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51話 聖女の力

「ティアラ様……!」

 精霊門から出ると、クライヴたちが駆け寄ってきた。

 周囲では、全ての精霊獣たちが鎖や根で拘束されている。

 どうやら殺すことなく、無力化できたようだった。

「皆、無事でよかった……」

「私たちはね。問題はティアラたちだ、それにアレックスは……?」

 リンジーさんが焦りを孕んだ表情で問いかけてくる。

 デミスに降ろされた私は、俯いた。

「……精霊郷です。精霊として復活した魔族バァルと戦っています。バァルを倒せば、変貌した精霊郷も、食べられた精霊たち元通りになるって」

「魔族の精霊だって……⁉ 枢機卿と公爵の愚行が、ここまで尾を引くとは……! 全くもって忌々しい!」

 リンジーさんは歯噛みして、一度地面を踏みつけた。

「その様子だと、ティアラたちが戻ってきたのはアレックスの判断だね? 大方、ティアラを気遣って強引にデミスに乗せたとか」

 何も間違っていなかった。

 頷けば、リンジーさんは頭をガシガシと掻いた。

「あの馬鹿王子。やり方ってものがあるだろうに……!」

「ティアラ様、酷いお顔です。どうかお休みになって……」

「ううん、まだ休んでなんていられないよ」

 クライヴの気遣いはありがたかったけれど、やっぱりアレックスを放っておけない。

「私の意思でここに来て、ウィルとシェリーの精霊郷や、王国を含めた世界全体がどうなるかの瀬戸際だもの。私だって、やれるだけのことをしたい」

 そうだ、俯いている場合じゃない。

 それに……アレックスには、言いたいことが山ほどある。

 自分を信じてと言うなら、私のことだって、もっと信じてほしい。

 力を使っても生きているって、なんとかなるって、信じてほしかった。

 何より自分一人で全部背負い込んで、私はただ待っていろと言わんばかりだなんて。

 ……助けてくれた彼に、筋違いかもしれないけれど、少しだけ文句を言いたかった。

 せめて一緒にと言ってくれれば、私は……。

 意思を固めていると、ウィルとシェリーが両側から服の裾を掴んできた。

「あの、聖女様。今、話していた、精霊郷と世界のことなんだけど」

「さっき精霊王様の入った柱に触れた時、精霊王様の意思が魔力を伝って流れてきたの」

 そういえば、さっき二人は精霊王の入った魔法石の柱に触れた際、何か呟いていた。

 呟きの真意を聞きそびれていたと思い出した。

「精霊王様、あの柱に閉じこもった理由は、精霊郷の主導権を完全に魔族に渡さないようにするため、食べられないようにするためっていうのも、あったみたいだけど」

「それと一緒に、精霊門を渦で閉ざして、魔族を精霊郷の外に出さないようにしているみたい。精霊獣みたいな純粋な精霊は、まだ出られるようだけれど……」

「じゃあ、異常化した精霊門は精霊王様が自ら……?」

 精霊郷に異変が起こった理由は深紅の稲妻、ひいては精霊として再誕した魔族バァルだったのだから、魔族が原因で精霊門にも異常が出ていると思っていたけれど。

 精霊郷と精霊門の異常の原因は、それぞれ別にあったのだ。

 それにバァルが契約を迫って、精霊王をあの柱から出したがっていた理由もはっきりした。

 精霊王を食らい、精霊郷を掌握しきる他にも、そうしなければバァル自身が本当の意味で自由になれなかったからだ。

「だから魔族は精霊郷から出て来られない。精霊郷が変になった影響で、世界は少し捻じれてしまうかもって伝わってきたけれど……」

「でも、時間をかけて精霊郷をこの世界と遠ざけているみたい。そうすれば精霊郷がこの世界に干渉することもなくなるから、この世界は元に戻っていくって……」

「……そうか。我らが王は、そのような御判断を……」

 ジャレッド公は目を伏せ、絞り出すようにして話した。

 沈痛な面持ちだけれど、それも仕方がないというもの。

 だって今の話は、つまるところ、

「精霊郷がこの世界と離れて干渉しなくなるなら、精霊門を使っても二度と出入りできないんじゃ……⁉ すぐにアレックスを連れ戻さないと!」

