9話 初日の終わり
「ちょっと緊張した……」
王の間から退室した私は、肩から大きく力が抜ける思いだった。
アレックスは「そんなに脱力するほどか?」と言っているけれど……。
「そんなに脱力するほどだよ。王子様のアレックスは慣れていると思うけどさ」
「そうは言ってもティアラにも慣れてほしい。ティアラもこの城で暮らすんだから」
「……やっぱりこのお城で暮らすんだ」
「うちの国に来ないかって誘っておいて、その辺の宿に泊めたら、そっちの方がおかしいだろう」
……その辺の宿の方が気楽かも、というのは黙っておこう。
「とりあえず食事と風呂、どっちがいい?」
「それならお風呂で……。ちょっと一息つきたいかも」
「了解だ。それなら夕食の時にまた会おう。とはいえ少し驚くかもしれないが……まあ、楽しんでくれ」
アレックスはそう言い残し、後は使用人の方々に任せてどこかへ行ってしまった。
──少し驚くって、どういうことだろう?
疑問は残ったけれど、アレックスはもう行ってしまった後だ。
それに女の子のお風呂についてアレックスに案内されても色々と困るし、彼もそれを分かって濁した言い方をしたのかもしれない。
「ティアラ様、こちらへ」
……と、私は女性の使用人の方々に連れられてお風呂へ向かった。
そしてここでもまた驚くべきというか、国の違いを実感することとなった。
「エクバルト王国のお風呂って、お湯溜めてそこに入るんだ……」
泉か! と思うほどの巨大なお湯溜まり──湯船と言うらしい──を見て、私はそう呟いてしまった。
すると一応と控えてくれていた使用人の方がこう聞いてきた。
「その、レリス帝国のお風呂はどのようなものなのですか?」
「蒸し風呂で、蒸気浴が一般的なんです。それとシャワーで汗を流します」
「なるほど、あちらはそうなのですね。しかしこちらのお風呂も十分心地いいかと思いますよ。地下から湧き出す温泉を城まで汲み上げておりますので、疲労回復にもよいかと。それではごゆっくり」
私に気を遣ってか、使用人の方は浴室から出ていった。
なので私は体を流してお湯にゆっくりと浸かってみる。
……お湯が熱くて足先がチリチリするけれど、じんわり温まってくる感覚がある。
一人で足を伸ばして大きな湯船に浸かる、今までにない体験だ。
そもそも地下から湧き出す温泉とさっき言われたけれど、帝国では地下からお湯は湧かない。
「アレックスが少し驚くかもって言っていたの、こういうことだったんだ……」
お湯の温かみで脱力しながらそう呟く。
アレックスの方も留学当初は蒸し風呂を見て「レリス帝国は蒸気で温まるのか……」とか驚いたに違いない。
「……あー。でも私、こっちのお風呂の方が好きかも。お湯で体が浮くし……気持ちよくて寝そう……」
宮廷を追い出されて、図書館でアレックスと会って、しばらくして船で帝国を出て王国の城にやって来て……。
今までの疲労感もあって、私は危うくお風呂で眠ってしまいそうだった。
……そうして結局、うとうとしつつ、のぼせかかっているところを使用人さんに発見され、私は初のエクバルト王国式のお風呂から上がったのだった。
「……ああ、それで顔が赤い訳だ。長湯だと思ったらそういうことか」
「思っていたより気持ちよくてね……」
お風呂で少し休めた私は、若干のぼせかけつつもアレックスと合流していた。
部屋は城の一室ながら静かで、夜の王都をのんびり一望できる場所だった。
そして大人数では疲れるだろうというアレックスの気遣いもあり、今日の夕食はこの部屋で、私とアレックスの二人でとることになっていた。
帝国図書館に二人でいた時もお腹が減ったらその辺のお店に適当に入って食べていたので、私としても食事の相手がアレックスだけだと気楽で助かる。
ただし……出てきている食事は豪華で、適当に食べていいものじゃないけれど。
味付けは帝国のものより薄めで、素材の味を活かした海の幸が多めで食べやすかった。
帝国の宮廷では肉類が多めで、脂が強くて食べ辛かったのだ。
また、アレックスは長湯でまだ顔が赤い私が面白いのか、こちらを見て少し微笑んでいた。
「そういえばアレックスが驚くかもって言っていた理由、よく分かった。帝国とはお風呂が全然違うんだね」
「国の成り立ちや文化が違うからな。その様子だと気に入ってもらえたらしくてよかった」
「……ちなみにアレックスも最初はびっくりした? 帝国式のお風呂は」
するとアレックスは「全然」と首を横に振った。
「あらかじめ知っていたからな。そりゃ仮にも一国の王子が留学に行くんだから、前もって生活についての下調べくらい済ませるさ。ついでに帝国にも王国人向けの浴場も少しあったからな。溜め風呂が恋しくなったらそっちへ行っていたよ」
「ふーん……そうなんだ」
せっかくアレックスも私と同じくらい驚いたと思ったのに。
「拗ねるなよ。俺はティアラが驚いてくれて嬉しかったけどな」
「何か私ばっかり驚いている気がする。アレックスが王子様だったところから始まってね」
ジト目で見つめてやると、アレックスは視線を逸らした。
……逃げたな。
「あ、ああ、そういえばティアラの部屋だけど、既に準備はさせてあるからな。明日は城や王都の案内をしようと思うから、ゆっくり休んでくれ」
あからさまな話題の転換だけど、アレックスが言外に白旗を上げている気がしたので許してあげることにした。
「……というか、王子様直々に案内してくれるんだ?」
「そりゃ王子である前にティアラの友達だからな。……それと正直、今まで王国でも友達と出歩くなんて滅多になかったから。俺も少し楽しみなんだよ」
言われてみればアレックスも王子という立場上、帝国への留学前も色々と多忙だったのだろう。
テオやクリフォード陛下がアレックスの友人事情で頭を悩ませていたのには、彼の魔導好き以外にそういった理由があったのかもしれない。
それに実を言えば私の方も、聖女の仕事が忙しくて友達と自由に出歩くという経験はほぼなかったので、明日が少し楽しみになってきていた。
「分かった。それなら明日は二人で楽しんじゃおう」
「ああ、そうしよう」
こうして私のエクバルト王国での初日は、ゆっくりと終わっていったのだった。