラも笑みを返した。

この家の主治医キリ・ゴードンは、とても大きな老男性だった。

背丈はカイと変わらないほどなのだが、更に横幅がたっぷりとあり、少なくともサクラの三倍は体重がありそうだった。初めて会った時はさすがに驚いて、不躾にも目を見開いた見つめてしまった。だが、真っ白な髪とヒゲの隙間から覗く優しげな瞳に微笑まれて、すぐに打ち解けた。

「食事はきちんと召し上がりましたかな?」

サクラは頷いて、夕べぐらいから食欲が戻り、いくらか食べることができていることを、医者に告げた。それから、薬を飲まずに、眠ることもできたとも。

キリは一通り診察を終えて、「明日から、ベッドを出られてもよろしいですよ」とサクラと、側にいたアイリに告げた。

サクラは身を乗り出して、キリに確認する。

「本当に?そう、殿下にお伝えしてくださいますか?」

それは、とても嬉しいことだ。

体が楽になれば、当然ベッドから出たいもの。だが、その許可権はカイにあるらしく、彼が頷いてくれるまで、この家の誰一人としてサクラがベッドから出ることを見逃してくれないのだ。

「もちろん、お伝えしますよ」との言葉に、サクラは、満面の笑みで礼を言った。キリは眩しそうに目を細め「そうそう、若い娘様はそのように笑っておられるのが一番よろしい」などと言って、サクラを更に笑わせた。