「それだけじゃない。私たちは精霊王が閉じた精霊郷への出入り口を、二つ目の門で開いてしまった。つまりアレックスが魔族に敗れたら……」

「魔族がこの世界に現れ、事実上の復活になる。しかも精霊の魔力を得た、強大な状態で」

 とんでもない状況になってしまった。

 これでは、ウィルとシェリーの故郷を取り戻すどころではなくなってしまう。

 ここずっと一緒にいたアレックスの顔が心に浮かび上がったけれど、雲のように消えてしまうような感覚がして、思わず首を横に振った。

 ──そんなこと、絶対にさせない。

「二人とも、精霊郷が遠ざかるまでどれくらい?」

「わ、分からない。精霊王様も、時間がかかる、としか……」

「だから私たち、王子様に任せてもって思ったの……!」

 ──どれくらいか分からないなら、急がないと。それに……。

「リンジーさん」

「なんだい?」

「使います、私の力」

 リンジーさんの目を見て、力強く言い放つ。

 この意思は決して曲がらない、曲げられないと伝わるように。

「……あの王子といい、この子といい……。ある意味お似合いだね。やると言ったら否定されても聞かないって顔だ」

「そのつもりです。だから何があっても止めないでください」

 私の力は反動が大きい分、途中で行使を中断させられた場合も、それなりに消耗してしまう。

 アレックスにされたようにまた止められてしまえば、もしかしたら、私はもう聖女の力を行使できないかもしれない。

 仲間に、聖女の力の開放を阻止されることだけは、もう避けたかった。

「……分かったよ。ならティアラの自由に……」

 と、リンジーさんの了承を得かけた際。

「待って聖女様!」

「死んじゃうかもしれないんだよ? 魔力か魂が消えたら……!」

「大丈夫、私にはこの子がいるから」

 私はデミスの鞍の雑嚢から、魔導書を取り出す。

「精霊郷に入ったら、この子に名前を付けて、魔力を貰うから」

「もし……もしも、魔力が足りなかったら?」

「どれだけの魔力が込められているか、分からないんだよ⁉」

 ウィルとシェリーの目尻に溜まっていた涙が、するりと零れる。

 私は二人を抱きしめ、ゆっくりと話した。

「大丈夫。私、魔力量には自信があるから。それに魂が底を突く前に、魔力で補完できればいいはずだから。……やってみるよ」

 不思議なもので、魔力さえ十分なら、それは可能に思えていた。

 前にバァルを倒した際、大賢者様の助言で、私の力は空間にも作用できると気付いた時のように。

 私の魔力で魂を補い、再構成できると知った以上、それは実現可能だという感覚がある。

 認識するということは、できる行為の幅を広げるのだと、改めて認識した。

「デミス、お願い。もう一度アレックスのところへ連れて行って。あなたの兄弟を、私も助けたい」

 デミスの額に手を置く。

 目を瞑ったデミスは、何かを考え込むように、頭を伏せた。

「お願いよ。……もう、時間もないの」

『ルル、ルルルルル……! オオオオオオッ!』

 デミスは目を開き、伏せていた顔を起こし、天へと吠えた。

 さらに天へとブレスを吐き出す様は、胸にあった迷いを、焼いているかのようだった。

 私を映す瞳に、もう迷いはなかった。

「ウィル、シェリー! 一緒に!」

「もちろん!」

「私たちの精霊郷だもの!」

 ウィルとシェリーは小さな両手で涙を拭い、風を操りデミスの上に乗ってきた。

「待ちな! 私も行くよ。あの馬鹿弟子に文句を言ってやるさ」

「私と一緒ですね」

 手を伸ばせば「奇遇だね」とリンジーさんは強気に笑った。

「我々も同行します。戦力は少しでも、多い方が……」

 ついて来ようとしたテオを、リンジーさんは手で制した。

「やめときな。人数が多いと私の結界で守り辛くなる。それに魔族の相手をできるのはアレックスだけさ。私でさえ、前に出れば足手纏いだ。……助手は定員の都合上、連れていけないが、構わないかね?」

「万が一、魔族が外に出た際の保険は必要でしょうから。今回は僕が保険になりましょう。それに賢者様の作った門も、持続時間は残り僅か。僕が魔力で門を開き続けますので、あのいけ好かない王子を連れて、急いで戻ってください」

