7話 月下の王城
孤児院から出る際、私とアレックスはローレルさんや子供たちから盛大に見送られていった。
特に目覚めて元気になったジャックやトーマスからは「ありがとうお姉ちゃん!」「まるでおとぎ話の聖女様みたいだね!」とさえ言われた。
……子供の勘は結構鋭いなぁと思った瞬間だった。
馬車に戻ると、御者の方が「お二人ともお疲れ様です」と迎えてくれた。
「アレックス王子。これからは城の方へ向かってもよろしいでしょうか?」
「頼む。気が付けば完全に陽も沈んでしまった。早急に城へ向かい、父上に会わねばな」
「承知いたしました。陛下もアレックス王子のお帰りを心待ちにしていましたので、喜ばれるかと」
それから御者は滑らかに馬車を進めていった。
──アレックスのお父さんって、エクバルト王国の王様だよね。
当然、王としての執務でかなり多忙だと思われる。
それでもアレックスが留学から戻ったばかりということで、時間を作ってでも会いたいと思っているのだろう。
そこは王族であっても普通の親子のようだった。
「ああ、それとティアラ。ティアラにも一緒に父に会ってもらいたいから、そのつもりで頼む」
「えっ……私も!?」
アレックスに突然ああ言われて、思わず背筋が伸びた。
「当たり前だろ。この国で暮らすなら直接ティアラを紹介する必要がある。帝国の元聖女なんだから、一応は父にも会わせておかないとな」
「それは当然、お世話になるんだからどこかでご挨拶はしないとって思っていたけど。……でもいいの? この国に戻って初めてお父さんと話すんでしょ? 私、邪魔になるんじゃないかってそっちの方が心配だったんだけど」
──私も挨拶をしないほど礼儀知らずじゃないし、そういう意味で驚いた訳じゃないもん。
抜けていると思われたかな、と窓の方へ視線を逸らすと、アレックスは苦笑した。
「ああ、そういう方向の心配だったのか。それは失礼した。でも大丈夫だ。父とは定期的に魔石通信で話しているからな。そこまで積もる話もない」
魔石通信。
多くの魔力を溜め込む鉱石、魔法石の魔力を利用し、念話の魔術で成立する遠距離用の連絡手段だ。
五年ほど前に帝国で技術が確立され、手紙よりずっと早くやり取りできると、各地でも魔石通信は盛んになっているのだとか。
もっとも、念話の魔術を扱える魔術師が必要であったり魔法石自体が高価なので、王族や貴族の間でのみ利用されていると聞いている。
……そうやって話していると、アレックスが「おっ」と窓の外を覗いた。
「城だ、じきに降りるぞ」
「あれがアレックスの……!」
この国の王都は港町からさほど離れていないようで、深夜になる前には城が見えてきた。
月明かりを受けそびえる城は、帝国の宮廷よりも立派で、どこか幻想的な雰囲気だ。
城を眺めていると、その頂上付近に何かが飛んでいるのが視界に映る。
前脚の代わりに翼を持ち、首が長いシルエット。
一見して巨大な鳥に見えたが、よく見れば長い尾が付いている。
馬車が城に近づくにつれ、その頭は鳥のものではなく、精悍なトカゲ似でありつつ鋭い牙が生えていると分かった。
さらにその背には武装した人を一人乗せていた。
月を背にするその姿は、まるで絵画のようだと思えた。
「あれって……もしかしてドラゴン!? 騎士みたいな人も乗せているけど?」
「ああ、エクバルト王国の竜騎士だな。任務から帰還したようだ。……帝国といえば魔術大国だが、我が国は昔から竜飼いの国として知られている。ティアラは竜を見るのは初めてか?」
「うん。帝国では見たこともなかったから……」
ドラゴン、または竜。
それは魔物の頂点種でありつつ、高い知能を持った生き物とされている。
慣れれば人を乗せると知識では知っていたけど、こうして見るのは初めてだ。
「だろうな。王国の竜は人に慣れやすい種類ながら、国外へ連れ出すことは禁じている。卵や雛も、国の外へ許可なく出すだけで重罪だ」
「それで帝国では一切見なかったんだ」