「お散歩は、まだ無理かしら?」

アイリが尋ねた。

「そうですな、お庭ぐらいなら良いでしょう…無理をさせてぶり返しては、カイ様に叱られますからな」

キリの言葉に、アイリはため息をつきつつ肩を竦めた。

「カイ様が、こんなに過保護な方だとは思わなかったわ」

サクラの笑顔が少し変わる。

キリがそれに気が付き、少し眉を潜めたのだが、髪と髭に囲まれたそれの僅かな動きは、若い娘達には気づかれなかった。

「タキも随分だと、思いますがな」

からかうようなキリの言葉に、アイリは頬を膨らました。

「そうなの…私を十歳かそこらの子供だと思ってるのよ、きっと」

まさか、とキリは笑いながら「どんな方でも、大事な者には過保護になるものですよ」

そう、続けた。

大事な者という、その言葉の意味を、サクラは考えないようにした。

様々な意味の中には、カイが大事にするサクラの存在も含まれるだろうから。

「しかし、カイ様の奥方様に生きているうちにお会いできるとは思っておりませんでした」

キリは、ベッドの中で身を起こし耳を傾けているサクラを見つめた。

こんな時、サクラは、胸騒ぎを覚える。それは多分後ろ暗さ。

誰もが、サクラをカイの妻として扱う。事実はさておき、形式上そういう地位にあるのだから、それは仕方がない。

だが、こんな風にカイへの愛情から出てくるその妻への敬愛は、サクラに罪悪感にも似たものを感じさせる。

「姫様がタキに嫁がれた時も感慨深いものがありましたが…あのやんちゃだった方々が、こうして大人におなりだ。わしが歳を取る訳ですな」

キリが感慨深げにため息をつく。

「キリ、年寄り臭いこと言わないで」アイリがキリの背中をぽんぽんと叩いた。

そして、サクラに向かって話を続けた。

「カイ様は、小さい頃からここへは避暑にいらっしゃってて、よくご一緒に遊んだのよ。タキやシキはその頃から、お供だったの」

アイリの昔話は、サクラの胸騒ぎを取り除き、単純な好奇心をもたげさせた。

だが、小さい頃の彼らを全く想像できなくて、首を傾げる。

「小さい頃の皆様は、どのような方でしたか?」

尋ねると、アイリはやけにきっぱりと答えた。

「暴れん坊」

その言い方が、サクラを笑わせた。

安易にその言葉が連想できるのは、今となってはシキぐらいだろうか。

「よく3人で立たされて、ロウに怒られてたわ」

それに、声をだして笑う。

カイは、翼竜の名を付けたのはシキだと言っていたが、何も、その名での叱責を楽しんだのは、シキだけではなさそうだ。

「何をおっしゃる。アイリ様も、暴れん坊の一員でしたぞ」

キリの横槍に、アイリはペロリと舌を出した。

「わしも、方々には手を焼きました…何度、怪我の手当をして差し上げても、次から次へとこさえていらっしゃる」

呆れたような口調ながら、その瞳は優しく遠くを懐かしんでいるようだった。

小さなカイと二人の仲間と姫君。まだ主従関係も薄くて、もちろんカイは軍神ではなくて。

それは、とても、穏やかで優しい時間だっただろう。

「ここは…殿下にとって、とても優しい場所なのですね」

サクラは呟いた。

そんな場所に、サクラを連れてきてくれたのか。

「カイ様が剣を手にされてからは、ここへいらっしゃることはなかったの。この国は、剣を晒す者を拒むとおっしゃって…だから、私、とてもサクラ様に感謝しているわ」

アイリはサクラの手を握った。

「サクラ様が剣の鞘であることはタキから聞いてます。そのおかげで、カイ様は再びここへいらっしゃってくださった…ありがとうございます」

礼を言われたのは初めてだった。

鞘として、そこにあることを望まれて、それさえできないことに嘆いた。

そんな私でも、役に立っているのだ。こうやって、できることをしていけば良い。

とても嬉しくて、胸がいっぱいで、サクラは何も言えず、アイリの手を握り返した。

「おや…噂をすれば」

扉が2回叩かれ、カイが現れる。

キリはベッドから一歩離れて、カイに深々と礼をした。

「カイ様、明日からベッドを出ていいとお許しが出たの。お庭のお散歩にお誘いしても良いでしょう?」

アイリが待ちきれないように、嬉々として尋ねる。

サクラはカイを見ていたが、アイリの尋ねを確認するように見下ろしてくる夫の視線に耐えられず、シーツを引き寄せながら俯いた。

なぜか、カイが怖かった。

「…大丈夫なのか?」

キリに尋ねて、カイはベッドに腰掛けた。

サクラの顎を無造作に拾い上げて、顔を上げさせる。

びくりと強張る体に気まずけな思いを持つサクラなど意に介した風も無く、まっすぐに彩りの異なる双眸が凝視する。

何?

カイが怖い。

今まで、カイを怖いと感じたことなど一度もないのに。

「大丈夫でございますよ。食欲もおありのようですし、睡眠もきちんと取られておられますしね」

カイはサクラを離して、立ち上がった。

「良いだろう…無理はするな」

カイが離れたことに、視線が自分から離れたことに、ほっと息を吐いて「ありがとうございます」と呟いた。



「カイ様」

部屋を出ると、巨体を揺らしながらキリが声をかけてくる。カイは足を止めて、医者を待った。

「奥方様ですが…伽のお相手はもう少しお待ち下さいませ」

カイは頷いた。

医者には、初診の次の日、顔を合わせた際に、固くそれを禁じられた。

前日の晩、サクラに欲望を覚えたのを見透かされたかのような禁忌に、カイは奇妙な後ろめたさを感じたものだ。

あれから、結局、新しい部屋を準備させることなく、サクラと共に夜を過ごしている。

さすがに、抱き寄せることはできない。なのに、朝、目覚めると腕の中にサクラが眠っている。

そのたびに思い知る。

欲望が消え去った訳ではない。

隣に横たわる存在を貫く幻影に悩まされながら、それでも、深い眠りに誘われる。

なんとも言えない不思議な夜を、幾夜過ごすのだろう。

「俺は…そんなに餓えて見えるか?」

自嘲を込めて医者に尋ねると、「…さて…どうでしょうか」と惚けた返事が返る。

「私は医者として、貴方に申すべきことを申し上げているだけですが」

そして、年寄りだけに許される訳知り顔で続けた。

「ですが…柔らかく芳しい女性が側にいれば、欲しいと思うのが男の性でございましょうから」

性…そうだ。

サクラでなくとも、抱けば良いのだ。そうすれば、欲望は放たれる。

だが、その解放の虚しさもまた、既にカイは身を以って知っていた。

「それが愛しい者であればなおさらで」

愛しい…という医者の言葉に、奇妙な苛立ちを覚えてカイは目を逸らした。

愛しい?

サクラを?

剣が選んだだけの凡庸な娘だ。もっと美しい娘は、いくらでもいる。聡い者も。

だが、サクラは、誰よりも温かく柔らかい。

「…いつ頃…許可が出る?」

気が付けば、そう尋ねていた。

尋ねた意味に、はっとしたが、医者はごくごく普通のことのように答えた。

「そうですな…あと2,3日かと」

その時間は、この訳の分からない荒れる感情を抑えるのか、煽るのか。

「分かった」

答えてカイは医者に背を向けた。

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