「良い性格の友達じゅうしゃだね」

 クライヴは「我ながら」と苦笑した。

 デミスは翼を広げ、再び漆黒の門へと突入する。

 再びの精霊郷では、各所で黒煙が上がっていた。

「何……?」

 周囲を見回せば、精霊王の居城の方角から、爆炎が上がった。

 デミスも翼をはためかせ、そちらへと急ぐ。

 数度爆炎が上がったところで、その中から二つの人影が、黒煙を裂くように現れた。

「そんなものか? 王子ッ!」

「貴様こそ、精霊の手助けがなくば、俺の前に立てぬか!」

 バァルが深紅の結晶や稲妻を遠距離から放つたび、アレックスの持つ白の聖剣が輝くのが見えた。

 ──あれは確か。

「民を守る白い剣……!」

「正式名を皎輝こうき。所有者を結界で守護する聖剣だよ」

 アレックスはバァルの攻撃を結界で退け、迫る。

 しかしバァルは操っている精霊たちをアレックスに差し向け、決して彼を近寄らせようとしない。

 相変わらず卑怯な戦法。

 それでも、アレックスは負けない。

 魔を払う黒の剣を振るえば、漆黒の剣技がバァルへと飛ぶ。

「あっちは黎燦れいさん。所有者の攻撃を、距離を無視して敵に届ける聖剣だね」

 アレックスの斬撃がバァルに届く。

 鎧の一部を穿つものの、バァルの魔力によってか、傷はすぐ塞がってしまう。

 アレックスの動きはバァルを凌駕し、純粋な一対一なら、やはりアレックスが圧倒する。

 でもバァルは精霊郷を侵食し、食らった精霊たちを操り、無尽蔵にアレックスを襲わせることができる。

 しかもアレックスは精霊たちに気を遣っているようで、彼らを斬るような真似はせず、攻撃されてもただ避けるばかりだ。

「脱走王子の優しさが完全に裏目だ……! ティアラ!」

「分かっています。やるなら今、この場で!」

 私は両手で握った魔導書を掲げ、宣言するようにして、

「あなたに名前を授けます。あなたの名前は……マナ!」

 マナ、魔力の語源とされる、古い言葉。

 魔導書が、マナが魔力を与えてくれる存在なら。

 ──この名はきっと、この場とあなたに相応しい。

『うおおおおおおっ! 漲ってきた! おいらはマナ! ご主人様、魔力を渡すよっ!』

 名前を与えた瞬間、マナが浮かび上がり、青く輝き出す。

 その光は、かつて見た、大賢者様の衣と同じ色だった。

 マナから次々に魔法陣が生じ、魔力が私に流れ込んでくる。

「……凄い。これが大賢者様の魔力……!」

 私の魔力と合わせて、無尽蔵にさえ感じてしまう。

 これだけの魔力があれば……届く。

 たとえ世界の果て、精霊郷の隅まででも、私の力が。

「お願い。これで、全部終わって……!」

 組んだ両手に魔力を込め、小さな太陽を作るイメージをもって、魔力を集めていく。

 輝く魔力で、デミスの上から精霊郷を照らしていく。

 精霊郷全体を支配し、蜘蛛の巣のように張っているバァルの魔力の線を、一本一本溶かして消し去る。

 魔力が際限なく広がっていく様は、不思議と私自身の意識が、広く精霊郷の各地に届いていくようだった。

 もしくは、聖女の力で消費された魂が、魔力や光と一緒に精霊郷の各地に届いているからなのかもしれない。

 ──この光は、私自身なんだね。

 だからこそ、全てを照らし尽くす。

 この一瞬で、全てを使い切ってでも。

「何……⁉ 聖女だと! いつ戻った⁉」

「ティアラ……ティアラッ!」

 上空を見上げ、バァルは動きを止めた。

 アレックスは魔法石の城を素早く駆け上がってくる。

 こちらを目指して、凄まじい速度で。

「ティアラ! 自分が何をしているのか分かっているのか! これほどの力の開放……ただではすまない、死んでしまう! すぐにやめるんだ!」

「まさか捨て身の覚悟があったか! 二度も邪魔はさせぬぞ、聖女!」

