9
カイが出立してから、サクラを待っていたのは、想像以上に不安な時間だった。
今、この瞬間にも、カイは魔獣と対峠しているかもしれない。剣はどうなるのだろう。本当にカイの元に届くのだろうか。カイは剣を手にすることができるのだろうか。
不安、不安、とても心配。
とは言え、無力な自分に何かできる筈はなく、みっともなくうろたえることだけはやめようと、空を見上げることがせいぜいだ。
「まだ、何も起きてません」
背後でホタルが呟いた。
振り返ると、ホタルが目を閉じ、耳を澄ましている。
「本当に?まだ、殿下には何も起きてない?」
意気込んで聞いてから、サクラは気がついてホタルを止めた。
「ホタル…ごめんね。聞かないでいいわ」
ホタルは遠耳の持ち主だ。
普段は、力を抑えているが、それでもこの隣の部屋の会話ぐらいなら、常に聞こえているという。
力を放てば、かなり遠くの、例えばはるかかなたの国の会話を、聞きたいことを探り当てて聞くことができるらしい。
だが、そこまでするには、相当な集中力が必要で、過去には卒倒したこともあった。しかも、母親から受け継いだその力を、ホタルはとても嫌っている。
「でも…お知りになりたいのでしょう」
サクラは首を振った。
聞いたところで、何かできる訳ではない。
カイが言ったとおり、サクラはここで待つしかないのだから。
「きっと殿下は、大丈夫だもの」
戦いの状況をホタルに聞かせるのも嫌だった。戦場がどんなものか、サクラも知らない。だが、決して気分の良い場所ではないはずだ。
「ね?」
ホタルは、肩の力を抜いて、緊張を解いた。
「分かりました。聞きません」
聞かなくても大丈夫。サクラは自身に言い聞かす。
だって、殿下は・・・「カイ様は大丈夫ですよね。だって、キリングシークの軍神様ですもの」サクラの思考に重なるように、ホタルが言う。
それに、笑いを零しながらサクラは頷いた。
突然だった。
カイのいない3日目の夜。
サクラは、湯浴みを終えて、髪をホタルに拭いてもらっていた。
最初は、フワリと髪が揺らいだだけ。
どこからか、すき間風が入っているのかと、サクラもホタルも窓に目を向けた。
次の瞬間。
激しく渦を巻く風が、サクラの周りで起こった。
「サクラ様!」
ホタルが悲鳴のように、サクラを呼ぶが、風に掻き消されてサクラには届かなかった。
風は更に激しくサクラを巻き込む。
濡れた髪が、風に大きく掻き乱され、舞い上がる。
薄い夜着が、バタバタとはためく。
だが、それは一瞬。
パタリ、と風は止み乱れた髪だけが、名残を残す。
サクラは、呆然と宙を見つめた。
「サクラ様?」
ドンドンと、激しいノックがあり「失礼します」と、マアサとタキが部屋に入ってくる。
「ホタル、貴方の声が聞こえたので。いったい…」
「剣が…殿下に呼ばれました」
タキの問いを遮るように、サクラは呟いた。
「今、剣は殿下のお手元に」
手を胸に当てた。
いつもそこに剣があることを意識している訳ではない。
だが、今、ここに剣がないことは、わかった。
剣が呼ばれた。
それは、カイが剣を呼ぶ状況にあるということ。
どうかご無事で。
気がつけば、そう祈っていた。
どうか、ご無事にお戻りください、と。