「加えて、エクバルト王国は竜の力で他国より優位に立っているからな。竜飼いと騎乗の術が国外に流出することだけは避けなくてはならないんだ」
なるほど、そこは国の事情もあったのか。
今まで宮廷に引き篭もっていた……というか半ば監禁状態での仕事漬けだったので、その辺りの話は全く知らなかった。
それから城に到着した後、私とアレックスは馬車を降りた。
涼しげな夜風が吹いてきて、月明りに照らされた城と合わせて、何となく風情を感じる。
そんな時「王子!」と一人の騎士が駆けてきた。
振り向けば、騎士の駆けてきた方には一体の竜が首と尾を丸めて休んでいた。
先ほど飛んでいた竜だろうか。
遠目であるのに加え、大人しいところを見ると、従順な大型犬のようにも思えてくる。
「アレックス王子、お戻りになられたのですか」
「久しいな、テオ。お前も壮健そうで何よりだ」
「留学している間、留守を任せると王子直々に言われましたから。我が相棒の騎竜共々、体を壊している暇などありません」
テオと言うらしい騎士は兜を取り、アレックスの前で片膝を突いて伏せた。
短く切りそろえた黒髪に、明るく目を引かれる深紅の瞳。
歳はアレックスや私と同じくらいだろうか。
アレックスは学者肌といった方向で真面目そうな雰囲気を漂わせているが、テオは見た目の通り騎士らしく真面目そうである。
「アレックス王子。そのお方は?」
「ああ、俺の友人であるティアラだ。面倒な立ち位置にいた帝国の要人だったのだが、自由になったのでこの国で暮らすことになった。これから父上に挨拶をしに行く」
するとテオは「なっ……!?」とどこか衝撃を受けた様子で固まった。
「どうしたテオ。気になったことがあるなら言え」
「い、いえ。しかし……」
「構わない。俺とお前は幼い頃からの付き合いだろう。お前に隠し事をされると……そう。魚の小骨が喉に突っかかったような気分になる。だから言え、気になるだろう」
海が近い城で育ったからなのか、アレックスは独特なたとえをする。
けれどこの国の騎士であるテオとしては別段そこは気にならないようで「その……」と口籠りつつ話し出した。
「僭越ながら、少々驚きまして」
「何がだ」
「……まさかアレックス王子に友人が、それも国へ連れ帰ってくるほどの友人ができるとはと……。失礼ながら、私を含め、アレックス王子は剣技の他は魔導にしか興味がないものと……」
「うん、それは本当に失礼な物言いだな」
「……ぷっ!」
アレックスが命じたからとはいえ、歯に衣着せぬテオの物言いに、私は堪え切れずに少し笑い出してしまった。
確かにアレックスは図書館で会った時も、外で話した時も、魔力や魔術の話題をよく持ち出してきた。
しかもアレックスが図書館に来て魔導系の書物を漁るのは、大抵が学園の休日だった。
留学時の休日でさえ他所へ遊びに行かず図書館に通うようでは、この国にいた頃も同様だったのだろう。
魔導にしか興味がないと騎士に言われても仕方がないと思ってしまったのだ。
「……笑うなよティアラ。テオの言うことも半分間違っていないが、強いて言うなら半分は間違いだ。俺も友人くらいは作るさ、少しはな」
半ば照れているのか顔を少し赤くしたアレックスは「行くぞ」とズンズン先に進んでいく。
一方のテオといえば、
「ティアラ様。アレックス王子と一緒に行ってください。私は騎竜を竜舎へ戻し、これから任務の報告をせねばなりません」
「分かりました。ありがとうございます」
そうして歩き出そうとすれば、次いでテオから「後、それと」と呼び止められた。
「アレックス王子を今後もお願いします。実は魔導学園への留学も、城暮らしで友人のできない王子を憂いて陛下が勧めたものでもあります。その辺の学び舎では満足しなさそうな、魔導にとても興味のあった王子は案の定喜んでいたものの、それで本当に友人ができるのかと皆で心配したものですが……よかった。ちゃんと王子が感情を見せるほどの友人ができたようで、私も安心です」
テオは爽やかにそう言ってから、一礼して騎竜の方へと駆けて行った。