 バァルも私の力を止めようと迫ってくる。

 リンジーさんはバァルを阻もうと、魔法陣でデミスの直下に結界を張る。

 ウィルとシェリーも風を放って、バァルを近寄せまいとしてくれている。

 ……その最中、怒声が轟いた。

「バァル……貴ッ様ァァァァァァァァ!!!」

 普段の柔和な表情と、優しげな声音はどこへ行ったのか。

 間違いなく、アレックスは本気で怒っていた。

 腹の底から張り上げたような怒声で、城を構成する魔法石の一角から、飛翔するバァルに斬りかかる。

 最早、三人が施した防御すら必要なかったと思わせる、神速の早業だった。

「貴様さえいなければ……! 確実に消し去ってやろう! この場で‼」

「くぅっ……⁉ せ、精霊共! 何をしている、援護を……!」

「無駄だよ」

 私の言葉に、バァルが真上のこちらを向く。

 さっきまでと真逆の立ち位置。

 私は光で照らし出され、元の色が戻りつつある精霊郷と、動きを止めた精霊たちを一望した。

「あなたの魔力と支配は、精霊郷から消えた。あなたが操ったり、体の中で魔力源としていた精霊たちも、あなたとの繋がりを切った。あなたは、もう──」

「この小娘。まさか本当に単身で、精霊郷全土を照らして……⁉」

「──ひとりぼっちだから」

「……ッ!」

 バァルの目の前には、修羅のような表情を浮かべるアレックスが迫っていた。

 ……リンジーさんでさえ「恐ろしいねぇ……」と硬い声を発していた。

「前にも言ったな。生きて返さんぞ、魔族風情が!」

 アレックスは二本の聖剣をバァルに向かわせ、容赦なく貫く。

「が、あぁっ……⁉ 人間如きが、精霊と化したこの俺を、殺せるとでも……!」

「貴様が存命できる確率を教えてやろう、ゼロだ!」

 抵抗しようとしたバァルの腕を蹴り、アレックスはバァルの得物を即座に叩き落とした。

 丸腰になったバァルの上、落下しながら、アレックスは聖剣二本をバァルの体から引き抜いて、

「まさか……再び敗れるとでも⁉ 勇者に……忌々しき、真の聖女に‼」

「剣舞!」

 二本の聖剣による輝きの舞。

 光に照らされたアレックスは神々しく、剣の神のようにも思えた。

 回りながら繋がれ、途切れない剣の舞は、精霊と化した魔族を粉々に砕く。

 剣を振るうごとに光が散らされる様は、正に光の華。

「本当に……綺麗……」

 ずっと見ていたかったのに、視界がぼやけて、意識が遠のいてしまう。

 ……変だ、昨日はよく寝たはずなのに。

 抗いがたい睡魔に襲われ、全身が酷く重い。

「ティ──、──夫かい! 意識──……!」

『──!』

 誰かが後ろから私を支えてくれている。

 腕の中で何かが叫んでいる。

 私を運んでくれた翼が、ゆっくりと地表に降下する。

 光の華を作っていた人が、こちらへ駆けてくる。

 ──本当に、綺麗だったよ。

 そう言ってあげたいのに、口が動かない。

 本当に変だ。

「──アラ! どう──こ──無茶を! なぜ、──ほど、やめ──れと……!」

 目の前の綺麗な男の人も、酷く狼狽した様子で、目から涙が溢れていた。

 あんなに綺麗な舞だったのに、何が悲しいのだろう。

 私はなんとか口を動かす。

 なぜか、こう言ってあげなきゃいけない気がして。

 ──大切だから。

 ちゃんと伝わったかな。

 それに涙を拭ってあげたくて、最後に、なんとか腕を持ち上げた。

 手の甲で涙を拭うと、男の人は私の手を取って、酷く泣き始めた。

「頼むティ──。──ない──れ……」

 どうして泣いているのだろう。

 あなたが泣くと、私も悲しいのに。

 もう、何を言っているのかも、上手く聞こえない。

 ──泣かないで。全部、終わったでしょう?

