始まりは闇
空には月。
細い細い、今にも空に飲み込まれそうな月。
弱々しい光は、鬱蒼と生い茂る森になんとか降り注がんとしていたが、木々の合間をすり抜けるのは叶わず、消えてなくなる。
故に、森の中は闇。
だが、静寂ではない。
闇の中では、何かが蠢く音や、不気味な鳴き声。時に争うような甲高い響きや、呻き声も起こった。
そして、足音。
静かに、乱れることなく、粛々と続く足音。
または、呼吸音。
ざわめく森の中、むしろ異質な、静かな、静か過ぎる音。
音の根源は、人−−−男だった。
男もまた、闇を纏う。
フードを深々とかぶり、全身を漆黒のマントに包んでいる。
昼間であれば、人が行き交うのであろう道を、一人で歩いている。
不意に足音が止んだ。
同時に、あれほどざわめいていた森が、ピタリと静まり返る。
闇の中に、ふと2つの小さな光が浮かんだ。
おぞましい、血のような真っ赤な光。
「待っていた」
静寂を破ったのは、男の声。
それを合図としたかのように、一気に森がざわめきを取り戻す。
先ほどよりもそれは騒がしく、禍々しく−−−そして、どこか恐怖と歓喜を含んでいるように聞こえた。
だが、それも闇に一筋の光が浮かんだ瞬間に、再び静けさに変わる。
残ったのは、ハアハアと耳障りな獣の荒い呼吸音と、対するように静かな男の呼吸音だけ。
光は男の構えた剣だった。
自ら光を放つ剣に照らされて、フードの奥に隠されている男の面が僅かに現れる。
もし、そこに男以外の人があったなら、その者はかの男の瞳に釘付けになっただろう。
右の金、左の黒。
だが、そこに人はない。
男の前にあるのは、巨大な獣。
おぞましい赤い光は魔獣の瞳だった。
男は剣を獣に向けた。
実に無造作な仕草で。
獣が咆哮を上げ、男へと飛び掛る。
細い光が闇に飲み込まれ。
そして、瞬く間に姿を戻す。
少しの翳りを帯びながら。
ドサリと音がして、巨大な闇が地面へ倒れこむ。
男が、剣を一振りすると、翳りが払われ、清冽な光が戻った。
光をマントの中へと戻せば、そこには闇。
男は歩き始めた。
森はざわめきを戻す。
あと、数時間。
太陽が月にとって変わるその時まで、闇の支配は続くのだ。