 その顔をずっと見ていたかったのに、もうこれ以上、目を開けていられそうにない。

 今日はゆっくりと眠れそう。

 最後にありがとうと心の中で思って、私は、私……は……──


 ***


「ティアラ! どうしてこんな無茶を! なぜ、あれほど、やめてくれと……!」

 デミスの背の上、焦点の合っていない瞳でこちらを見つめるティアラを抱きしめ、肩を揺する。

 しかし反応が薄い、体が冷たくなりつつある。

 ……最早、後悔しかなかった。

 早々にバァルを片付けられなかった俺が悪かったのかと。

 だがそれ以上に、どうしてこうなると分かっていて、ティアラは力を使ってしまったのか。

 こうならないために、外で待っているようにと、言ったのに……。

「師匠! 魔力だ! ウィルとシェリーもティアラに魔力を!」

「もう渡しているよ! でも……」

「聖女様が必要としている魔力が、多すぎて……!」

「私たちの魔力を全部使っても……!」

「そんな。王国の賢者と、精霊二人分の魔力でさえ……」

 ここに至り、バァルの言葉が脳裏をよぎった。

 ──魂を補うためだ。そこの聖女もそうだが、あまりに過剰な魔力を持っていると感じたことはないか?

 いいや、過剰ではなかったのだ。

 魂を補うとは、あれほど高度に感じられた他者を治癒する行為が、最早児戯に感じられるほどの魔力を消費するのだと。

 ここに至り、そのことをようやく理解できた。

「魔導書……マナ! お前の魔力は!」

『お、おいらの魔力は、もう全部聖女様に……!』

 ──なんとかしなくては、なんとか……! 

 どうして俺は魔力がないのか、無力感に打ちひしがれていると、ふとティアラがこちらに手を伸ばしてきた。

 そして、掠れた、今にも消え入ってしまいそうなか細い声で言う。

「大切……だから……」

 なぜティアラがこんなふうになるまで魔力を使ったか、ようやく悟った。

「俺のため、だとでも……?」

「……アレックス。精霊郷は向こうの世界と離れつつあった。早々にアレックスを回収しないと、もう二度と門から出られないって。だからティアラが……」

「それでは本末転倒じゃないか! 俺はこんな最期を迎えさせるために、あの王国から彼女を連れ出したわけでは……!」

 ティアラの手が、俺の頬を拭う。

 その時、俺は初めて、自分が涙していると気付いた。

 同時、ティアラの言葉が、大切だからという言葉が俺にとっての答えでもあったのだと。

 ……情けなくも、この土壇場で、ようやく悟ることができた。

 ──最初は……親しい仲になるなんて思ってもみなかった。

 あの図書館で出会い、会う回数、話す回数が次第に増えていった。

 初めてだった。

 自分を王子としても、賢者の弟子としても、強靭な竜騎士としても見ない人は。

 一切の色眼鏡のない他者と会話をするのは、触れ合うのは。

 楽しかった。

 自分でも驚くほどに心地よかった。

 ずっとなんでもないふりをしていたが、自分は他者とは違い、生まれつき隔絶した強さを持った……生物として周りの人間と根本的に違うのだという孤独感を、常に感じて生きてきた。

 幼い頃、本気で叩き伏せてしまった剣術指南役の怯え切った表情が、今も頭から離れない。

 化け物を見るような視線は、子供心に強く響いた。

 魔導に没頭したのも、知識は物を言わず差別もせず、得たい者に得たいだけ吸収させてくれるものだったから。

 ならば俺が、肉体的のみならず、頭脳的にも優秀という評価を第三者から下されたのは、至極当然だっただろう。

 何せ、他には大して興味もなく、進んで行ったのは剣の他、魔導の探求くらいだったのだから。

 ……正しく、ティアラと出会うまでは。

 自分でも酷く不思議だった。

 困っていたとはいえ、異国の友を、わざわざ王国に招いた理由が。

 どうしてここまでつきっきりで、一緒に居たかったのか。

 俺は交友関係も少なく、人との関りが他者より希薄で、彼女だけが親友だからだと思っていた。

 だが、蓋を開けてみればどうだ。

 気付けば俺は彼女に、力を使わないよう迫っていた。

 危ないからと、ティアラにとって大切なものを犠牲にしていたからと。

 それがティアラの願いを捻じ曲げるとしても……。

 だが、そんな考えは傲慢の極みであると、俺自身、最初から分かっていた。

 所詮は他者からの願いの押し付け。

 俺が、いくらティアラに無事でいてほしいと思っても、それはこうしてほしいという意思の押し付けに過ぎない。

 帝国の宮廷の面々がティアラに聖女の力を使うことを強いたように、俺は、ティアラに聖女の力を使わないことを強いたのだ。

 ……友を気遣ってと言えば、まだ聞こえはいい。

 しかし……ただそれだけなら、なんなのだ、この喪失感は。

 仮に数少ない友を失えば、心にぽっかりと穴が開くかもしれないと思っていた。

 でもこの虚無感と悲しみは、そんな生易しいものではない。

 生まれてこの方、ここまでの絶望感に浸ったことなど、ありはしない。

 どうしてこんな感情を抱くのか。

 そんなもの、答えは一つしかありはしない。

 ……惹かれていたからだ。

 自分でも気付かぬうちに。

 自分に自然体で接してくれて、正体を明かしても何も態度を変えなくて。

 俺の魔導好きにも、飽きもせず付き合ってくれて、たまに見せる呆れた顔も素敵で。

 よく笑って、一生懸命で、頑張り屋で……どんな時でも意思を曲げない姿が、綺麗だった。

 華奢に見えて、やると決めたら貫く意思の強さには、どこにそんな底力があるのかと思わされた。

 そんな姿全てに、俺は惹かれ続けていたのだと、ようやく気付いた。

 ……あまりにも滑稽だ。

 ティアラが魔族に害されると気付いて、魔族のせいでティアラが聖女の力を開放してしまうと悟って、あれだけ魔族に心が焼き切れるほどの怒りを覚え、ぶつけたのに。

 その感情の大元、彼女に惹かれていたという思いを、今更になって自覚するなんて。

 別段、これまで感情に封をしていたわけではない。

 ただ魔導にしか興味がなく、人間関係に疎く興味もなかった自分が、愚かにも気付かなかっただけで。

 それが強い友愛ではなく、その実、異性に向ける類いの愛情であったと。

 ──どうしてもっと早く気付けなかった。そうしたらもっと違う言い方ができただろう。あなたが「大切だから」その力を使わないでくれと。あなたが死んだら俺も、死んでしまうほど悲しいと。

 あまりに鈍感であったという事実が、刃のように、喉元を貫いてくるかのような感覚だった。

 生来屈強なこの身には、生半可な刃など、突き立たないというのに。

 己の感情に気付かず、喪失するその時になってようやく理解したという真実は、この身を数度引き裂いて余りあるほどだった。

 ……最早嗚咽など、堪える気にもなれなかった。

 最初からあまりにも強すぎた。

 始まりから孤高で、寄り添ってくれる人はいても、真に己を理解してくれる者は少なかった。

 ただ……強く孤高であっても、共にいてくれる家族がいて。

 ああ見えて世話焼きな師匠がいて、テオのような配下もいて、満たされていたつもりだった。

 それは他者からすれば傲慢なほどの悩みであり、生まれも育ちも幸せじゃないかと、自分に言い聞かせてきた。

 ……違う。

 満たされていたなら、なぜ、留学などした。

 俺が満たされていないと、その実、俺の孤独を俺以上に理解していたから、父や周囲は俺を異国へ送り出してくれたのではなかったのか。

 世界は広い。

 環境が変われば、友人や、真に大切な者を得られるだろうと。

 ……最大の問題は、それを得たと気付けなかったこと。

 友を大切にするという思いを隠れ蓑にした本心に、この土壇場になるまで気付くことすらできなかった。

 ……何から何まで言い訳だ。

 あまりにも遅すぎた懺悔に過ぎない。

「頼むティアラ。死なないでくれ……」

 冷たく冷え切ったティアラの手を取る。

 喉奥から絞り出された声は、酷く震えて上擦って、自分のものではないようだった。

 精霊郷は元に戻った。

 爽やかな蒼穹の下、暖かな陽光の照らす大地となった。

 そんな最中、腕の中のティアラだけが冷たい。

 言いたいことがたった今、山のようにできたのに。

 信じてくれなんて、薄っぺらい言葉じゃなく、もっと……。

 もっと魂から出た言葉が、沢山あるのに。

 抱きしめれば壊れてしまいそうなほど、華奢で脆い体。

 こんな小さな体一つで、王国のみならず、世界と精霊郷を守った。

 守ろうとして、庇護しようとして、逆に庇護されていたのは己だった。

「すまない……」

 涙と共に流れ出たのは、なんとも陳腐な言葉だった。

 そうして彼女を抱きしめる最中、こちらに迫ってくる足音が聞こえてきた。

 ゆっくりと草原を踏みしめて来る、確かな足音。

 見上げれば、風に金髪をたなびかせた一人の精霊が……あるいは精霊郷そのものが。

 澄んだ翡翠色の瞳で、俺たちを見つめていた。

 


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